プロフィール
  • 名前:山田 あかね
  • 作家・TVディレクター・  映画監督(1本目!)
    趣味・犬・海

映画「イエロー・キッド」

2010年02月 10日 (水) 02:01
今日は、渋谷のユーロスペースにて、真利子哲也監督作「イエロー・キッド」を見て来ました。

公開時から評判が良かったのと、岩崎亮さんが出ているので、見たいなーと思っていました。見終わったときの最初の印象は、映画らしい映画ということと、全体ちょっと懐かしい空気がする…ということと、でした。映画としてこなれている…といったら語弊がありましょうが、映像に迷いがないというか、ひっかかりがないところに腕を感じました。

どういう意味かというと、作られた映像ではなく、見ているとその世界が自然に感じられてフレームやカット割りを忘れるという意味です。あえて、映像美を全面に出す作品もあると思いますが、自分は、どっちかというと、誰かが撮影した世界であることを忘れさせるものが好きです。

懐かしい感じがする…と言ったのは、テーマが、かなり普遍的だなあと思ったからでした。普遍的…というより、あまり「時代性」は感じられないからでした。主人公の青年(=遠藤要)は、生まれたときから両親がなく、祖父母に育てられ、今では祖父も亡くなり、痴呆の始まった祖母と二人暮らしです。彼の生き甲斐は、ボクシング。ボクシングを通して、彼が変わっていく様子が描かれます。

すごく大ざっぱに言えば戦後であれば、いつでも成立する設定です。彼は貧しさや不平等な自分の境遇に怒りを抱いていますが、普段はおとなしく、その怒りをボクシングで昇華しています。時々、キレたり、叫んだりもしますが、青年像としては、わりとありがちなキャラです。彼を取り巻くひとびとも、それぞれ一定のキャラクターに収まっています。ボクシングを愛し、面倒見のいいジムのオーナー。けんかがしたいだけで、ボクシングをしている、半分やくざみたいな先輩ボクサー。わりと、みんな、ありがちなキャラではあります。

しかし、物語は、「ありがち」に進むことを大きく拒みます。

貧しさや不当な境遇に悶々としていた主人公は、ボクシングジムに取材に来ていた、漫画家(=岩瀬亮)と出会います。漫画家は、以前、"イエローキッド」というボクシング漫画を書いており、主人公がそもそもボクサーになろうとしたきっかけとなった漫画であることが途中でわかります。

ここから物語が動いていくのですが、キャラクターの設定とは別に、物語はいつも多くのひとの想像(あるいは期待)を裏切ります。裏切るというより、全然違う方向を突然しめします。

漫画家は、「イエローキッド」の続編を主人公のボクサーを主役にして描くことにするのですが、そのあとは、漫画と主人公の実人生と漫画家の人生が入り乱れて進みます。

昨日見た、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」にもボクシングが出てきますが、ボクシングって、独特の魅力があるようです。ストイックな、でも破滅的な。どこかに陰を感じさせる。

この物語もまた、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」同様、多くのひとが期待する、弱者がボクシングによってのしあがる、成功譚ではありません。「ボーイズ・オン・ザ・ラン」は弱者の姿をよりリアルに描こうとするのに対して、こっちは、「どこへもいかない」という選択をします。どこへもいかない…というのは、「ボーイズ」がリアルで惨めな結末を用意していたのに対して、「イエロー」は明確な結末もメッセージもまったく用意していないという意味です。

後半になると、どこまでが本当に起こったことで、どこまでは誰かの想像なのかわからなくなります。そして、主人公の怒りの矛先もよくわからなくなるし、漫画家がなにを望んでいるのかも、ごちゃごちゃしてきます。そして、映画は、そのごちゃごちゃのなかで突然終わりを告げるのです。これは、「狙い」なんだろうか。作劇を放棄することをあえて目指したのか。…たぶん、そうだよなあ。いくらでも、ドラマチックにまとめることはできただろうけど、あえて、それを外し続けた作品でした。

「ボーイズ」との共通点をもうひとつ。どちらもヒロインのような女性が出てくるのですが、どっちも途中で妊娠します。ううむ。女ってなんで、物語のなかで、いつも突然、妊娠するのか?それがちょっと気になりました。妊娠はドラマを展開させるための、女の持つ切り札ですが、その切り札はあまりにも使われすぎていて…。
なんだかな、です。

岩瀬亮さんのキモい漫画家像(でもわかる!)、遠藤要さんの鍛えられた肉体は見応えがありました。ただ、一番、怖かったのは、主人公のおばあちゃん。痴呆症の役柄でしたが、演技としたら、すごいなー、本物に見えました。

それから、今夜は、中村うさぎさんの「狂人失格」を読みました。いや〜面白かったです。面白かったという言葉は適切じゃないな。怖かったです。深刻でした。中村さんというかたはとことん正直なひとで、その真摯な姿勢にうたれました。

