ヤンゴンからバンレムへの経路(10)。

September 28 [Wed], 2011, 3:24
この日記を書きながら、今日の日付を見て思い出した。昨年の今日の夕方ヤンゴンを発って、明日の朝成田に着いて日本に帰国したのだ。昨年の日本は23日まで暑かったらしいが、24日の朝は驚くほど涼しかった。台風が通り過ぎて、一遍に秋になったと言う。今年の日本はどうだろう。台風が秋雨前線を押し上げて大雨を降らせたと思ったら、その後を追い掛けるように台風がやって来て大雨を降らせ、被災地は災害に次ぐ災害で、その悲惨さはこの上ないほどだ。私は伊那市に住んでいて毎日何気なく中央アルプスを眺めているが、台風が近付く度に、この山に感謝せずにはいられない。台風が接近しても中央アルプスに遮られて、それほど強い風が吹かないからだ。この度の台風でも、りんごが一個も落ちなかった。今日から日本は3連休だが、初日の今日はこの秋一番の冷え込みで、顔を洗う水道の水を暖かく感じたほどだ。十二月二十日過ぎのこと、三宅のゲーム機がチャオパヤのスロットコーナーに運び込まれたが、一目でトロピカーナに設置してあったゲーム機だとわかった。そんな事はどうでもいいが、三宅のゲーム機は次々運び込まれるのに、中村が投資した競馬のゲーム機はどうしたのだと不安になった。十二月一日から営業を始めると言う約束でバンレムに来たのに、松島は何か勘違いしているのではないだろうか。競馬のゲーム機の営業ができないのは、松島がチャオパヤにゲーム機を設置しないからであって、俺の責任では無い。しかし、俺の生活の面倒を見るのは松島の責任ではないのかと、無性に腹が立った。金が無くなる度に、ペから一00や二00バーツ受け取っても少しもうれしくないし、恩にも着ない。それどころか憎悪と怨みが増すばかりだ。このようにいろんな紆余曲折はあったものの、この年も暮れが近づいたある日のこと。松島が電話を掛けてきて、「正月は何もできませんが、日本酒を買って行きますからこれで正月気分を味わって下さい」珍しく優しいことを言ったので、ふと心が和んで、「日本酒よりビールの方がいいですよ」「わぁ助かった。日本酒よりビールの方が安いから」私のリクエストに松島が心底打ち解けた声を上げ、訊きもしないのにあちこちのカジの情報を機嫌よく喋ったので、これは本当だろうと心待ちにした。それだけではない。十二月二十九日に再び電話をかけてきて、「今度行くとき少しお金を持って行きますから心配しないで下さい」と言ったのを聞き、前回はほんの子供騙しの五00バーツで誤魔化したが、今度は二回目だから間違い無いだろうと信じて疑わなかった。こうして大晦日になり、スロットコーナーにやって来た松島は、私との挨拶もそこそこに、コインを数えていた女の子三人に五00バーツずチップを渡した。私がそれを見ていたものだから、「そんな顔で見ないで下さい。この子達の前であなたに金を渡したくないだけですから」よほど私が物欲しそうな、それでいて咎めだてするような目で見ていたらしくて言い訳がましく言ったが、松島はレストランや喫茶店のウエートレスには気前よくチップをやるのに、私には気前よく金をくれた例がない。このとき松島は、先日運び込んだ三宅のゲーム機を調整するために技術者を連れて来ていて、この日は夕方になってもまだその作業を続けていた。五時半を回った頃、松島が私の側にやって来て、みんな今晩は徹夜で仕事をすると言っているので、先に帰って飯を食って休んでくれと言う。私がいても調整の手伝いはできないし、ここにいる必要は無いと考えて、言われるままに部屋に戻って用事を済ませ、チャオパヤのレストランでバーミーナーム(タイ式のソバ)でも食べようと思って外に出た。そして薄暗くなった道を歩いて、エラワンシティーという新しくオープンしたカジの前に差し掛かった。すると前方から、徹夜でゲーム機の調整をするはずのペや技術者の一行を引き連れて、賑やかに談笑しながらやって来る松島とバッタリ顔を合わせた。さすがにばが悪かったのか、それとも良心が咎めたのか、松島は自嘲するように顔をゆがめたが、瞬く間に立ち直って、今から食事ですかと訊いた。そうですよと私が答えると、古い方のカジで食べるんですかと重ねて訊いたので、そうですよと重ねて答えて行き交った。このとき松島は、遂に一緒に食わないかとは言わなかった。中村に八百万円の投資をさせた私にだ。あいは人間では無い。人間の面をした鬼だ。その八百万のうち、競馬のゲーム機に使ったのは百万そこそこで、後の七百万は、松島があちこちで不正をした金の返済に使ったから首が繋がったのだが、それを私が知らないとでも思っているのだろうか。今日は三十一日の大晦日で明日は新年なのに、無視されたときのこの気持ち、なんとも言いようの無い惨めさだった。松島は、私が満足に飯を食っていると思っているのだろうか。いや、あいは私に、飯が食えるほど食事代を渡しているとでも思っているのだろうか。二00二年十二月三十一日、今年最後の食事なのに、チャオパヤのレストランに行ってもご飯さえ注文できなかった。当然のことながらビールや料理などは夢のまた夢で望むべくも無く、二0バーツのタイ式のソバを食べて寝るしか無かったのである。元旦の朝、寝不足のひどい顔でスロットコーナーに現れた松島は、おめでとうと新年の挨拶もせず、ボソッとした声で、「昨夜はあれから三時まで付き合わされました。今日は寝不足です」悪びれずに言って私の心を逆なでしたが、そんな話しは別世界の異次元の出来事で、今となっては聞きたくもない。このときの技術者は、民間人が一人とタイの警官が二人来ていたが、一人の警官はどう見てもど素人で、使い走りが関の山だ。この二人の警官のうちの技術者で偉そうにしている奴が、松島がいないときに私の側に来て、三宅の電話番号を教えてくれと言った。三宅のゲーム機を調整しているんだから電話番号くらい別に問題ないだろうと軽く考えて教えると、一時間ほどして三宅から電話があり、「さっき警官から電話があって技術的にいろいろ難しい所があるし、金のことで相談があるから来て欲しいと頼まれた」と言ったので、来ることができるのかと訊き返すと、「正月の四日間は入管が厳しくて、パイリンもそうだが国際入管が無いバンレムは外国人を通してくれないと思う。もし国境が通れるなら直ぐそっちへ行くから松島君に訊いてくれないか」これを聞いた私は深く考えもせず、このことを松島に伝えた途端、急に松島が怒り出して電話を掛けた警官と激しい口論になった。とにかく元旦からいろんなことがあったが、松島がバンコクに帰る日の朝、これで帰ると言ってせかせかと歩き出した。それを見て、まだ金を受け取っていなくて、慌てて何か言おうとしたが咄嗟に言葉が出なくて追い掛けると、ようやく松島も気付いたらしい。急いで側にいたペに何か言うと、ペは胸のポケットから金を出して私にくれたが、たったの五00バーツだった。この途端、私の腹の中が煮えくり返って頭がくらくらっとした。松島は、また私に嘘をいて騙くらかしたのだ。たった五00バーツなら、金を持って来てやるなどと大きなことを言うなと怒鳴りたかったが、カジの中なので堪えた。皆が見ている前で五00バーツ受け取るときの惨めさ、悔しさ。私の心の奥底に、殺意にも似た怨みがまた一増えた。スターclub
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