ハロー、ハロー?

May 10 [Sat], 2014, 21:21
確かに俺は素直じゃなくて、感情表現も上手くはない。だけれど、それを嘆いたりするような性質でもなく、『だからなんだ』と開き直るくらい可愛げもなかった。

【ハロー、ハロー?】

「俺と白石は、親友やねん」と謙也さんが楽しげに言うから、最初は「ああ、はいはい、そうですね。大変仲のよろしい事で。親友ごっこはご存命のうちに楽しんでください」と内心バカにしながら聞き流していた。青春謳歌中の先輩たちの美しい友情に水を差さないように適当に相槌を返す。まだ謙也さんは「忍足先輩」だったし、部活の先輩の一人でしかなかった。外界に興味の薄い俺にとっては非自己の群れの一人でしかなかったのだ。脚本でいうならば先輩Aでも先輩Bでもいいのだけれど。つまりは、背景と同じだった。その他大勢という存在同士が、親友でも恋人でも知った事ではない。俺は、思いついたままのメロディを口づさんで、自分の好きなように生きるだけだ。

「俺と白石は、ニコイチやねん」と謙也さんが自慢げに言う頃には、謙也さんは先輩Aではなくなっていて忍足謙也という形を成していた。もし脚本があるならば、ちゃんと役に名前がついている。「へー、そうですか。で、なんすかそのニコイチって?は?」と悪態をつきながら面白くない返事をした。いつも謙也さんの隣には白石部長がいて、背丈も体型も近かったから遠くから見るとシンメトリーになっていた。二人でよく笑い合っている姿が部活のよくある一コマだったし、白石部長が部活についての真面目な話を謙也さんに持ちかける姿もあった。謙也さんが白石部長のジャージの袖を引っ張ってから耳打ちし、白石部長が何度か頷く。そして、お互い視線を交わすと、ふっと噴出してから二人は肩を揺らしてケタケタ笑った。その時は、年上の二人が自分よりも小さな悪戯っ子みたいに見えた。それが面白くない俺は、自分の世界にしか興味がないふりをしながら謙也さんを見ていた。

正直に告白するのならば、親友というものは俺にはない。
男女問わず友情に分類区別はないし、それこそ友人と知人の境界線だってどう引いていいかわからない。なにがどう違うのか不明であるし、そう大して差はないように思える。他人をどこまで信じるかなんていう、さじ加減の難しい芸当はできない。「それは光に親友がいないからだ」と謙也さんは言うが、そんなもの必要だと思った事がないのでついぞ作らず仕舞いである。そもそも、親友という概念を持っていたら謙也さんを想わずに生殖の不文律も破っていないかもしれない。親友兼先輩という立場に謙也さんを据えたまま、彼女を作っていただろう。
「他人をよく信じなさい、よく理解し、よく助け合え」と呪文のように繰り返す大人たちだったが「他人に裏切られた後の対処」については誰も教えてはくれないじゃないか。他人を信じるなんて危険な賭けに似ている。タイミングが悪れけば、『善人』だって裏切る。キリストだってユダに裏切られた。

そんな俺から見た二人は奇妙な関係でしかなかった。世間の所謂『親友』というものから、やや行き過ぎている感じがするのだ。かといって、確信がない。俺自身に親友がいないからだ。親友という関係がどこまでを許しあうのかラインがわからない。周りが彼女の話をし合っている時は確かにあった。クラスメイトAだかBだか数人が集まり、何とはなしに俺もその中に混ざっていた。「カノジョのこういうところが面倒くさい」とか「どこでエッチをしているか」とか、そんな仕様もなく他愛もない話だ。「なあ、財前はどうなん?」「お前、彼女おるやろ〜」「どんな子が好き?」と質問責めにあい、心底ウザイと思った。(ちなみに「俺よりデカい金髪が好きや」と答えたら、その場に沈黙が流れた。なんでや。)
果して、謙也さんと白石部長もこんなバカらしい会話をしているのか。これには疑問を覚えざるを得ない。
ユニフォームではなく制服姿の二人が揃って話している所は、遠くからしか知らない。クラスメイトとしての二人がどう過ごして、どんな話をして笑い合っているのか。同じクラスの奴らが話しているような下らない話もしたりして、笑っているのだろうか。
廊下で見かけたとしても、俺は遠くから見ているだけだ。離れた所にいる俺に気づいた謙也さんが手を振ってくれたとしても、だ。二人の笑い合う姿は、いつも遠くて台詞がない。雑音に消された台詞は俺の想像の中にしかなかった。そして、大抵は嫌な予想にしか傾かない。
俺には事実を確かめる術がなかった。


