2013年7月その3 

September 17 [Tue], 2013, 22:42
救急搬送とか胃洗浄とか、病院にいる間、
なんだかドラマの中にでも居る感じでした。
現実感がまるで無いという状態。

あまりにも現実味が無かったもので、
逆にすごく冷静だったのを覚えてます。

医師から説明がありましたが、
最近の処方薬でオーバードース(drug overdose、過量服薬)を行っても、
亡くなってしまうという事はかなりの高確率でまず無いそうです。

なので、それを分かっていてみせしめでやる人か、
こういった病で衝動的にやる人かに分かれるようです。


この日、家族で初めて精神科の医師と話ました。
今まで何があったのか。症状が出始めたのはいつからなのか。
この30年の事を事細かに話しました。

医師の話を聞いて、私はこの時にやっと、
今更ながら母の病気と向き合いました。

この病に関してあまりにも自分が無知だったこと。
30年もみて見ぬ振りを続けた末、この様な結果になったこと。
後悔しても足らないくらいの後悔をしました。

きっと、もう少し早く、
父任せにせず家族全員で向き合っていれば、
こんなに病が進行する事はなかったかも知れません。


しかしそれは、後悔先に立たず。
今更「あの時こうすれば」とか考えていても何も始まりません。
30年かかりましたが、ここからが私達家族の再スタートなんだ。
そう思いました。

母は入院する事になりました。

2013年7月その2 

September 15 [Sun], 2013, 15:15
母が兄の家に住んでから2日。
兄はすでに限界を越えていました。

携帯やパソコンを開くだけで
「お前も裏切るのか。私の居場所をバラすつもりなのか」と疑われ、
テレビを見せても心ここにあらずと言った様子で、
突然「この家は危ない!私のせいで危なくなる!」という妄想が始まったり、
あんな別人の母と一緒にいるのはもう耐えられない、と、
兄が生まれて初めて、私に弱音を吐きました。
そして、ずっと一緒に暮らしていた父を想ったそうです。

その翌日、母は近くに住んでいる伯母に連絡を取り、
兄がいない間に兄の家を出ました。
母の姉にあたる伯母は母を可愛がっていたので、すぐに迎えに来て、
暫く面倒を見てくれると言ってくれました。

正直、私達家族はホッとしました。
妄想の対象は私達家族なので、
伯母の家なら安定して薬も飲んでくれるだろうという事と、
今の状態の母から解放された事に、正直、安堵し、助かった、と思いました。

伯母の家に滞在し、家族から離れた事により少しだけ安定した様に見えました。
ずっと無視されていた私のメールに、母から返事がくるようにもなりました。
内容には妄想も含まれていましたが、返事が来たというだけで嬉しかったんです。

ずっと前から飲む分量を勝手に調節して、最近は全く飲んでいなかった薬を、
伯母の家にいる間はキチンと摂取していたおかげだと思います。

そして2週間ほど経ってから、母が「家に帰りたい」と言い出しました。
自分から言い出したのなら、と、家に戻ってきた母ですが、
やはり帰って来ても臭いという幻嗅と幻聴はひどく、
妄想と夢と現実の区別がいよいよつかなくなって来ました。


そしてその3日後。
母は大量の薬を飲み、自殺未遂を図りました。


2013年7月その1 

September 15 [Sun], 2013, 15:00
入院をやめた翌日、
色々な病院を探しましたがその時は監獄の様な病院しみつからなかったそうです。
そして少し山奥の病院に向かう途中、突然もう帰りたいと母が訴えたそうです。その時は理由を聞かずそのまま帰ったそうですが、後日聞いてみたらその時に母は「父に山奥に捨てられる」と思っていたそうです。

この時から、母の中で「父に殺されそうになっている」という妄想が始まったそうです。
「家から追い出される」から「殺される」に悪化したのです。


そしてその翌日、母は家から姿を消しました。

おそらく、
病院に入院する事も出来ない、家に居たら殺されるかもしれない、と思い
逃げ場がなくなった上での行動だったと思います。

父はこの日シルバーの仕事があり、出かけたのです。
こんな時に一人にさせてはマズイのではと感じていた嫌な予感が的中しました。
父が午後仕事から帰ったら家におらず、夜になっても連絡も取れず、
これは出て行ったかもしれないと思い、私達を収集しました。

