1年前とのギャップ

April 17 [Tue], 2012, 1:06
震災1年までは何となく気も張っていたけれど、それが過ぎてから
気が抜けたのと、女川とすっかり震災なんて過去のものになっている
首都圏との落差でスッキリしない気持ちでいたので、ブログからも
遠ざかっていました(-。-;

東京での自分の周りでは、震災の話題が出ることはめったになくなりました。
自分から話すこともまずしないです。
こうやってどんどん忘れられていくんだろうな…という焦りがないわけでは
ないのですが、いまひとつ気合が入らないのです(~_~;)

1年前は、うちに女川で被災した妹と赤ちゃんの姪が避難してきて共同生活
をしていました。
親もまだ仮設には入っておらず、石巻に仮住まい先を見つけた頃です。
被災後の女川にもまだ行っていない頃でした。

あの頃は、まだ毎日が必死だったのですが、1年経ち、表向きは落ち着いている
現在の生活も何となく居心地がよくないものです。

このまま、何事もなかったかのように毎日を送っていいのだろうか?
自分にもできることがあるのに何もしていないのではないか…という思いが、
日常生活でも少なからず悩みを抱えている自分に、さらにのしかかって
くるような感じです。

取るに足らない悩みなのは承知の上なのですが、家族にも話せず、
眠れない夜中に、つぶやきたくなる時があるのです。
140字にはまとめられないので、ツイッターではなくブログで。

先日、1年前に一緒に暮らしていた姪と1年ぶりに会いました。
すっかり警戒され、抱っこすらさせてもらえませんでした(ーー;)
1年前は、毎日お風呂に入れ、抱っこもしていたのに…。
ちょっと悲しかったです(T_T)

ジグソーパズル

March 26 [Mon], 2012, 16:22
最近、私と次男とでジグソーパズルにはまっています。
一度やり始めるとやり遂げるまでやめられず、1日に一個ペースで
作っています。

5歳の次男は、板なしタイプは初めてでしたが、70ピースからはじめ、
108ピース程度なら、一人で1時間ほどで作り上げることができるようになり
ましたo(^-^)o

付き添いでやっていた私の方もすっかりはまってしまい、プチジグソーという
ピースが小さいタイプのを夜な夜なピンセットを使って作ったり、ピースが
はまって、どんどん出来上がっていくときの感覚が何とも気持ちよくて
連日夜更かししています(^-^;

今は、500ピース程度ですが、1000や2000にも挑戦していきたいと
思っています。

これまでに完成させた作品達の一部。





311から1年です

March 11 [Sun], 2012, 1:11
あの震災から1年が経過しました。

ついこの前の出来事のような、それでいて遠い昔の事のような
不思議な感覚です。

この1年、本当にいろいろな経験をしました。
今まで生きてきて1番波乱に富んだ年でした。

私は、初めての出産の時、大変なトラブルが起こり、通常の幸せな出産とは
正反対のシリアスなものとなりました。
長男は、生まれた直後に救急搬送され、数ヶ月の入院生活となりました。

それまでの私の人生は平凡ではあるけど、特に何事もなく平穏に暮らして
いました。多分そこそこ順調にきていたと思うのです。
それが、出産でその思いが大きく崩れました。

今でこそ元気な息子ですが、はじめは生きるか死ぬか、はたまた障害が残るかも
と宣告されたくらい、初めての出産は普通の人とはかけ離れたものでした。

その時の経験から、私は、少数派になる人の気持ち…みたいなものに敏感に
なっていきました。
この出産の過酷な経験から、もう自分にはこの経験を超えるような事はそうそう
起こらないだろうと勝手に思っていました。
そして、この時地獄に落とされたような思いをしたから、ちょっとやそっとの
事が起こったくらいでは動じないだろうと思ったりもしました。

でも、あの震災はそのような思いを軽く吹き飛ばしました。
両親と妹と生まれたばかりの姪を同時に亡くしたのではないか…と一時は
最悪の事態を覚悟しました。
遺体安置所を回って家族を探す自分の姿を想像し、身震いしました。
そんなことを1年前は考えていました。

