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父が50になった時のバースデーライブの音源をiPodに入れて最近ずっと聴いています
誰かを忘れるとき、「声」から忘れていくものだとどこかで聞いたから
車内で歌う父の声は涙ぐんでいて官能的で優しい
MCで喋る少しおどけた話し方も、ギターの指遣いも、そのメロウなバリトンも、紛れも無く私の父そのものだ
私の半分は父でできている
失くなってしまったものが私の中にあって、私という存在が、父が本当に存在したという証明になるのは不思議で感動的だ
私の中の父はいつまでも消えない
私は生きている。生きていく。
……
父の葬式で、父の柩に縋って泣いていたあの人のことをふと思い出す。
無力感…、何とも表現しづらい歯痒さが、ひたひたと私を満たしていく。
あの人は元気だろうか……。
思い出す。
父が亡くなった日。父が柩に納められた日。
柩に縋り、声もなくただ涙を流したあの日。
コンサートが終わったときのように、拍手でに送られて父はこの世を去った。
火葬へと向かう霊柩車に向かって、式場に響き渡る盛大な拍手。
私はあの瞬間を一生忘れないだろう。
あんなに大勢の人の拍手に送られて、人生という大きなコンサートを終えたのだ…と。
私のコンサートはまだ続いている。
父のライブ音源を聞きなおして触発され、学生の時に満足に出来なかった作曲活動をしてみようと思っている。
時間はないし、才能もあるかどうか定かではない。
でもやってみよう、と決めた
「音楽を作りたい」「歌いたい」
それが今の私の原動力になっている