プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:ahztwpzimytlvk
読者になる
2010年07月
« 前の月    |    次の月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
Yapme!一覧
読者になる
ロスト・イン・トランスレーション―言語は世界観さえ左右する / 2010年07月28日(水)
レラ・ボロディツキー・スタンフォード大学教授

 ここに、「言語は、われわれの思考方法を決定するのか」という問いがある。つまり、言語は、単に思考を表現するためのものなのか、それとも言語構造で(われわれの認識や「承諾」なく)表現しようとする思考が決まってしまうのか、という疑問だ。

 英国の童謡マザーグースから「ハンプティ・ダンプティ、壁の上に座っていた」の一節を例に取るだけで、言語によってどれほど違いがあるかというこ とがよくわかる。英語では、動詞は時制を示さなければならない。この場合、「座る(sit)」ではなく、「座った(sat)」が正しい。しかし、インドネ シア語では、時制を示すために動詞を変える必要はない、というより、変えることはできない。

 ロシア語では、仮に「ダンプティ“夫人”が座っていた」場合、動詞を変化させることで時制のみならず性も明示する必要がある。また、座るという動作が完了したのか、しなかったのかも区別しなければならない。

 トルコ語では、どのように情報を取得したかを動詞に含めなければならない。例えば、実際に目撃した場合と、本を読んで、または他人から聞いて知った場合は動詞の形は異なる。

 それでは、英語、インドネシア語、ロシア語、トルコ語を話す人は、言語の違いによって、それぞれ経験した事象に対する関心、理解、記憶が異なるのだろうか。

 これは、心理学研究の主要な議論すべてにかかわる問題で、政治、法律、宗教上、重要な意味を持つ。しかしながら、今日まで、この問題について実証済みの研究は極めて数少ない。言語が思考を決定し得るとの考え方は長らく、せいぜい「検証不可能」、もしくは「ばかげていて、間違った」考えであるとみなされていた。そして今、認知科学の新たな調査が相次いだ結果、言語こそがわれわれの認識に深く影響を及ぼすということが分かってきた。

 この十年、認知科学は、「話し方」のみならず、「考え方」に関する研究を行い、空間、時間、因果関係といった基本的な経験領域の理解が言語で決まる可能性について問い続けてきた。

 例えば、「空間」に関して、オーストラリアのポーンプラーウというアボリジニの地域社会では、現地語に「右」、「左」という言葉はない。その代わりに、東西南北の基本方位を使ってすべてを表す。例えば、「あなたの“南西の足”にアリがいる」といった具合になる。「こんにちは」と言う時は、「あなたはどこへ行くのですか」と聞く。その答えは、「南南西に遠くまで。あなたは?」となる。方位を知らなければ、あいさつも交わせない。

 世界の言語の約3分の1が、空間を示すのに基本方位を用いている。この絶え間ない「言語トレーニング」のおかげで、話し手の方向感覚は研ぎ澄まされ、未知の場所にいてもどこにいるのかわかるようになる。これは、言語訓練を通じて空間を概念化する、全く特別な方法なのだ。

 また、著者はポーンプラーウの人々の「時間」の概念について調べるため、同僚のアリス・ゲイビー氏と現地に赴き、ひとりの男性が年を取っていく様子やワニの成長過程など、「変遷」を示す数セットの写真を見せた。被験者は、あらかじめ順番が入れ替えてある写真を時間の経過に従って並べ替える。英語を母国語とする人々は、この実験を行うと、左から右の順で並べ、時間の経過を示す。

 ところが、ポーンプラーウの人々は、南に向いている時は左から右に、北に向いている時は右から左に時間の経過を示す。東に向いている時は、自分から離れたところから手前に向かって時間の経過を示す。世界の言語には、このほかにも多くの時間を示す方法がある。

