前回の入院の話の前に 

February 08 [Tue], 2005, 2:07
先ず、初めての入院の時の話を少し書いておきましょう。
4年前?辺りの夏ですね。
その時も、恥ずかしながら、軽くODをしたり、何やらやらかしていたのでしょうが、詳細は記憶が定かではないです。
とりあえず、実家にいたら、発狂しそう・・・と言うのは確かで、通院先の主治医の勧めで、一時避難的に病院を利用したと言う点は、2度目と一緒です。
正直、閉鎖しかないというところに、多少抵抗はありました。
実際、急性期の患者さんと同じフロアに閉じ込められているわけですから、軽度の鬱の患者さんが休める環境ではなかったと思います。
しかし、私はと言うと、入院した途端、ケロッと嘘のように元気になりました。まぁ、必然ですが・・・(苦笑)。
入院中、主治医を仲介に?両親との面談が行われました。最初の日は、私は拒否して、主治医と両親で面談があったようです。


さてさて・・・ 

January 29 [Sat], 2005, 22:41
この辺から、入院していた時の病棟日記をベースに書いていくことが多くなると思います。
2度目の入院の時の日記です。一昨年の9/29〜12/15まで、1ヵ月半の入院でした。
私が入院したのは、地元の地方の総合病院の1フロアで、閉鎖でした。実際は、閉鎖ではなくても良い状態だったのですが、そこの病院は、精神科病棟は閉鎖しかなかったので。原則的には、入院してから2週間は外出泊(特に、保護者等の迎えがないと)はできないようでしたが、私は特例な感じで、即日、単独での外出泊の許可が出ました。理由は、入院してしまえば、自傷行為をする気も起こらないだろうという主治医の判断が主でした。入院の前の週に、ODをして、それまでかなり鬱状態が続いていたのが、躁転して、通院先の主治医の勧めで入院したので、とても、元気な入院生活でした(笑)。
しかし、そもそも、一回目の入院も同様なのですが、私の場合、実家にいると発狂しそうになる感じで、治療が目的と言うよりも、シェルター的に病院を利用した要素が大きく、入院前の外来診察で、父親が同席した際などは、興奮して大変でした。先ずは、その辺から書いていこうと思います。
・・・が、日記を読み返しただけで、かなりエネルギーを使ったので、次回から、おいおい書いていきます。今日のところは、これだけにしておきます・・・(苦笑)。

新年早々… 

January 17 [Mon], 2005, 1:01
って、もう早々でもないか。
今年も早速(?)救急車を呼んでしまいました。
過喚起です。寝てたんですけど目覚めたら苦しかったというか、苦しくて目覚めたのか。横に、彼も寝てたんですけどね。ナイロン袋被ってス〜ハ〜してる横で、ぐっすり寝ていたんですよ。
ちょっと、楽になったと思ったら、また苦しくなって…の繰り返しで、手足に痺れがきたので、意識を失う前に119番しましたよ、自分で。
一応、ロフトで寝ている彼に叫びましたが「すみませ〜ん…過呼吸…救急車呼んだから。」って。返事はあったけれど、様子を見に降りて来る風でもなく。救急隊員が来てから、やっと降りてきたんだったかな。
「旦那さんですか?お友達?」とか訊かれていたようですが、私も余裕がない状態でしたから、何て答えてたのかしら?救急隊員の方が、彼に「一緒に乗って行きますか?」というようなことを訊いているのがチラっと聞こえて、なんせ、彼はそんな風ですし、一緒に来て貰う必要はないと思い…一人で救急車呼び慣れているもので(苦笑)、私は「あ、彼、この辺の人じゃないので、来て貰ってもわからないと思います」とか支離滅裂気味なことを言ってましたね。
基本的に、救急隊員さんは優しいです。○○病院(近くで一番大きい総合病院)は嫌ですと言う、私の希望も聞き入れて下さいました。
打って変わって、病院のDr.は、あからさまに迷惑そうな対応でした。『もう症状治まってるんだし、初めてじゃないんだし…日曜の当直でアナタみたいな患者に時間とってる程、暇じゃないんだよねぇ…。』って声が聞こえてきそうでした。あくまで、態度・話し方等からの想像ですが。
結局、症状も治まっていて特にすることはないとのDr.からの説明で、早く診察室開けて欲しかったみたいです。でも、まだ少し苦しくて、帰るのも辛い感じだったので、紙袋でス〜ハ〜しながら、ベッドで休ませて頂いて、楽になったら帰ってね、とのことでした。ちなみに、看護師さんは優しかったです。当然といえば当然なのですけどね。
私自身も、過喚起症状が治まりつつあることは判っていましたよ、勿論。でも、前回、過喚起で搬送された時にも、救急車に乗った時点では、だいぶ落ち着いていて『あ〜。救急車呼ぶ程じゃなかったかな…。』と思いながら、一応病院に行きましょうという感じだったのですが。診察が終わって・・・

生きちゃってるので 

January 16 [Sun], 2005, 3:29

食べていかないといけないんですよね。今のところ、何とかやっています。
閉鎖病棟への入院から、叔母の家に居候・・・、叔母ともぶつかり、北海道に失踪してから、どれくらい経ったんだろう?
未遂で、実家に強制送還されて、2度目の閉鎖病棟入院。
上手いこと、障害年金が遡りで纏って入り、今回は敷金礼金も払って、住民票も健康保険証も自分の名前で。まんまと、自分の城を手に入れてから、もうすぐ1年です。
やっと、落ち着いてこれからのことを考える余裕が出てきたのかもしれません。
今は、女を武器に(笑)、ボロイ商売で、地味に生活していく程度は稼いでいますが。こんな生活を、いつまでも続けるわけにもいかないと云うか、こんな生活をいつまでも続けていきたくはないって方が正しいですね。
昨年は・・・と言うか、ココ数年、私にとっては激動?でしたが、今年は、地に足をつけてどっしりいきたいものです。
昨年末からも、なんやかやとありました。
男に放り出されて『死にたい』って友達を、保護?拉致??(笑)して、そのゴタゴタが解決したと思ったら、自分が風邪で倒れたり・・・(苦笑)。
入院中に、向かいのベッドだった二十歳の女の子(Rちゃんとします)が、某ネット心中事件で亡くなったり。その前の月にも、同じ時期に入院していた一つ下の女の子(Tちゃんとします)が亡くなったり・・・(こちらは、表向き、病死で真相は不明です)。因果なもので、Tちゃんの訃報を知らせてくれたのは、Rちゃんでした。
自分に、力があると思っているわけではないけれど、Rちゃんは友達付き合いが苦手と言うか、下手と言うか。今時、19で携帯も持って居ないというあたりも、一風変わっていたかな。電話自体、する相手がいないからって。でも、私には、たまに電話をくれて、退院してからの就職の相談とか、親御さんや、主治医に言われた事などを愚痴気味の時もあれば、他愛無い会話もあり。自意識過剰かもしれないけれど、もしかしたら、私がもう少し気にかけていたら・・・などと、チラッと思ったりしてしまいますね。
今は・・・Rちゃんが、本当に死にたくて、彼女の想いを遂げることができたのだと思うことにしています。。。
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