「謙也と白石がなに話してるかって?そんなん知るかいな。ああ、あれ。昨日のテレビの話ちゃうん?それかクラスの話?あの二人、同じクラスやん?え〜なんやったかな。あー、もう、そんなんイチイチ覚えてへんわ!小春の話なら一字一句ばっちり覚えてるけどな!教えたろか?」
人選を間違えたかもしれない。いや、間違えた。
俺は瞬時に悟り、激しい後悔にあった。ユウジ先輩に聞いた俺が悪かった。黙ったままパタンとロッカーを閉めた。「結構です」と断るのすら下らなくて何も言わずに部室を後にしようとしたら、ユウジ先輩に襟首をがしっと捕まえられる。急にユニフォームの後ろを掴まれ首が締まりそうになった。
「財前、人に聞くだけ聞いといて何も返答なしはアカンやろ?」
「どうもご丁寧に役に立たない情報をアリガトウゴザイマシター」
「コラァ!役に立たんってどういう意味や!」
更にユウジ先輩が吠える。いまだ制服姿のままのユウジ先輩の後ろでは、会話に興味がないのか小春先輩が爪を磨いていた。俺が言うのもなんだが、この人達はテニスをする気があるんだかないんだか不明である。
「ちなみに昨日の俺と小春の寝る前の電話はな、今度の練習ない日曜日にアメ村行くねんけど、まず待ち合わせどないする〜?って話して、それから」
「あ、その情報はホンマに結構ですんで」
急にのろけ話を始められ襟首を解放されたのを良い事にさっさと退散しようとした。
「あの二人の話なんて光が一番よう知ってるやないのぉ?」
ピンク色の爪やすりで丁寧に爪先を整えながら小春先輩が急に話に入ってきた。俺は、足を止めて振り返った。なんだ聞いていたのか。一生懸命爪の手入れをしていたから興味がないのだとばかり思っていた。
「光が思っている、そのままよ。会話やってその辺りのオトコノコ達と同じ。下らん事も話すし、授業の話だってするし」
「はぁ・・・」
「なに、その目!」
もう!この子ったら!とぷりぷり怒りながら頬をふくらます。小春先輩がやっても全然可愛くないのだけれど、それを見たユウジ先輩は可愛い可愛いと喧しく騒いだ。
「親友。それ以外にどう言うんよ?」
小春さんは俺から自分の爪へと視線を戻す。綺麗に整えられた爪をチェックするため手の平を返して見ている。この坊主頭にして、その辺りよりも無駄に女子力が高いものだから人間どうなっているのか理解できない。椅子に座る時も膝をそろえて座るのだ。
「それは・・・わかってます」
二人が親友だという事くらい、部の誰もが知っている。二人だってその辺りにいるような男子学生で、会話だって皆と変わらない。わかっている。そんな周知の事実が訊きたいわけではない。
「なら、なによ?」
「なによ、って。」
「それ以外の事がないのに、それ以外あるか調べようとしたって何もでてけぇへんわよ。光が「それ以外もあったらええなぁ」とか思ってるん?まぁ、この子ったら」