今日は、とても刺激的な作品にふれたので、気分が爽快になりました。新鮮な空気を吸ったみたいな気分。
なんか、自分も小説、ちゃんとがんばって書こうって思いました。

雲を友として…

2010年02月 09日 (火) 16:41


立松和平さんが亡くなった。

20代のころ、テレビの仕事で、北海道にご一緒したことがある。サロマ湖。

当時はADでした。そのあと、だいぶたってから、ディレクターになって、NHKの番組でも、出演していただいたことがあった。それも10年以上前のことだ。

優しくてまっすぐな方だった。

北海道の番組のときにいただいた、色紙。

いい言葉だなあと思って、大切にとってありました。

立松和平さんのご冥福をお祈りします。

映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」

2010年02月 08日 (月) 23:55
今日は、久しぶりのお仕事で、昼間から外に出ました。…すみません、普通、あたり前ですね。

久しぶり(およそ2週間ぶり)だと、どうやってふるまっていいかわからなくなり、最初は緊張して、うまくしゃべれなかったりします。もう、何年も一緒に番組作っている方たちなのに…。いつまでたっても、自分は、ダメ人間だと思いました。

それでも、とりあえず、仕事は順調(…だと思う)にこなし、終わってから、渋谷で、三浦大輔監督作「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を見ました。自分的には、今年一番の期待作です。ポツドールの芝居を見てから、すんごいなーとほとほと感心しており、感心が高まり、ポツドールの舞台に出ている役者さんたち数名に、自分の映画に出てもらったほどです。

どうやって演出するのか、いつか、こっそり見に行きたいです。それほど見たかったのですが、自分の映画が公開中は、なかなか、素直になれず、気持ちを抑えておりました。けど、さすがにもういいじゃないか、見たいもんを見なくてどーするよ!ということで、行きました。正直、「フローズンリバー」とどっちにするか迷ったけど、正直な心に従いました。

それで、感想なんですけど、予想より残酷でもエロくもなかった。なんか、もっと、ものすごいものを見せられてしまうのじゃないか…帰り道、自分なんか、映画撮っちゃだめだ…と深い穴に落ちるのではないかと心配しておったのです。

非常によくできた、青春映画だった。もちろん、普通の清潔な恋愛ものに比べたら、キツイんでしょうけど、舞台と比べたら、まろやか。映像だとそうなるのかな。それでも、人物を描く目線には、いっさいゆるむところがなく、とことん、「人間ってこういうもんでしょう」という冷徹な目が光ります。

主人公の田西くんは、最初から最後まで、とことん、惨めです。救いはないです。やられっぱなしの2時間だ。そして、彼が恋する千春ちゃんも、キレイごとゼロです。演じている黒川芽以さんは、「名曲探偵アマデウス」でよく仕事するんですけど、勘の良いまことに芝居のうまいひとです。その清純でかわいらしい彼女が、きっちり最後まで、清純派ぶっちぎってくれてよかった。このひと(=三浦氏)なんで、こんなに女子の気持ちがわかるんだろうって感じ。リアル。

いくらでも、観客を気持ちよくさせる瞬間は、あったと思うんです。それをいちいちはずしていく。カタルシスよりリアリティを選択しているんだと思う。その心意気が好きです。そして、そのような、ありがちなカタルシスでは描けない到達点…そこには、案外、なにもない、バカらしい俺…みたいなものしかないんだけど、それがよかったです。

見たのは、渋谷のシネセゾンですが、そこに、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のポスターが貼ってあり、監督からのコメントが書いてあった。これがね、見終わってから読むと効くんですよー。確か、

見終わって、いかがでしたか?
嫌な気持ちになりましたか?
そうなら、よかったです…。

↑みたいなことが書いてあった。やられたー。自分もそういうこと、書けばよかった。

映画見てさ、気持ちよかったねー、やっぱり、愛だよね、愛…とか言って、手をつないで家路に着くのを阻むような、自分がこれまで見て来たものは嘘かもしれない…と思えるような、そういうもんじゃなきゃ、見てもしかたないと思うのは、自分だけなんだろうか。

そんなわけで、邦画解禁したので、次は、「イエローキッド」です。岩瀬亮さんでてるしねー。

あ、数日まえの訂正を。伊丹十三監督が、死に方を描いたのは、「大往生」ではなく、「大病人」でした。間違えてました。すみません。

フリーランスで働くことについて。

2010年02月 07日 (日) 23:22
突然ですが、フリーランスで働くことについて考えた。

最近、知り合いでフリーになったひとがいて、そのひとが、すごい不安…とか言っていたので。確かに、大学を出てから、会社員としてずっと働いてきて、40代でフリーになるのは、不安だろうなあと思う。やはり、フリーは若いうちにやっとかないと。…いや、会社員も若いうちになっとかないと…ってことかもしれないから、どっちにしろ、「若くないと間に合わない」ってこと?…わからないけど。

