いび

October 19 [Mon], 2015, 19:54


まぁずいぶんとここも開いてなかったね。
ウイスキーの試験は無事に合格しまして。
でも1級はしばらくいいかな。
日本酒が今熱い・・・・・・!熱燗。

師匠と呼びたい人のもとで働かせてもらい、
「ああ、ほんわかの店がいいなぁ」
なんて考えつつ、日本酒の知識を少しずつ吸収。

ただ日本酒って、無限に飲めるわけじゃない
ビールとかなら延々と飲んでいられるというのに
これは日本酒のお店をやりたい者としては、
考慮の余地がいるようです。

もっとできることがあるはず。



って信じて自分のお店を開いた同い年の子がいて、
感心と関心、遊びに行こうと思い、
「最寄駅まできたら連絡して☆迎えに行く♪」
という言葉を信じたら、
見事にすっぽかされたりもして、
ああこれが干支二週の力量なのかもななんて、
これは何かから逃げるための口実でしょうか。

ちょっとずつ、将来について考えたりもしつつ、
やっぱり現実、というか主に家族の老いに、
この若さをどんどん押しつぶされてる日々だったりもする。



その12

May 24 [Sun], 2015, 3:03


先日干支二周しました。想像以上に見た目も中身も子どものようである。

去年の今ごろはここに読書感想を頑張って書いていたようです。
一年経った今、なかなか読書が進まず、
何ならこの1か月はウイスキーの検定の勉強で全く読んでないという。
1か月も小説なり新書なり読んでないとか、
多分小学生以来なんじゃないだろうかとか。
えらいこっちゃえらいこっちゃ。
とりあえず来月は読書と切り絵と日本酒の勉強かな。
日本酒に関しては、師匠と呼ぶべき方に出会えたし、修行にも連れてってもらえるし。
非常に楽しみ。

こういう楽しみ、とか、何がやりたい、とか
それは一定期間何かしらで何かしらを制限してこそ、
見えてくるものもあるのかもしれない。
何もかも自由のなかにいると、何をしていいかきっと分からなくなるように。
ただそれが、本当の希望なのか、単なる反発衝動なのか、
それはきちんと心の声というものを聴いたり、
自分の状況を客観的に見ることが、大切なんだろうなぁ、とか。
主観的すぎる人は、どうにも苦手。
自分がとても客観的かどうかは、それはまぁ、別として。

さてもうひと頑張り。ウイスキー。命の水。






『流れ星が消えないうちに』『GO』『福音の少年』

May 18 [Sun], 2014, 1:00


大切な方から、本をいただきました。

持ってらした本をいただくということは、
個人的にはなかなかドキドキいたします。
読んだ本というのは、もはや自分の肉と同じだと、思うからです。


橋本紡『流れ星が消えないうちに』
金城一紀『GO』
あさのあつこ『福音の少年』

この三冊をいただきました。
いずれも存じてはいるものの、なかなか食指が動かない作品でありました。
この機会にということで、
本をいただいた嬉しさの鮮度重視で一気に三冊読むことに。


『流れ星〜』は、やわらかいお話という印象で、
ゆるやかな気持ちで読み進めるわけですが、
まさに等身大の言葉や雰囲気で、優しく強く、心にツボを押してくるような作品でした。
単なるレンアイ小説として読んでいると、いけませんね。
軽く見せかけて、軸の強さにはっとさせられました。

『GO』は、非常に引力の強い作品。
在日というテーマは、あくまで作品の材料でありまして、
やはり核ではないのです。もっと遠いところ、「生」が核なのです。
登場人物たちの、よくしゃべることしゃべること。
主人公が、心の叫びを言葉にしている場面は、
作者が文字を以て叫んでいるように思えてなりません。
色々滞っている私に「行こう」と手を引っ張ってくれる作品。

『福音の少年』は、どこまでもどこまでも、湿度80%。
静かに、淫な空気をはらんだ作品と感じました。
いつまでもどこまでも、芯の部分に触れられない言い回しや描写で、
もどかしさと妖しさが、読者をどんどんと渦の中へ巻き込んでいきます。
しかも、最後の最後まで、巻き込んだまま。
こんな読後感、短調の曲が低く鳴り響いたままの読後感は久々かもしれません。


と、各作品の感想を簡単に書いてみました。
一見それぞれの作品の雰囲気といいますか、立ち位置は違いますが、
どれもが、「生」を、見つめているのではないでしょうか。

それもそのはずでしょう。
どの作品も、主人公なる人物にとって大切な人が、この世にはいないのです。

大切な人が、この世(もしくは自分の世界)からいなくなる感覚は、
有り体に、簡潔に表すならば「ぽっかりと穴が開いた感じ」

そして生きている限り、人はこの穴を埋め(隠し?)、
日々の営みを迎えるのであります。
これって、人の弱さなのでしょうか、強さなのでしょうか。

穴が開いたままだと、生活に支障をきたします。これは「弱さ」でしょう。
それを何とかして、自分の生を歩むのは「強さ」でしょう。
歩まざるをえなくても歩むのは、やっぱり「強さ」なのでしょう。

どんな人にも「穴」とか「傷」があって、弱さがあって、強さがあって、
そうやって埋めたり隠したりして。
でも、穴があるには間違いない。
穴がない、こころの傷がない、頃には戻れない。

心に、穴があかない、傷がつかないに越したことはないと、
思ってしまうのは、その辛さゆえではあります。
でも、それでも。
その心を埋めてくれたり、傷を癒してくれたものに、目を向けてみると、どうでしょう。
それはかけがえのない、本当に素晴らしい存在ではないでしょうか。
心をより豊かにしてもらえた、と思えるし、
自分もまた、だれかの、そんな存在になりたいと思うのであります。