「思うてませんけど、そんなん」
「ならええやないの」
その通りだ。俺が何も返せずにいると、小春さんの眼鏡の奥が笑う。お見通しだと言わんばかりの顔に、俺は何も返せない。だから食えないのだ。小春さんは。部の中で監督と小春さんが食えない人間ツートップだ。
「おーい、光!おった、おった!」
謙也さんが部室のドアを開けて顔を覗かせる。既にジャージに着替えており、俺を見つけると笑った。俺の腹の底にある思惑なんて何も知らない謙也さんは今日も明るく笑う。
「探したで。早よ来ぃや」
「なんすか」
「白石・小石川と俺らでダブルスやろや」
「ええっすけど・・・・」
面倒くさいなと若干思ったものの、謙也さんと組めるならいいかとラケットを手にする。俺も大概単純である。面倒くさくて怠い部活に、こうしてちゃんと参加しているのは謙也さんと過ごす時間を増やすためだといっても過言ではない。朝だって朝練がなければもっと寝ていられるのにと恨みながらもちゃんと起きているのだ。
「おっしゃ。早よ行こうや。二人、待ってんで」
「副部長めっちゃ狙ったりますわ」
「お前な・・・練習でそういう可哀想な事やめたれや」
先輩であろうと弱点は弱点だ。遠慮する方がおかしいし、練習だって負ければ気分が悪い。やる前から負ける気なら、やらない方がいい。
「勝てばええでしょ」
「まぁな。光は見かけによらず負けず嫌いやもんなぁ」
謙也さんは溜息をつきつつも俺の肩に手を置いた。俺の事をよくわかってます、というような顔で言ってくれている。俺の何をわかっているのやら。
『俺の気持ちなんて、知らん癖に』
肩に置かれた手は確かに俺に触れているのに、俺のこころの内側には触れられない。見上げれば謙也さんの顔が楽しそうに口元に笑みを浮かべていた。何でも楽しめてしまう人間は、いつもどこでも明るく前を向いている。どういうシナプスの解し方をしたら、そういう思考になるのか不明である。
「謙也ー!財前見つかったかぁ?」
部室の外から白石部長の声がした。声が遠い。副部長もなにか話している声もするが、こっちは声を張っていないので正確には聞こえなかった。
「あ、白石が呼んでるやん・・・おったでー!今、行くわ!光、行くで。」
謙也さんの手が、俺から離れた。先に白石部長の元に駆けていってしまう。
ただ、それだけの事なのに少し寂しくなる俺がいた。どうせダブルスを組むのは俺なのだし、こんな些細な事で卑屈になる方がおかしいのだ。
そう思い直して、俺も部室から出ようとする。
「ねぇ、光。妄執は何も生まんわよ」
呼びかけられた言葉に一瞥だけするが、足は止めなかった。その言葉とは相反したふざけた様子で小春さんは投げキスをしてきた。幸運にも、ユウジ先輩はジャージに着替えている真っ最中で「小春!浮気か!」という迷惑極まりない展開は免れたのだった。
妄執って、なんだそれは。理解できない。