自分は30歳で世の中に放り出されまして、所持金3万円、貯金30万円からのスタートでした。最初の一年はかなり貧乏だったので、その冬はコートを布団代わりにして寝たり、ヤカンもポットもなかったので、鍋でお湯を沸かして、おタマで紅茶を入れていた。本当にお金がなくなったとき、誰が頼りになるか、どうやって、お金を集めるか…ってこともその時期、ある程度は学びました。

もちろん、自分はギャンブルに手を出すタイプではないので、莫大な借金を抱えたことはないので、普通の働き方では返せない借金については、わかりませんが、だいたいゼロからのスタートは経験しているので、不安は少ないかな…っていうか、日常が不安定だから、いちいち経済的な問題で不安になったりしないなー。

これからの世の中、会社員になって、一生安泰ってひとも少なくなるのでしょうから、フリーも増えるんでしょうね。じゃ、フリーの心構えってなにか…っていったら、実はなにもないし、自分も安心して毎日生きているわけじゃない。ただ、ちょっとやそっとであたふたしない根性はある。

一応、テレビのディレクターという手に職があるように見えるけど、これもいつまで通用するかわからないし、まったくなんの保証もないしね。

ひとがなにかに不安を持つとき、その理由のひとつには、自分が理想とした姿、あるいは、多くのひとがそうしているだろう雛形と自分が離れてしまう…と想像するからじゃないかな。

無縁死の問題にしても、"普通は"、愛する妻や子供や孫に看取られて死ぬのだ…それこそが幸せの形なのだ…と思っていたら、ひとりで死ぬことが不安になるだろうけど、「みんな、最後はひとりぼっちです」と言われたら、「そうかもなー」と胸をなで下ろすこともできるかもしれない。

この「みんな、ひとりです」とか、「たとえ、ひとりでも、最後は神さまが迎えに来てくれます」って、信じさせてくれるのが、宗教の力だよなあ。無縁死=さみしい…と考える背景には、やはり、宗教の不在があるようにも思う。無縁死を避ける方法のひとつに、宗教に入っちゃう…というのもある。(勧めているわけじゃあ、ありませんよ、別に)。だって、宗教って、死の恐怖から生まれているところがあるんだもん、どんな宗教だって、ちゃんと答えは用意されているはず。

先日、朝日新聞の悩み相談コーナーで、「妻が新興宗教にはまっていて、困る。離婚も考えているが、宗教を理由に離婚したくない、どうしたらいいか」という相談があった。答えていたのは、作家の車谷長吉さんなんだけど、この答えが秀逸だった。(以下、記憶の範囲で再現)

人生は辛いことの連続です。それから逃れる道はない。連続してやってくる辛い目から逃げる方法には、発狂するか、自殺するかしかない。しかし、宗教に入れば、それなりに救われる。お金もなくなるかもしれないけど、他にそんなに「手」はないと。生きる苦しみにまっこうから立ち向かうのには芸術があるけど、それを貫くのは、人生の辛さを乗り越えるよりもたいへんだと。辛いことが連続しているらしい、その妻を、夫であるあなたが、宗教から抜け出させる手はないです…と。

これじゃあ、相談にならないじゃないか…とも思うけど、痛快であった。ここで、気休めのように、夫であるあなたの「愛」で救ってあげてください…などと、いい加減な答えを出さないところがいいと思った。いえ、だからって、解決したわけではないと思うけれども。

フリーランスの話からずれました。けれども、なにごとも多く、あるいは、架空の「普通」を求めると苦しい…ということではないかしらん。この世に「普通」なんてもんは、そうそうなく、それからはずれたところで、右往左往してもしかたないってことで。つまり、すべて、考え方次第ではないか…まことに、いい加減な結論で失礼。

犬と長い長い散歩と映画2本

2010年02月 06日 (土) 20:50


日が暮れかかる頃、犬を連れて、長い散歩に出た。

「長い散歩」とは、基本2時間以上をさす(@当社比)。最近は、寒いので、防寒をしっかりして、ジンジャーミルクティーを入れたポットも持参して出発する。犬は、いつも通りの毛皮だけど。

本日は、16時半頃、出発して、アリスリバーパークに17時頃着。なんとか、日没に間に合った。寒さのせいで、ひとは少なめ。でも、犬連れのひとは結構いる。犬と歩くのは楽しいからね。



暮れかかる公園で撮影した、花。…梅だと思うけど、わからない。

公園の近くの街、広尾はコじゃれた奥様なども多い。公園を出て、ふらふらしてたら、すごい勢いで、チワワ数匹が吠えてた。

小さい犬はよく吠えるなーと関心していたが、チワワの吠え方があまりに激しいので、「吠え先」を見た。すると、そこには、巨大なクマが…。いや、きれいなロシアンセーブルの毛皮を着た女性だった。かなり狼狽しながら、「なんで、吠えるの、わんちゃんたち…」とか仰ってた。チワワたちは絶対、相手をリアル獣と思ったようだ。