ジャンルの違うような作品から、
「生」について、といいますか、心の穴について、
ちょっと考えてみた次第であります。


さいごに、
ここ数年常々思っていることを『流れ星が消えないうちに』の一節が、
非常にわかりやすく文字にしてくださっているので載せます。


「人間ってさ(中略)、誰かに頼らないと生きられないんだよな。
 俺もちゃんとわかってんだ、そういうの。
 だけど、ひとりで生きられるようにならなきゃいけないとも思ってる。
 でないと、結局、ただもたれあうだけになっちまうだろう。
 それじゃ駄目なんだ。
 ちゃんとひとりで立てる人間同士が、それをわかった上でもたれ合うからこそ、意味が生まれるんだ」






豆ごはん

May 15 [Thu], 2014, 0:58


豆ごはんが、食べられるようになったのです。

だからなんだってんだ、とお思いになるかもしれませんが、
十数年拒んできたものを、すっと口にできたとき、
そしてそれが美味しいと思えたことは、
なかなかどうして感動いたしましたよ。
おかあさん、ありがとうございます。


そんな些細なことに感動しつつ、
学生を終えてからも、四月が来ても、五月が来ても、
ひとつ年齢を重ねても、
案外楽しくやっているわけであります。


現状に甘えまくっているし、
日常の多くをものすごく省エネルギーで行動しているし、
そのくせ周りのフレッシュ☆な環境で頑張る友人を見ては焦ってみたりするし、
家族や自分の将来を憂いてどうしようもない気分に陥ることもあるし。


だめだめなのには、変わりないんだけど。


片づけられるものから片づけて、
捨てられるものは捨てて、
大事にするものは大事にして、
何でもないようなことを、着実にこなせば、
少しずつ、もうちょっと「きちんとしたひと」になれるわけで、
豆ごはんが食べられるようになったのも、
きっとその過程のひとつであってだな、
私は変わるぞ。毎日、転がって、変わっていくぞ。

変わらないもの、と見受けられるものだって、
どんどん変わっていくんだ実は。
変わっていく私に添うには、やっぱり何も変わらないわけがないはずで。
「変わらないなぁ」と感じているのはそれそのものではなくて距離感で、
一定の距離感を保つって、結構大変よね。
だってこんなに目まぐるしく日々は過ぎるし、世界も身も心も、
嫌だって思っても進化退化なにかしら変化している。
同じ速度なり角度なり重さなりで、添うように、変化しているから、
だから「変わらないなぁ」と錯覚しているだけであって、
だからね、あのね、そのね。
ごちゃごちゃごちゃ。


豆ごはんを炊くときは、昆布も一緒にね。
おだしの味がね、いいんだあ。







注:病んでいるわけでは決してなくて、文章が格段に下手になってる。
  ニホンゴムッツカシイ

いくにげるさる

March 04 [Tue], 2014, 1:23

一月は「いく」
二月は「逃げる」
三月は「去る」

年明けてからの三か月は、
とても早く過ぎてしまうものです。
そう教えてもらったのは小学校二年生だったはず。
まったくまったくその通り。
もう三月です。

でも、一二月は師走で早く過ぎるでしょ、
残りの四〜十一月のことも、考えていくと
結局ゆっくり構えられる月なんか無いんですねぇ。


とはいえ、今月は特に早く過ぎてしまいそうです。
学生最後の月であります。

学生最後、と言いつつ、
じゃあこれまで学生らしいことをしてきたかと問われれば、
しっかりと頷くことはできないような暮らしでした。
働いて、飲んで、たまに勉強して。
そして新しい季節からも、
働いて、飲んで、たまに勉強するわけです。
勉強の内容が多岐にわたるというか、主にお酒についてになるくらい。
きっとそれくらいの変化なのです。

さりとて、私の周りは目まぐるしく激しく変化します。
新しい環境に不安と期待で胸がいっぱいの友人たち。
それを炸裂させるかのごとく、
フェイスブックには華々しい旅行や宴会の様子が楽しい写真と共に伝えられています。

それを見る度に、羨ましさやらなにやらかんやらで、
感情がぐるぐるしてしまう程度に私の神経は弱いのであります。

そんなことを先日友人にこぼすと、
「そんなのは、ほんの一部の人たちだけだよ」という言葉が返ってきました。

なるほど。
それ以来、すこし気分が落ち着きました。感謝。

まぁでもやっぱり日ごとに不安ばかりが身を焼き付けます。
とても苦しいです。
四月以降のことが、想像できないのです。
もっと正確に言えば、四月以降の、楽しい出来事が。
うーん。


そんなことはないのは、どこかでわかってはいるんです。
惨めながらも、なんとか頑張れば、
きっと楽しい出来事もあるだろうし、
美味しいご飯やお酒に出会えるでしょうし、
素敵な本に出会うこともあるでしょう。

それを信じて、そしてもっと先のこと、
きっと私の夢をかなえることを、たまに、思い返せば、
どんなしんどいことも、なんだって経験として自分のモノにできるはずなのに。

もう、なってみないと、分からないね、という丸投げに最終的には至る。
うーん。


そんなもやもやを、漠然とこの3年ほど抱えて、
今年入って、さらに大きくなって、
もうすぐそのもやもやのなかに飛び込むことになります。

去らないで三月。
逃げないで二月。
行かないで一月。

四月は、死ぬの?それとも詩?志?獅?私?
しししし。しがつ。






P R
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