 言語は、「空間」と「時間」のほか、「因果関係」の認識も規定する。例えば、英語は「主体」の観点から物事を表現する。英語を母語とする人は、予期せずにやった場合でさえ、「ジョンは花瓶を割った」と言うのが好きだ。これに対し、スペイン語や日本語を母語とする人は、「花瓶が割れた」と言う方が普通だ。

 この言語による違いは、話し手がどう事象を理解するのか、因果関係と主体の概念をどう構成するのか、目撃した時に何が記憶に残るのか、どの程度他人を責め、罰するのか、といったことに重大な影響をもたらす。

 スタンフォード大学のケイトリン・フォーシー氏は、英語、スペイン語、日本語を母語とする人々を対象に、ビデオを見せ、抜き打ちの記憶テストを行った。ビデオは、2人の人物が意図的または偶然に風船を破裂させたり、卵を割ったり、飲み物をこぼしたりする内容で、記憶テストでは「誰がやったのか」を問うものだった。

 フォーシー氏はこの実験で、目撃の記憶に関する言語間の驚くべき違いを発見した。スペイン語と日本語を母語とする被験者は、英語を母語とする被験者のようには、偶発的な場合の「主体」を憶えていなかった。もちろん、彼らは意図的な場合は記憶していた。偶発的な場合、通常「主体」を言及しないスペイン語や日本語では「主体」が記憶されていなかったのだ。

 別の実験では、英語を母語とする人を対象に、人気歌手ジャネット・ジャクソンのあの不名誉な「衣装の不具合(胸露出)事件」のビデオを見せ、事件に関する記述を読ませた。記述は2種類あり、最後の文章以外は同一のものだった。最後の文章は、ひとつは動作主格のフレーズが「衣装をはぎ取り」、もう一方は「衣装がはぎ取られ」となっていた。

 被験者全員が同じビデオを自分の眼で見たにもかかわらず、読んだ文章によって異なる結果が出た。「衣装をはぎ取り」の文章を読んだ被験者は、共演者のジャスティン・ティンバーレイクを強く非難しただけでなく、「53%増し」の罰金を「科した」。

 もちろん、言語は人類が作り上げたものであり、必要性を満たすために発明し、磨き上げてきた道具だ。異なる言語の話し手が異なった考え方をするからといって、思考を決定するのは言語である、もしくはその逆であるとは限らない。この言語の因果関係を示すために必要なのは、言語を直接操作し、認知への影響を調べる研究だ。

 近年の進歩のひとつは、まさにこの因果関係を実証したことだ。話し方を変えることで考え方が変わる、ということは分かっている。例えば、別の言語を学ぶ際、気づかぬうちに新たな物の見方も習得している。バイリンガルの人がある言語から別の言語に切り替わる時、考え方も瞬時に変えている。

 この新たな研究すべては、「言語はわれわれの思考を反映、表現するだけでなく、表現しようとする思考自体を決定づける」ことを示している。

 言語は人間だけに与えられた才能だ。われわれは言語を学ぶ際、「人間らしさ」を発見したり、人間ならではの特質を垣間見たりする。そして、言語とその言語の話し手の多様さに驚くとともに、人間の性質も言語によって大きく変わり得ることを知る。

 言語は、あるメカニズムを通じて、われわれの持つ驚異的に複雑な認知システムの構築を助けているが、次のステップはその「メカニズムの理解」だ。認知の形成を理解することは、現在の枠を超えたアイディアの創出が可能になる。これを調べることは、われわれが自らに問いかける基本的な疑問に直結している。「なぜ、我々はこのようになったのか」「なぜ、我々はこのような考え方をするのか」、その答えの重要な部分は――これはもう分かっていることだが――われわれの話す「言語」にある。

(レラ・ボロディツキー氏は、スタンフォード大学の心理学教授で、「文化心理学の最前線(Frontiers in Cultural Psychology)」の編集主幹も務めている)

【7月28日9時0分配信 ウォール・ストリート・ジャーナル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100728-00000003-wsj-int
 
   
Posted at 12:52/ この記事のURL
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
 
 
Powered by yaplog!