翌日の夜、お金が無い事で母の方から連絡がありました。
近くのホテルに泊まっていたそうで、場所を確認してからホテルの人に簡単に事情を話し、勝手にチェックアウトをしたら連絡を下さいとお願いしました。
その日の夜、フロントに誰かが部屋の前まで来ているから警察を呼んで欲しいと電話があったりしたらしいです。ホテルの人はこちらの事情を知っていたので、呼ぶ事は出来ないと断って下さったそうです。
ホテルに迎えに行ってからチェックアウトする話にしておきましたが、早朝に母は勝手にチェックアウトをしました。
家にホテルから連絡が来て、チェックアウトをしてから落ち合う予定にしていた場所に向かうと、母はタクシーで先にその場所にいました。

まだ母の妄想対象になっていない兄が、俺の家に来れば良いんじゃないかと提案して、母は喜んで兄の家に行く事になりました。
そうなった途端、布団やらお鍋やらを家からどんどん兄の車に積み込み、
その日のうちに兄の家へ行きました。

母の居場所がつかめているだけ良いと思いましたが、
数時間ごとに行動や考えが変わり、思い立つままに即行動をするその母に、
どんどん私達家族は振り回される結果になります。

2013年6月その2 

September 09 [Mon], 2013, 18:13
浮気していると言い始めてから10日くらいでしょうか。
突然「どうして私からのメールを受取り拒否してるの。何でそんな事をするの」と母からメールが来ました。

もちろん私はそんな事はしていません。
母は機械操作が大の苦手で理解しておらず、おそらく私へのメールが電波の関係で送れなかったりした時に、そう思い込んだと思われます。
もしくはメールを送信したと思い込んでいるだけで、実際は何も送っていなかったという事も考えられます。
(後日母の携帯送信履歴を見た際、私にメールを送ったと言ってた日の送信履歴と未送信履歴には何もありませんでした)

この日から、母の中で父の他に私も加わります。
母の中で私と父が手を組んで、母を家から追い出そうとしてる、という結論になりました。
メールを送っても返事を貰えず、
まるで他人の様に扱われ、
顔を見せれば泣かれました。

実の母にそんな態度をされたという事実は、
今思い出しても、つらくてつらくて仕方ありません。
また、こんな状態の母に毎日敵対され暮らしていた父の苦労を思いました。

一番辛いのは本人なんだ、
これは病気のせいなんだ。
必死にそう思おうと思いましたが、
それは無理でした。
つらいです。あんなにつらいことはありません。


その翌日、母はもう家には居れないと考え、
自らかかりつけの精神科医に電話をして入院したいと言いました。
母は前から自分の事を「不安が大きくなる病気を持ってる」と言っていたので、おそらく自分のことを鬱病と思っているのだと思います(実際、鬱病も少し入っているそうなので間違いではないのですが…)
不安になりすぎて夜寝れなくて辛くて、更に変な臭いで家を追い出されそうになってるから、耐えられないもう入院したい。という状態だったそうです。

処方されていた薬は今まで母が自分で管理していたのですが、どうやら自分の体調に合わせて母が勝手に飲んだり飲まなかったりしていたらしく、症状が出始めた時からほとんど飲んでいなかったそうです。
これが症状の急速な進行を生んでいた様です。

そして病院に電話した翌日、
母と父は入院する精神病院へ行きました。
入院手続き前に病院の中をみた時、扉を二重施錠されていて監獄の様だった事と、わめき騒いでいる人たちを目の前にして母は愕然として、「こんなところ入りたくない怖い」と拒否したそうです。
精神病院がどういうものか分かって無かったようです。
父もその病院内を見て、こんなところに入れたくないと思って二人で入院を辞めて帰りました。

今思えば、あの時に入院させてやれば
あんな事にならなかったのにな、と、父は後悔しています。
しかし、やっぱりあんな監獄みたいな病院に妻を入れるのは自分の中でどうしても嫌だったんだと、振り返っていました。

2013年6月その1 

September 09 [Mon], 2013, 18:12
週末に家に行くと、
母は「父が浮気をしている」と私に言いました。
まわりの人に教えてもらったのだと。
誰から教えてもらったのかと聞くと、知らないおじさんで、でもそのおじさんが言ってたから間違いない、と言いました。
知らないおじさんの言う事なんて信じる事ないんじゃない?というと、全て辻褄が合うから間違いないと、確信に満ちた表情で語りました。

たまたまそうなった事なのに、自身の都合でそれの辻褄を勝手に脳内で合わせ、そしてその強い思い込みを更なる確信へと変えていました。

例えば、先にどこかの店へ行けば、
「自分を置いて先に行った」と結論付け、
後から店へ行ったとすれば、
「わざと遅れて来た」と解釈するのです。

例えこちらが変な妄想をされないようにと
最善の注意を払って行動をしようとも、
ちょっとした行動で全てをマイナス方向へ妄想し、それを自分の中で確信づけてしまう。
これが急性期の症状です。