うちの犬は、ちゃんと、人間だって認識してたみたいで、スルーしてた。

そんなエキサイティング…でもないか、散歩をして、帰って来た。体調が戻ったのをいいことに、22時から映画を見に行った。「アバター」「かいじゅうたちのいるところ」「抱擁のかけら」のどれにしようかと迷いつつ、並んでいたら、「アバター」満席。「抱擁〜」までは、時間がかなりあるので、「かいじゅう〜」に決定。

ところが、「かいじゅう〜」は、3千円だという。三千円?プレミアシートってやつで、飲み物付きだって。えー飲み物持ってきてるし(ジンジャーティを持参)、しかも、自分、映連入ってるから、普通なら千円のはず…。どうしようかと思ったけど、いいやってことで、「かいじゅう〜」を見た。

ううん、いい感じなんだけど、最後まであの世界に入り込めず。かいじゅうたちが、老人にも、犬猫にも見えた。子供が老人の国へ、逃げ込む話はどうかな…とか考える。

見終わって、これで3千円かーと思うとやるせなく、次の回の「アバター」を見ることにした。3Dだけど、1300円なり。

いや〜すごい消耗した。敗因、その1,ポップコーンを買って、始まる前に食べてしまったこと。基本的に気持ち悪かった。敗因その2,隣のカップル。始まってから、10分くらいは、女性のほうが、ずっと喋っている。「あれ?なに?」とか、「びっくりしたー」とか。彼氏が時々、注意して「しーっ!」ってやるけど効き目なし。彼女、しゃべり続ける。

しかし、こちらも、強烈な3Dと爆音に気分が悪くなり、隣の席どころではない。自分、基本的に、戦争もの苦手。生き物が殺されるシーン…それが敵でも…続くと気持ち悪くなる。どこかの国で、「アバター」見ている途中で亡くなったひとがいた…というニュースを思い出す。自分もかなり危機的状況。気持ち悪い。

ふと、気づくと、隣のカップルが静かになっている。おしゃべり彼女も戦闘シーンに気持ち悪くなったのか、なんだ、同じ、平和主義者じゃない…と思ったけど、彼女、爆睡中。まあ、しゃべっているよりいいか。このひと、エンドロールまで、寝てた。

いや〜ものすごい作品なんだけど、ストーリーの基本ラインは、最初からわかっている…人間=侵略者が結局負けるお話…というか、予想が付くから、映像美を見に来たようなものだけど、その映像美も強烈すぎて、気持ち悪くなる。自分ダメだ、3D,苦手。

前に、スイスの登山鉄道に乗ったとき、空気が薄くなって死にかけたことがあったけど、それを思い出す。アバターとシンクロするために入るお棺のようなカプセルに自分が入れられているような気がしてくる。自分、ものすごくシンクロ率高いので、息苦しくて…。

ジェットコースターに乗っているような感覚(陳腐な表現か…でもかなり近い)は、とても苦手。落ちていく気がして…。三半規管がきっと悪いんだろうな。たぶん、一番の見所のシーンでは、固く目を閉じました。一緒に落ちちゃうから。

具合が悪い話はこれくらいにして、映画の中身。アバターとシンクロするために、装置のなかに入る…という発想は、エヴァンゲリオンみたいだなーって思った。似たような戦闘機も出てくるし。実際、戦争ってもうすぐ、そういうロボットによる、代理戦争になるのかな。

地球軍が滅ぼそうとするナヴィのひとたちは、さんざん言われているだろうけど、西欧人がこれまでの歴史で痛めつけてきた、インディアンやアジアやアフリカの文化を彷彿させる。戦闘機が飛ぶシーンは、まさにベトナム戦争…と言っても、見たわけではなく、映画のなかで描かれてきたベトナム戦争に似ていた。

対抗するナヴィのひとたちは、自然と共存し、エイワなる木の神さま(?)を大事にしているひとたち…ひとじゃないけど。彼らの暮らしは、叡智に満ちている。かつて、人間もそうであったかもしれない、とされる良き原型。

けど、冷静に考えると、彼らの造型のなかに、アジア的、インディアン的、アフリカ的な空気はあるけど、いっさい、イスラム的な空気はない。ナヴィはこれまで、西欧人が侵略し終わったひとたちの総合イメージであって、現在、侵略できていない、…つまり、未だ、敵だと思っているイスラムのイメージは排除されている?

最後は、地球人(=西欧的な侵略者)が、ナヴィの人たち(=アジアやアフリカ、インディアンに共通する自然と共存するひとたち)に負けるお話だから、そこには、どーしても、イスラムのイメージはいれたくなかったのではないだろうか。余裕のハリウッドでは、すでに、侵略しつくした者たちのイメージに花を持たせることはOKでも、いまだ結論の出ていないテーマには触れたくなかった?