1年後、まだまだ復興にはほど遠い故郷の現実があります。
日本全体でも、原発の問題等問題は山積みです。

でも、家族は誰一人犠牲にならずに元気にしています。
生後1ヶ月で大地震と大津波を経験した姪は、順調すぎるくらいに成長し、
1歳前から歩き始めました。

いろんな事に感謝しながら、311という日を過ごしたいと思っています。






気持ちのアップダウン

March 06 [Tue], 2012, 0:04
みなの人生を激変させたあの2011年3月11日からもうすぐ1年。
季節が春というにはまだ寒さの残る、そんな日にあのものすごい地震と津波は
きました。戦後の日本がリセットした日とも言えるのかも…。

1年に合わせて、関係者の気持ちを落ち着かなくさせているのは、やはり
震災特番が増えてきていることも関係あるような気がします。

大津波の映像を見る機会も多く、また津波で家族を失った人達のその後、
原発で故郷を追われた人達のその後など…。震災の直後にはまだ浮かび上がって
こなかった実態を追うドキュメンタリー番組も多くなっており、それらを見た後は、
ずしーんと現実が重くのしかかり、気持ちが沈みます(>_<)

落ち込むことはわかっているので、見ないほうが賢明なのかもしれませんが、
それができたら苦労しないというものです。

現実を見ると辛くなるけど、目をそらすわけにはいかない。
現実をありのままに受け止めることしか自分にはできないのだからと
どこかで追い詰めている面もあるような気がします。

けれども、人間はそんなに強くないです。
特に、私はテンパりやすく、焦りやすいです…(-_-;)

不安定になった気持ちの犠牲になってるのは、夫です…。
夫には、震災後あらゆる面で迷惑をかけていると自覚していますが、
震災1年を前にして、またもや安定していた気持ちが乱れ気味で、
悪いと思いつつも、あたってしまうことが多いです。

ほんとうにごめんなさい。
でも、そのかわり子どもには悪影響及ぼさないように気をつけるから、
もうちょっと我慢してください。
…って、本当はこういうことをちゃんと面と向かって言えればよいのでしょうが、
なかなか素直な性格じゃないもので。。。

311まであと6日。

温度差

March 02 [Fri], 2012, 0:24
3月に入り、いよいよあの大震災から1年が経過しようとしています。
私としては、あの日から1年経つのか…と感慨深く、ここ最近は、震災当時の
記憶を思い起こす機会が増えています。

春に近づき、気持ちは軽くなっていく季節なのに、逆に去年の今頃のことを
思い出し、「あの時は震災から○○日前だ・・・」とカウントダウンの記憶ばかり
を思い出していたり、ネガティブモード全開です(-_-;)

でも、そういう風に、震災モード一色になっているのは、おそらく、東北沿岸部の
関係者だけなのかなぁ…と思ってしまう現実もあります。

先日、ランチに入ったお店で、お店の方と常連さんらしき人達の会話が聞こえて
きました。常連さんが、犬を飼うとかで、いつ犬がやってくるのかを話している
ようでした。「いつくるんですか?」「11日なんですよー」「もうすぐですね!」
それだけでした…。

その会話を聞き、「そっか、何も関係のない人達にとっては、311なんて、ただの
普通の1日に過ぎないんだなー。こうやって気を揉んで落ち着かなくなっている自分
の方が、普通の人達と温度差あるのかも」という現実を思い知りました。

事実、震災以降、東北から離れた地に暮らしている東北沿岸部出身者は、この
「温度差」というものに何度も悩まされてきているのではないだろうか。

現実をすべて包み隠さず話すと、ただ引かれてしまう。
みんなにも被災地の現実をわかってほしいけど、時間とともにそれを伝えることは
だんだん難しくなってきています。

つい最近も、励ますつもりで、「私だって実家流されたからさ…」という、やや自虐の話を
しましたが、やはり引かれてしまい、軽く落ち込みました(-_-;)

人は皆忘れやすい生き物です。
私も、当事者でないときには、すぐに忘れてました。

でも、震災以降、無関心が最大の罪だということもわかりました。
特に何かできなくても、気にかけてもらえるだけですごくうれしいということも
わかりました。

今後も、できること探し、続けていきます。

震災後1年経って言えること。

February 22 [Wed], 2012, 0:08
冬の寒さも少しずつやわらぎ、春の訪れが心待ちな今日このごろですが、3月が近づいて
くると、どうしても311のことを思い出して落ち着かない気持ちになります。