「俺と白石は、」と謙也さんが言う前に俺が口を塞ぐようになった頃には、謙也さんはただの学校の先輩ではなくなっていた。恋人というポジションになっていたのだ。俺は俺で、憎たらしい言葉を自分が発する前に謙也さんに口づけをして封をした。キスというものは便利なものだ、と客観的に思ったのだ。相手の口からも自分の口からも、不穏な言葉を発せさせない。言葉よりも能動的に気持ちを伝えるには良い手段だ。これは良い事を発見した!と思ってから有効利用していた。
相変わらず謙也さんの隣には、白石先輩がいた。俺と謙也さんが付き合う事になっても変わらずにいる。俺の予想では、てっきり白石先輩は反対してくるものだと思った。反対はなくても、感情的な起伏はあるものだと思った。自惚れかもしれないが、例えば、俺に対しての怒りとか嫉妬とか、そういったものだ。けれど、白石先輩が「あんま喧嘩せんようにな」と言ってくるので、拍子抜けしてしまった。これでは、まるで俺たちを応援しているようではないか。
俺は、白石先輩も謙也さんの事が好きだと思っていたのだ。
俺の長年の疑惑は、一体なんだったというのだ。急に肩の力が抜けて「はぁ、そうっすか」となんとも間が抜けた返答をしてしまった。俺の表情を見ると白石先輩が「なんやその反応は」と笑った。考えてみたらセクシャルマイノリティーとよばれるだけあって少数なものである。白石先輩がストレートである方が普通なのだ。なる程、妄執であったかもしれない。今更ながらに小春さんの言葉を思い出した。
謙也さんを手に入れたという征服感に似た独占欲と払拭できない疑念が混ざって、妙な色合いをした感情になった。確かに謙也さんを手に入れたと思ったのに、掴んだ手が実体がないもののように思える時がある。握っている手が透明で温度がないような。
そんな虚像を触っているような錯覚を消したくて、目の前にいる謙也さんを触って確かめる事を繰り返した。欲求というよりも確認作業に近い気分だ。