3Dの強烈な映像に目を奪われるけど、その背景にある歴史観にもうちょっと注目してもよかったかな。具合悪くてできなかったけど。

ナヴィはひとつの星だから、地球軍、最後には撤退してくれてよかった。これが、同じ地球だとそうもいかなかったんでしょうね。でもって、女性は、地球軍のなかでも、「よきひと」として描かれていた。最後までナヴァのために闘う、かっこいい兵隊のねえちゃんとか、科学者とかね。これまで、弱者とされてきた、あるいは、自分たち(西欧人の男たち)が侵略してきた、女性、第三世界のひとびとに花を持たせるストーリーでした。

けど、自分、基本、戦争もの苦手。たくさんのひとや生き物がじゃんじゃん殺されるのを連続で見せられるのは、気持ち悪くなる。確かに、侵略してくる地球人も悪いけど、結局、「殺し合い」しか解決の方法ってなかったのかな。もちろん、映画的カタルシスのためには、派手な戦闘シーンが必要で、お約束のように、「悪者」は胸に剣を2本も受けて、絶命するし、その他にもとにかく、いっぱい、死ぬ。死、死、死の連続。ひとは結局、そういうシーンを求めているの?それが3Dによって、より臨場感あふれるから、世界中で大ヒットしているの?冷静に考えると、趣味悪くない?そんなに戦争の絵が見たい?そんなに生き物が無駄に死ぬシーンが見たい?それにそんなに興奮するの?

反戦のため、反面教師のため…って理由もあるとは思うけど、けど、真実の闘いはああいうもんじゃないだろうし。気持ち悪かったです。

正直、自分が見たいのは、予告編で見た、サラ・ジェシカパーカーとヒュー・グラントが共演する、夫婦ものとか…そっちがいいです。

やっと、地球に帰って来た…。

ナヴィをナヴァと間違えてたのを、今、直しました。

深夜の街で出会うもの。

2010年02月 05日 (金) 00:12
今日は、朝からずっと頭痛がしたので、寝てばかりいました。

だいたい、起きたのが、3時だし。(夕方の)。

前に韓国に行った時、「朝型人間」っていう本が流行っていて、朝早く起きて動き出すといろいろうまくいく…というような内容だったけど、最近、日本でも、「早起きするといいことが起こる」的な本が売れているらしい。

そのような記事を、午後3時に起きて、布団のなかで読む。典型的なダメ人間の一日の始まりだなーと思う。しかたがないので、犬を布団のなかに呼び入れて、じゃれあう。ドッグプロレス的な。

二年前まで犬は二頭いたので、犬同士でプロレスをしていたが、一頭になってからは自分が相手をしている。布団のなかで、犬とからんでいると、野性が蘇る感じがして、こよなく、楽しい。顔や手が犬の口からでる液体でべたべたになる。

夕方近くまで寝て、犬とじゃれあうとは、背徳的な時間だ。今週は、ほとんど、働いてないし…。まあ、そんな時もあるさ。

そのまま、布団のなかで、イーセン・ケイニンの「会計士」という短編を読む。まじめな会計士が、人生で一度だけ犯した小さな罪のお話。野球の話がたくさんでてくるので、野球がほとんどわからない自分には、そこらへんが、ちょっともったいなかった。野球好きなら、もう少し楽しめるんだろうなー。

話は飛んで、深夜。

さっき、犬と散歩してきた。公園に居たら、警察のひとが2名ほど来て、懐中電灯で草むらを照らしたり、ゴミ箱のなかを覗いたりしていた。「脱獄王」を見て、それほどたっていない自分は、「誰かが脱獄したんじゃないか」と思って聞いてみたけど、「パトロールです」と言われた。

これまでも、パトロールしている姿は見かけたけど、たいてい、ミニパトでクルクル回っているだけで、降りて公園まで入ってくることなかったのに、変だなーと思う。さらに驚いたのは、その警官、ミニパトを近所のコインパーキングに停めていた。律儀にお金払っていた。

まあ、常識的に考えたら、普通のひとはみんなそうしているのだから、当然だけど、警察もちゃんとお金払うんだと思ったら、いいような悪いような。まあ、いいのか?