この「父が浮気をしている」という妄想は以前もあった為、
家族の中で「前もあったから今回もどうにかなる」という
甘えが完全にあったのだと思います。

しかし、今回はそんな簡単な事ではありませんでした。
たった数日で症状は急速に進行していきました。
周りの人から愛人が近くに住んでいる事を教えて貰ったと言い、父が自分を追い出そうとしていると言い始めました。家中に変な匂いをさせ、私を追い出そうとしているのだと。
幻聴と幻嗅の症状です。
悪口を言われている等の幻聴は以前からありましたが、
幻嗅は初めての症状でした。

臭くて家にいられないからと、私が仕事をしている間に突然私の家に来る事もありました。
その時に「すれ違ったおばさんと貴方の話をしたのよ、あのおばさんちょっと馴れ馴れしいわね」と言われましたが、私のマンションはほぼ学生しかおらず、管理人さんはおじいさんで、私はおばさんという年齢の女性とは声を交わした事もすれ違った事すらありません。
おそらく、幻覚症状も出ていたのだと思います。


2013年5月下旬 

September 07 [Sat], 2013, 16:42
2012年の12月から、何となく感情が昂ぶる事が多くなってきたなと感じるようになりました。
しかし瞬間的に少し昂ぶるくらいですぐいつも通りに戻っていたので、
たいした事はないだろうと、思い込んでいつも通りだと特に気にしていませんでした。

2013年5月下旬。
不安を訴えはじめるようになります。
始めに言い出した事は「親戚の人間が家に勝手に入られてる」という事でした。
自分達がいない間に勝手に家に入り、物色されている。
家の権利書や印鑑などが狙われている、と。

心配しすぎだよと言い、あくまでも普通に接しました。
前みたいに別の話題を話したり気分転換をさせたり、
休みにちょくちょく顔を出すようにしました。

しかし、それから2週間ほどした6月上旬。
私の職場に母が突然現れました。
何かと思ったら、家に誰かに入られてるから、危ないから印鑑や大事な権利書を預かってくれと、私のところまで持ってきたのです。
父に心配だと何度訴えても取り合ってくれなかったから、
父にだまって安全な私のところに預けにきたそうです。


嫌な予感がしました。
病気が完全に進行している。
そう思いました。
これはまさに前兆期で、
今思えばもう少し早く何か出来たのではと
後悔してもしかたないのは分かっていますが、
やはりしてしまいます。


週末に家に行かなければと思っていましたが、
この病の進行スピードは恐ろしいものでした。


ことのはじまり:5(2~3年前) 

September 06 [Fri], 2013, 18:00
離れて暮らすようになってから月1程度で顔を出す様にはしていて、
ち家族で温泉やちょっと出かけたりとかはそこそこしていました。

そして離れてから2年ほど経った頃でしょうか。
父から「またおかしな事を言い出したので家に来て欲しい」とメールがありました。

隣に住んでいる祖母に盗聴されている。と訴え始めました。
家には来訪者が見えるカメラ付きのインターホンがあり、
お風呂の湯沸かしを制御する液晶パネルがついているのですが、
そこにカメラが付いていて、操作されていてそこからいつも見て聞かれているのだと、思い込んでいました。
警察を呼びたい、専門家を呼んで他に取り付けられてないか調べて貰いたいと訴えていましたが、私達はやんわりと「心配しすぎだよ大丈夫だよ」と言いつつ話題を変えて、外へ連れ出し一緒に温泉へ行ったり気分転換をさせる事を続けました。
すると暫くしたら、盗聴云々という話はしなくなりました。


私たち兄妹は、父から母の病名については聞いてませんでした。
しかし、前に赤の他人のアパートへ押しかけた時に、妄想について調べ、母の病気は「統合失調症」なのだと気付きました。
母自身は自分の事を「不安で落ち着かなくなる病気」と言ってたので、「不安神経症」「パニック障害」だと思っているのではないかと感じています。


妄想に関しては否定したり理屈で責めてはいけない、という事は知っていたので、必死に別の話題に切り替えてその事を考えさせないように努力しました。
この時も病院には通っていましたし、薬も飲んでいるし、すぐに妄想は無くなった様なので、きっとまた同じ事が起こっても同じ事をすれば大丈夫だろう。