あれからもう1年経つのかという気持ちと、遠い昔の出来事のようにも感じるし、
何だか変な感じです。

1年経ったから、言える本音もあります。

震災から家族の生存を確認できた震災後4日目まで、たかが4日間とも思いますが、
その間は地獄のように長い時間で、今思い出しても胸が苦しくなります。

その間、夫や息子は、決して絶望的なことは言いませんでした。
言えなかったというのが正しいと思います。

でも、心の中では、多分駄目だろうと思っていたそうです。
1年経って、当時の本音を聞かせてくれました。

私自身も、震災翌日の女川の空撮映像を見たときは、絶望の淵に立たされましたから、
あれを見て、生きてるという前向きな希望を持った人は少数派だったのではと思います。

安否がわかるまでの間、小学生の息子は、ずっと「みんな絶対生きているよ!」
と言い続けてくれました。ありがたかったけれど、当時の私はその言葉を素直に聞き入れる
余裕がありませんでした。

ふと、最近、息子に、あの時本当に生きていると思っていたのか聞いたところ、
「多分死んでると思っていたけど、そう思いたくなかった」と言っていました。
日ごろ、何かと鈍感な息子にイラっとすることも多いのですが、ちゃんとわかっていた
んだな…とちょっと胸が熱くなりました。

もうすぐ震災から1年。どんな気持ちで迎えるのか、今からちょっとそわそわしています。

震災後11ヶ月

February 12 [Sun], 2012, 23:14
早いもので、来月で震災から一年が経ちます。
311が近づくにつれて、よく女川の夢をみることが増えました。

ある時の夢は、実家近くの道を歩いていて、懐かしい顔なじみのお店に
入るのですが、夢の中の自分は、もうその光景が失われたものだと、
なぜか知っていて、悲しくなる…という夢でした。

大抵、どの夢も、懐かしい女川の景色が出てくるのですが、
もう二度とその光景を目にできないことを理解している設定
なので、起きたあとせつなくなってしまいます。

去年の今頃、震災直前の記憶というものが、どうも曖昧です。
311以前と以降とでは世界の見え方が、まるっきり変わってしまいました。

もうすぐ311を迎えます。
みなそれぞれの思いにふけることになるのでしょう。

年とともに増す故郷へ思い

February 02 [Thu], 2012, 0:36
先日、震災のドキュメンタリー番組に女川出身の俳優、中村雅俊が出ていて、
女川への思いを語っていたのですが、それがとても共感できるものでした。

俳優さんなので、普通の人の感覚とは違うんだろうなーなんて思っていましたが、
中村雅俊は、元々飾らない人なのか、年とともに丸くなってきたのかはわかりま
せんが、女川への思いは、実に率直で好感が持てました。

私も同じでしたが、雅俊さんも、高校卒業後、狭い町を飛び出したくて、
上京します。
でも、年を追うごとに、自分を作り上げたのは、18年間過ごした女川の
自然であり、仲間であり、女川で生まれ育った経験というものが自分を
形成してくれたんだなという思いを強くしたそうです。

私も、女川で過ごした年数よりも、上京してきてからの方が長くなるにつれて
同じような思いを抱くようになりました。

正直、私も女川の閉塞感的なものから逃れたくて、上京してきたというのも
ありました。でも、だんだん年を経てくると、故郷のあらたな魅力に気づき始めました。

震災で町がなくなってしまうと、それがどれだけ宝物だったのかということも
嫌というほどわかりました。
これから、どんどん故郷というもののよさを理解していく年齢にきていたのに、
311により、その思いが寸断されてしまい、気持ちのより所をなくしてしまってる状態
です…。

きっとこういう気持ちは多くの人が感じていると思うのです。
その証拠に、ツイッターに多くの同郷の人が集まり、故郷の思い出を語っています。
そして、そういう行為は気持ちの安定にも繋がります。

311が近づいてくるにつれ、自然とあの日のこと、故郷のことを思うことが増えています。



情報を伝えるということ

January 29 [Sun], 2012, 22:43
震災後に始めたツイッターですが、今では知り合いの方も増えて、女川の事を話せる貴重な
場となっています。