その後、さらに歩いていたら、タクシーに舞妓さんが乗っていた。確かに舞妓さん。後部座席にお金持ちそうなおじさんと並んで座っていた。へえ、東京にも舞妓さんっているんだ。

さらに、歩くと、前から携帯で大声で話す女性が。しかし、何言っているかわからない。激昂しているから、わからないのかなーと思ったら、フィリピンのひとだった。タガログ語だと思う。

舞妓さんもいるし、フィリピーナも怒っておる、警官は、猫でも探しているいたいに、暗がりを照らして歩いている。深夜の街は、いつもながら、エキサイティング。

犬がいる幸せ。

無縁社会についてその2

2010年02月 04日 (木) 01:07
「その2」としたけど、「その1」があるわけでなく、「その1」に当たるのが、「イメージに踊らされたくない」(2月2日の日記)になります。

2日前に見た、NHKスペシャル「無縁社会」によって、考えたことをもう少し。

「さと」さんからもメッセージが来たので、書き足りないなーと思った部分を書こうっと。

番組のテーマは、ひとりで亡くなり、名前もわからないまま、埋葬されるひとが増えている(年間三万人以上)ことをレポートしたもの。いろんな形で、ひとりで死ぬひとがいる、なぜ、ひとりで死ぬことになったかを追いつつ、ひとりで死ぬことを恐れるひと(高齢者)も同時に紹介していた。

孤独死=悲しいこと…というとらえ方に、非常に違和感を感じるし、どんなにたくさんのひとに看取られようと死ぬときは誰だってひとりなのだから…と思った。そして、孤独死の原因が、家族とも社会とも「縁」のうすい「無縁社会」になっているから…という論法にもちょっと無理があるように思った。

まず、一人で亡くなり、身元不明のまま、埋葬された…と紹介されていたひとが、NHKのスタッフが調べると、名前も故郷も、家族さえも判明していた。つまり、身元不明ではないじゃん。これって、自治体の手抜きなんじゃないの?ちゃんと調べれば、名前も故郷もわかるのに、「しない」だけでは?

いいわけとしては、かつては、そんな形で亡くなるひとはまれだったので、ノウハウが自治体にない…と言えるかもしれない。ひとりで亡くなったひとの名前や家族を探す部署も予算もないので、結局、「身元不明」にしてしまう…ってことかもしれない。本当は、そこらへんの対応を自治体のひとにインタビューしてもよかったんじゃないかな。断られたのかな?

いや、もしかすると、番組で調査できたのは、ごく一部で、ほとんどのひとは、調べても名前さえわからなかった…ということかもしれない。そのあたりをもう少し詳しく知りたかったように思う。でも、基本的に番組を批判するつもりはなくて、無縁で死ぬことは「悪」なのか、避けなくてはいけないことなのか…ってことに注目している。

番組のなかで、身元不明のまま埋葬されるひとは、「行旅死亡人」という、瞬間的に詩的に思える言葉で表されることを知った。旅の途中でなくなったみたいな言葉だ。で、それはともかく、ちょっと気になり始めたのは、「名前もわからず埋葬される…」ことが、最大の悲しいこと、ひどいこと、あってはならないことなのか…ってこと。

死んだらみんな「無」になっていくのだから、「名前」から解放されてもいいんじゃないか…と思った。仏教だと、戒名などをいただくけど、本人は死んでしまったのだから、どんな戒名になっても知りようがないし。遺族にしても、戒名にどれくらい親近感を持つのだろう。正直、自分は、父の戒名を思い出せない。

死んで灰になったら、少なくとも、自分は、名前なんてどうでもいいな。だって、関係ないじゃないか。そういうことは本質的な問題ではないんじゃないかな。

(もちろん、死に対する考え方は、宗教観によってだいぶちがうので、一概には言えないが…)

誰にも看取られないまま、亡くなるのがイヤなら、それをしてくれるシステムがあればいいってことじゃないのかな。かつては、それが、家族ってことだったんだろうけど、家族というシステムが終わりをつげたので、たとえば番組で紹介されていたようなNPOが生まれているってことだ。家族の使命は終わったんだよ。

それは、誰かが、「家族」をやめろ!と指示したわけではなく、自然な流れのなかで、多くのひとが家族を持つことを選ばなかった結果にすぎない。

この問題は介護の問題と似ているなーと思った。少し…ということもないけど、だいぶ前は、介護は家族がするもの…的な考え方もあった。老いた親の面倒を子供(多くは嫁か娘)が見るのが当然とされた。子供に老後の世話をしてもらえないことは、悲劇のように語られた時代もあった。

が。すでに、それは過ぎた。

娘や嫁だけが、老人の世話をするにはあまりに、大変だからだ。そこで、たくさんの介護施設や介護を仕事にするひとが生まれた。今、そういったプロの手を借りることに違和感を持つひとは減ったんじゃないかな。

「無縁社会」が放送される前の番組は、深夜に老人介護してまわる女性のドキュメンタリーだった。もちろん、女性と介護される老人は、血縁ではない。彼女は一晩に数名の老人の家を訪問し、おむつを替えたり、食事を食べさせたりする。プロとしてその仕事についている。とても前向きですがすがしい感じの女性だった。老人たちも彼女を慕っているように見えた。

彼女のようなひとが居れば、孤独死は減るだろう。なんか、番組の前の番組で、結論を先に放送しちゃっているように思ったのだけどね。

最愛のひとに看取られて死にたい…という気持ちはわかるし、自分もそうあってもいいな…とも思う。けど、それは結果論だし、だいたい、女のが寿命も長いし、必ず布団の上でそのときを迎えられるかどうかわからないのだから、美しいイメージは、イメージとしてとらえながら、現実を見て生きたいなーと思いました。