「あかんっ、て、待った」
「待たん」
「光、」
ドアの前に立つ謙也さんを後ろから抱きしめる。短い髪からのぞくうなじにキスをする。まだ俺の方が低いものの身長差は前よりなくなっていた。前に回した手は謙也さんのTシャツの中に忍び込み、直接肌を撫でた。俺の部屋から出て行こうとする謙也さんを無理やり引き止める。
昨日から謙也さんが泊まりに来ていたわけだが、そんな日にやる事なんて一つしかない。当然、謙也さんもそういうつもりで泊まっていたので、恋人としてやる事はやっていたのだ。抱き合って眠ったままの延長で、朝を迎えてもカーテンもまだ閉めたまま。朝日の眩しさが嫌いな俺の部屋のカーテンは、午前中でも陽を遮断してくれている。隙間から僅かに零れる光が、物体の輪郭を作っていた。
「白石と約束あるって、昨日、」
「そんな事、言ってましたかね・・・」
「言った!」
白石先輩と約束があると言って、早々に出ていこうとする謙也さんを抱きしめる。俺は起きたばかりで下のスエットをはいただけの恰好だった。俺がまだ寝ている間に謙也さんは身支度をして「光が起きんようにと思って」こっそり出て行こうとしたらしい。そりゃあ、昨日の段階で話は聞いていたし、付き合いたてのカップルではないから構わないのだが。
「コソコソ出ていくもんやから、つい」
「いつも起こすと怒るやんか」
「そうでしたっけ?」
「そう、やろ・・・なんで起こすんスかって、言う・・や」
謙也さんの語尾が吐息になって消えた。少し息が上気している。肌を直接撫でる俺の手を離そうと片手で引っ張るものの、もう片方の手は縋るようにドアについている。首筋を舌で舐めると肩が震えるのがわかった。はぁ、と溜息にもにた甘い息を吐いて、ドアに体をもたれかけさせる。昨日の今日で敏感になっている謙也さんの肌は素直に俺の手に従った。従順とも言えるほどに。
「ホンマ、あかんって・・・時間、」
俺は返事を返さずに謙也さんの耳たぶを軽く噛んだ。ピアスも傷もない、綺麗な耳をゆっくり舐める。舌の先を使って、耳殻を撫でるように。
「俺、謙也さんと今日もしたい。抱きたい。」
謙也さんは、こう言われると弱い。謙也さんの弱い部分は、たくさん知っている。俺だって馬鹿ではない。
俺が耳元で囁くと、謙也さんが僅かに首を捻り振り返った。気持ちが良くなると謙也さんは潤み目になるタイプらしく、じっと俺を見る。しかも、悔しそうに見るものだから―――いけない。試しに仕掛けたつもりが本気で逃がしたくなくなってきた。こういう顔が一番逃がしたくなる。
「ダメ、やないけど・・・今日は、これから・・・」
話を聞いてないフリをして行為を先に進める。
「なぁ、って、」
咎めるように俺に制止を求めてきた。
「俺が嫌なら、振り払ったらええんちゃいます?」
謙也さんは男だ。別に無力な女の子を襲っているわけじゃない。しかも、俺よりも背も高い男なんだから、嫌なら暴れるなりなんなりしたらいい。それができないと知っていて、俺は謙也さんに甘える。
「謙也さん・・・俺の名前、呼んで」
謙也さんが僅かに唇を開こうとして、止まる。俺の名前を呼んだら、もうこの部屋から出られない事に気づいたのだろう。呼び返したなら、俺の行為の継続を承諾したも同然だ。少し開いた唇は、きゅっと閉じられてしまう。なかなか陥落しない。かといって、俺を拒みきるわけでもない。
『これは、ずるい』
どちらも選ばないなんて、ずるい。もし、これが白石先輩ならどう言うんだろうなとフと思ってしまった。『早よ行き、約束あるやろ』なんて言って優しく逃がして送り出すのか、はたまた『全部俺のせいにしてええよ』とキザったらしい台詞を吐いて謙也さんを宥めて抱くのだろうか。それを考えたら余計におもしろくない。残念ながら俺はそんな善人でも大人でもないので、謙也さんを道連れにするやり方しかできない。
「はやく、謙也さん、」
恥骨をジーンズの上からなぞって、うなじを吸った。謙也さんの肩がピクリと震えた。それでも、謙也さんは抵抗してこない。もしや俺が優しく途中で手を止めて、微笑みながら逃がしてくれると思っているのか。そんな訳あるか。
力が入らず立てなくなった謙也さんがずるずるとしゃがみこむ。しゃがんだ時にジーンズのポケットから落ちた携帯が床に落ちた。
「―――ッぁ、」
愉悦に耐えていた喉の奥から漏れる声が、部屋に染みる。その後に、甘い吐息が音なく零れた。
『おちた』
謙也さんが俺の手に堕ちた。携帯も落ちたけど、そんな事はどうだっていい。
唇を噛んで耐えていた謙也さんの口が開いた。謙也さんは喘ぎながら苦しそうにドアに縋っている。全て諦めて俺を受け入れてしまえば、葛藤の苦しさからも解放されるのに。ドアに縋る指先が快感を耐えるように震えていた。それを横目にして、後ろから抱きすくめる。
「呼んで、俺の名前、」
抱きしめた体は体温が上昇している。有無を言わさずジーンズの前を寛げれば、硬くなりつつある謙也さん自身の形がよくわかった。
「光」
「はい、」
「ひかる」
それが嗜虐心と愛しさを同時に芽生えさせて、何度も何度も首筋に口づけて、柔く噛んだ。可愛くて本当に食べてしまいたい。かぷり、と歯を立てて噛みつきながら謙也さん自身を握りこんだ。
「―――謙也さん」
自分が呼んだ名前も呆れるくらいに甘くて吐き気がしたが、快楽の前ではどうだって良くなっていた。