ツイッターの場で、うちの実家の、あるご近所さんの親族と思える方を見つけたのは割りと最近
のことです。
そのご近所さんとは、うちの親が、病院に避難する直前に言葉を交わしたご一家でした。

震災直後に、そのご一家が行方不明と知り、母は「そんなはずはない!病院に逃げる前に
話したから」と言っていました。
そこのご家族は、60歳代のご夫妻と、高齢のおばあさまの3人でした。

母は、病院へ向かう坂の下で、ご夫妻が車のドアにもたれかかり、ちょっと離れた場所に
おばあさまが歩いている時に、短い言葉を交わしたようです。
「早く逃げたほうがいいよ。私達も行くから」というような内容だったようです。

その後、別のご近所さんの情報によると、病院の入り口でここの奥様とすれ違っており、
病院までは到着していたことが確認されています。
ですが、おそらく駐車場の車の中にいたのではないかということです。

女川町を襲った津波は15m以上のとんでもない規模でしたから、海抜15mにあった病院の1階の
天井まで津波が到達し、駐車場に停めてあった車は流されました。
病院は、高台にあるため、病院から下は滝つぼのようになり、車が次々と急降下で流れ落ちて
きたという目撃談もあります。

ご一家は、もしかしたら、駐車場の車の中にいて犠牲になってしまったのかもしれません。
せっかく安全だと思っていた病院まで逃げていたのに、いたましくてなりません。
車は、病院の下から見つかったという話です。

その話がずっと心に残っていたので、ツイッターで、そのご近所さんの親族の方を
見つけたとき、ちょっと迷いはあったのですが、思い切ってメールをさせてもらいました。

同じ女川出身でも、家だけ流された人、家も家族も失った人、どちらも無事だった人・・・など、
その境遇はさまざまで、うちは家こそ流されましたが、家族は無事だったので、家族が犠牲になった
方へ連絡するのは、ちょっと躊躇する気持ちがあることも事実でした。

ですが、返ってきたメールを見て、その迷いは吹き飛びました。
ご近所さんの親族の方は、311当日、避難する際に、夫妻とおばあさまは別行動を取っていたのでは
ないかと考えていたようです。
年寄りは、避難所に行くのも大変だから、家に留まっていたという話はよく聞きましたので。

ご親族の方は、ご夫妻の旦那様の弟さんだったのですが、送られてたきたメールにはこうありました。
「震災後、母の情報がなにもなく、兄夫婦と、母が別行動していて、兄が母の事を心配しながら流され
ていったのでは、あまりにもかわいそうだと思っていたので、少なくとも直前まで3人一緒にいられた
ことがわかってよかった」と。。。。。


親族の方からすれば、あの時、どういう状況で流されていったのか、どんな情報でも知っておきたいのだな
・・・と感じました。私の胸にもずっしりと重く響く出来事でした。

震災直後は、どこも混乱していて、情報も錯綜しまくっていました。
なので、当然わかっていると思っていたことが伝わっていなかったりするのかもしれません。

自分にできることは微力ですが、これからもできることをやっていこう!と気持ちをあらたに
しました。少しでもお役に立てて本当によかったです。

デザイン変更

January 27 [Fri], 2012, 16:08
このブログのデザイン、息子がオリジナルデザインを作ってくれました。
ブログの機能、私と比較にならないほど使いこなしています。
前回、スマホの使いこなしぶりに舌を巻いた記事を書きましたが、パソコンの
使いこなしぶりもなかなかです。

にしても、息子は、普通に字を書くことはとても苦手で、手紙も日記もめったに
書こうとしません・・・。
苦手なことを強要しても、絶対にやるタイプではないので、それなら好きな事をさせて
やる気を出させようと、苦肉の策で始めたのがブログでした・・・。
このブログのリンクにもありますが、「レアカードハンター」というのが息子のブログです。
正直、わけわかりません。
思った以上に顔文字だらけで、ちょっとギャル語(またはチャラ男?)入っています。

小学生にブログやスマホをさせて賛否両論あるのでしょうが、好きなことを伸ばしたい
という親の思いもあります。

その前に息子には、やることやらせないといけないので、まずは学校の宿題終わらせてから
パソコンやらせるようにはしていますが。

今も、息子達はスマホのモバゲーに夢中です。
これもどうにかしなければ。
日々ルール作りです
P R
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