映画「板尾創路の脱獄王」

2010年02月 03日 (水) 22:19
今日は、久しぶりに映画を見に出かけた。

「板尾創路の脱獄王」@渋谷

いろいろ見たい邦画はあったんだけど、なにしろ、自分のが公開中は、なかなか冷静に見られないもんで、ちょいと控えておりました。

洋画に行く…という手もあったんですが、「アバター」も見てないし、しかし、気分は邦画ってことで、なかで一番気になっていた、《脱獄王》に行きました。

ふうむ。こういうお話だったのか。不思議な構成で、最後の最後まで見ないと面白さはわからないような作りになっている。狙ってこの構成なのか、結果的にこうなったのかはわからない。大まじめにここまてひっぱってきて、そうくるのか…という落ちである。この落ちがなんともいえない、軽さがあるので、嫌いじゃないけど。

やりたいことをやりぬいたような作品でした。

それにしても、松本人志氏の「しんぼる」といい、吉本の人気芸人さんなのに、なぜ、ふたりとも、自らが閉じ込められるお話を作るのかしら。そして、そこから、なんとしても抜けだそうとする話なんだろうか。安易には、「今いる場所に閉塞感を感じている」って見方をしてしまいそうだけど。

なにか、「逃げ出す」ことに過剰な憧れがあるのかな。特に外になにもないことを知りつつ。

役者として、板尾さんは、「いつか仕事したいひとリスト」にもちろん、入っているけど、もうひとり、最上位の津田寛治さんが、また、よろしくて。津田さんってほんと、いいなあ、うまいなあ。年齢不詳だし。絶対、いつか仕事したい。それも映画がいいなあ。

と夢を語ったところで…。

雪が降り始めたので、早々に家に帰り、ラジオのポストキャットで「文学賞メッタ斬り」、今期の芥川賞編を聞く。豊崎由美さんの松尾スズキさん評が優れていて、拍手したくなった。この番組の情報は、ツイッターで知ったし、アドレスも書いてあったので、便利。ツイッターで知ることが広がっている。

家にいても楽しいこといっぱいあるなー。

イメージに踊らされたくない。

2010年02月 02日 (火) 01:51
NHKスペシャルの「無縁社会」というのを、再放送で見てました。

「無縁」って言葉が気になったので…。

大ざっぱに内容を説明すると、年間3万2千人(千の単位はうろ覚えなので失礼、三万人以上ってことです)のひとが、身元不明のまま亡くなり、遺骨の引き取り手のないまま、無縁仏として埋葬される…家族がいても、引き取りを拒否することもあり、社会とも家族とも「縁」のうすい、無縁社会が広がっている…というものでした。

どーも、自分は、こういうテーマだとひっかかってしまう。まず、ひとりきりで死ぬことを孤独死といい、それがあたかも、悪いこと、ひどいことのようにとらえているように見える…。そうなのか?

もちろん、一人きりで死に、誰にも発見されないことによって、腐敗し、まわりに迷惑をかけたとしたら、あまりいいとは思えないけど、「ひとりで死ぬこと」そのものは、それほど、悲しいことなんだろうか。まわりに誰かいたって、死ぬのはひとりなんだし。孤独=悪のようなとらえ方に違和感を持つ。

伊丹十三監督の作品に「大病人」というのがあり、主人公の映画監督はたくさんのスタッフや家族に囲まれて死んでいく。ある種の理想的な死に方なのかもしれないけど、これを撮った伊丹さんは、自ら命を絶った。(…ということになっている、真相はわからないけど…少なくとも、たくさんのひとに囲まれて亡くなったわけではない)。それを私は皮肉だとは思わない。たくさんのひとに囲まれて死ぬことが、自殺よりいいこととは別に思えない。

家族との縁が薄いこともまた、それは悪なのか?と思ってしまう。また、なかに登場する、「生涯独身」のひとたちの増加についても。結婚しないこともまた、悪なのか?

番組では、ひとつの救いとして、孤独死した男性が生前決して、ひとりきりではなかった例を紹介していた。老人は一人暮らしであったが、近所の子供と家族のようなつながりを持っていたというエピソード。

つまり、家族ではなくても、配偶者でなくても、誰かとつながりを持てればいいよね…ということだろう。彼は、孤独じゃなかった…という結論。番組をまとめるには、希望を提示することが必要で、ドキュメンタリーの構成の王道である。制作サイドの気持ちもわかるし、よくできているのかもしれない。

けど、自分には、このエピソードより、生涯独身で看護師として働き、自分の葬儀、埋葬を引き受けてくれるNPOに申し込んだ女性のほうに希望を感じた。女性は、誰にも発見されないまま、死ぬことを恐れ、それを引き受けてくれるNPOに申し込んでいるのだ。そして、いずれ、自分が入る予定の合同墓地を訪れる。