これは約束には間に合わない。一度でいいから、裏切らせたかった。


「白石に恋人ができたらしい」と謙也さんが寂しそうに笑ったのは、それから数年後の事だった。お互い大学生になったものの、そう大して変化はない。大人に近づけばもっと何かが変わっているかと思ったのだが、俺の身長も謙也さんに近づいたものの追い越せずにいた。
謙也さんの報告に「そら、おめでとうございます」と俺は言ってやった。「せやな、めでたい事やんな」と謙也さんは自分を納得させるように呟いた。めでたい以外になにがあると言うのだ。俺は両手を挙げて喜びたいくらいだ。あの白石先輩なのだから、恋人がいたってなんら不思議ではない。今までいなかったことの方が不思議なくらいだ。中学・高校と謙也さんの横に居続け、大学で学部が別れてやっと物理的な距離ができた。そんな『親友』に恋人ができた。
俺の大学の近くにあるファミレスで向かい合って後期試験の準備をしていた。学部は当然ながら異なるため、一緒に勉強しているというよりも空間を共にしているだけだ。μ受容体だの5‐HT3だの、その作用機序なんて俺には関係ない。
ファミレスには試験前の学生が多く、ざわざわと控えめな騒音で満ちていた。喧騒まではいかない、雑音。食器や金属が当たる音、女の声、椅子の音、男の声、高音から低音までが混ざっている。
「寂しい?」
ペンを止めて、謙也さんをちらりと見る。謙也さんは教科書の上の文字を追いかけたまま「少し」と答えた。少し?そんな訳ないだろ。あれほど密に繋がっていた癖に。誤魔化したって、わかっている。言ってやりたい事はあったけれど、そこを掘り起こしたって良い事なんてない。俺は口を閉ざして、ドイツ語のページを捲った。入学して必須の第三言語の選択を迷っていた時に、謙也さんが第三言語でドイツ語を選択していたという理由で取った。だが、医学部は1年だけ学習したら完了というものらしく、謙也さんからテキストやらプリントを丸ごと譲り受けてしまった。いつもの面倒見のいい先輩顔で「ほな、これやるわ。ノートまとめたるから」と寄越した。
「白石先輩に今までいなかった事が奇跡ですよ。あれでフリーってないでしょ。逆に人間性に問題あるか疑いますよ」
「はは、せやなぁ。男前ちゅうか綺麗やけど中身は少し変わってるしな」
「少しやないでしょ。相当ですよ。」
「白石もえらい言われようやな」
謙也さんの面白がっている声を聞きながら、俺は演習問題を進めた。話半分に聞き流しながら、ドイツ語の和独訳の問題を進めていった。頬杖をついて謙也さんがノートを覗き込んでくる。そうして、「話すやなくて言葉っちゅう意味やから、そこはdieやで」と訂正してきた。謙也さんの癖に腹が立つが、試験前なので反抗せずに大人しく直した。
「光は・・・嬉しそう」
突然、謙也さんが口を開いた。騒音の中の呟く声が聞き取りづらく、視線だけ上げて謙也さんをじっと見た。核心的な言葉を吐かれたような気がする。そして、気のせいではない。
「俺が?」
「そう」
「なにに対して?」
「恋人ができた事に対して」
誰に、とは言わない。その言葉に足りない単語が隠れている。無言のまま互いに視線を絡ませる。探り合うように、心の底を探り合うように。謙也さんが気づいていた事に対して、なにより驚いていた。今、自分は動揺している自覚があって、上手くソレを隠せているか自信がない。
「ザマァミロとは思いました」
俺も誰に対してとは言わない。言わなくったって一人しかいない。
「白石はホンマにただの親友やねん」と謙也さんが困ったように笑う。その瞬間に理解できた事は2つある。鈍いように見えて意外と周りをよく見ている謙也さんに既に俺の考えなんて見抜かれていて、それについて謙也さんは困ったように笑う事しか答えも持っていなかった。謙也さんにとっては、周りにいる人間は欠けてはならないものばかりだ。
謙也さんのスマホが着信を知らせた。目の前の恋人は、俺の感情の動きを窺いながらも「ごめんな」とマナーとしての一言を口にして電話にでたのだった。
「もしもし、―――」
シャーペンを放って、謙也さんの手を咄嗟に握った。離さないように掴む。謙也さんを誰にも連れていかれないように。
俺をわかっているようでわかっていない謙也さんは、少し目を大きく開いて俺を見たけれど直ぐに微笑んで手を握り返して『外の世界』と交信していた。




【END】
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