そこで、彼女は言う。

今、ひとりぼっちだから、死んだら、にぎやかにやりたいから。…だから合同墓地がいいと言う。そして、

あっちの世界でも同じ仕事(=看護師)をやりたいと思うの…と続けた。

なんか、とってもいい人生を送ってきたひとなんだ…と思った。ひとりで生き、働き、自分の仕事に誇りを持って、そして、ひとりで死のうとしている。かっこいいじゃないか。そして、彼女がひとりで亡くなったとしても、それを「無縁死」として、悲しい出来事みたいに片付けるのは、いやだなあと思った。

無縁死、上等。

それに、実は、孤独であることを、多くのひとは、望んでいたんじゃないか。

番組の中盤に、50代で離婚、銀行を定年退職後は、老人ホームで暮らし、やはり、生前に自分の葬儀をNPOに頼んでいる男性が紹介されていた。彼は、両親の墓参りに出かけ、言葉を詰まらせながら、こう話す。

いつか、銚子に行った時、老夫婦がふたりで尺八を吹いているのを見た。自分もあんなふうに老いたいと思っていた…と。(文章は記憶にしたがって書いたので、あいまいです)。

その男性は、そこで、言葉を詰まらせる。つまり、彼は孤独を望んでいない…ということを強く印象づける。けど、自分なら、こう返したくなる。

「その尺八の老夫婦だって、見た目ほど幸せとは限らないですよ。そういう物語に見えただけですよ」

家族、老いても手を繋ぐ夫婦…そういう物語に踊らされちゃダメだ。それは「幸せ」のイメージ映像に過ぎない。そのイメージのなかに入っても、幸せを自分が感じられないことがあることを、本当は知っているんじゃないか。あるいは、自分はその状態が幸せでも、となりにいる妻は、ちっとも幸せじゃないってこともありうる。

おっと、過剰に反応してしまった。

いい悪いはともかく、地殻変動のように社会が変わってきているのは確かだ。けど、縁が薄れたのではなく、今まで、それだけが「縁」とされてきたものの強度が弱くなっただけだと思う。その使命は終わったんだよ。だから、薄れる。薄れるのを止める必要なんてないと思う。

そういうことをつらつら考えた。

あの一人暮らしの元・看護師だったおばあちゃんの手を握りたくなった。

雪の夜と長い長い友情の物語。

2010年02月 01日 (月) 00:49
今日は、寒い寒い一日だった。

夜になると、雪も降り始め、年も明け、なんとなく、もう、すぐ春かな…と気をゆるめ始めた自分は、「まだ、まだ、冬じゃー!」と、冬将軍に一喝されたような気持ちになった。

けど、雪は好きだ。

雪が降るとわけもなくうきうきする。日が暮れてからは外にでなかったけど、何度も窓の外をのぞいて、「おー降ってる、降ってる」と確認した。積もりだすとまた、うれしくて…。もちろん、困っている方もいると思うので、手放しで喜ぶと気が引けるけれども…。

今日は、雪が降った以外でも、いいことがありました。いいこと…っていうか、じんわりきたことというか。

大学の時、一緒に自主映画を作っていた友達の松原耕二くんが…くんづけで呼ぶには、あまりに彼は偉くなってしまったけど、大学時代の思い出にからめて、自分のことや映画のことをエッセイに書いてくれた。

糸井重里さんのやっている、人気hp「ほぼ日」。なかで、松原くんは、エッセイを連載しているのだ。TBSのニューヨーク支局長だったので、アメリカに関する話題がこれまでは多かった。オバマ大統領のことととか、映画なら、クリント・イーストウッドとか。大物の話だ。

なのに、今回、自分たちのことを書いてくれて、それがなんとも、じんわりして、とても嬉しかった。今、自分の映画が公開中なので、応援してくれる気持ちがあって、この時期に発表してくれたのだ。すんごいありがたいことだ。深く暖かい友情なのだ。

自分はなにも返せないけど、こんないつもはすっぱなことばかり考え、キレイな話の苦手な自分だけど、素直になることもある。じんわりした。

とてもすてきな文章を書くひとなので、ぜひ、読んで見てください。

冷静なのに、優しさと柔らかさを持ったていねいな文章だと思う。(これ、自分のことを書いてくれたからじゃなくて、同じ物書きとして、思うことです。上質な文章…)。

「ぼくは見ておこう」BY松原耕二

余談ですが、自分の初監督映画(大学生のころの8ミリ映画)、主演は、この松原くんなのであった!
映画「すべては海になる」情報!
映画「すべては海になる」ポスター
1月23日(土)より
新宿バルト9、梅田ブルク7ほか
全国ロードショー

配給:東京テアトル ©メディアミックス・ジャパン


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小学館文庫「すべては海になる」

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