そんな風に思っていました。
結果的に、それは大きく間違っていました。


ことのはじまり:4(5年前) 

September 05 [Thu], 2013, 23:45
病院へは父がいつも付き添っていました。
良くなっている様に見えたので特に病名に関しては追及していませんでした。
当時、母は確か私達に
「不安になって落ち付かなくなる病気なので、それを抑える薬を飲んでいる」
と説明していたと思います。

私達子供は、「自分で病気の事も理解したみたいだし、通院しているし、明らかに良くなってるからもう大丈夫」と、勝手に安心していました。
ただ、やたら身体の不調を訴えたり、救急車に乗る事はかなり多かったと記憶しています。
覚えているだけで3回は乗ったでしょうか。
あまり覚えていませんが、どれも気持ちの問題での症状だったと思います。


そしてそれから10年後。今から約5年前です。
祖母が年を取ったので父と母はアパートを出て祖母の隣で暮らすと言い始めました。

その話を聞いて、私達はまず、
母が初めて重い症状を出したあの時の事を思い出しました。
あんな事があったから祖母の近くを引っ越したのに、また同じ事になるのではと。
私達は反対しました。

しかし母は当時、何故か「私が祖母の面倒を見る」とやる気満々に意気込んでいました。
この時どう思っていたのかは、今となっては何も分かりません。
病院に担ぎ込まれたのも、家を飛び出して静岡に行った事も、
覚えているのか忘れてしまっているのか全く分かりませんでした。
一番心配な母が自らやると言っているのなら、私達が反対する意味は無く、
不安に思いながらも兄と私はそれぞれ一人暮らしを始めて家を出ました。

そしてほどなくして、私達の嫌な予感は的中しました。

ことのはじまり:3(15年前) 

September 05 [Thu], 2013, 23:05
引っ越しをして5年ほど経った頃でした。
母も全く普段通りに戻り、普通の暮らしをしていたのですが。

父が、単身赴任で海外に行く事になったのです。
確か当初の予定としては1年くらいだったのだと思います。
バタバタはしましたが特に問題も無く父は赴任しました。
最初の頃は毎日電話をしたりFAXしたりしていましたが、
暫く経つとその間隔も空く様になったりはしてたと思います。
父が赴任した生活に慣れ始めた頃でした。

「父が浮気をしている」と、突然言い始めました。
「海外赴任と思わせておいて実は愛人のところにいる」のだと。

当時何も分かっていなかった私達兄妹は理解が出来ず
「そんな訳がない」とただただ否定するばかりでした。
海外に電話しているのだから有り得ない、と常識を盾に説明しても
この電話番号もグルなのだ、仕組まれているのだと言い切る。
電話番号は国が決めたものだからそこを操れる訳ないと説明しても
絶対にそうだ間違いないと決めつける。
こちらの必死な説得も一切聞き入れず訳の分からない思い込みを言い出し、
私達兄妹はただただ、オロオロと「考えすぎだよそんな訳ないよ」と
否定することしか出来ませんでした。

そして更なる事が起きます。
家から少し離れたところにあるアパートに、
父が愛人と今一緒に暮らしているのだと言い始めました。
何でと聞いても「教えて貰ったから間違いない」と言い、
これから言って直接話してくる。と血相を変えて飛び出しました。

慌てて後を付いて行くと、そこは近くにあるワンルームの学生用の安アパートでした。
母は私達の制止に一切耳を貸さず、その家のベルを何度も鳴らし、
「居るの分かってるんだから!出てきなさいよ!!」と声を荒げ、
ドアをドンドンと何度も叩きました。
しかし中からは一切返事はありません。
私達は「今は留守なんだよ、他の家の人のも迷惑だし、とにかく出直そう」と、
納得していない母を引っ張る様にして家に帰りました。

この家の人がもしご在宅だったらと、今考えても背筋が凍ります。
でももしここで警察沙汰になっていたら、もしかしたら治療に入れて、
今現在の様に重症化しなかったんじゃないだろうか、とも思います。
過ぎた事なので何とも言えませんが…。

その夜、私達兄妹は海外にいる父に電話をしました。
「お母さんが訳の分からない事を言いながら全くの他人の家に押しかけ、どうしたら良いか分からない、お願いだから今すぐ帰ってきて」と、泣きながら訴えて、父は翌日、日本に帰国してきました。

父が帰国してからは、変な事を言うのはなくなりました。
ただ、パニック障害を頻繁に起こす様になり始めます。
以前起こした症状と同じで、突然大声を上げて過呼吸になり倒れるという症状です。
この事に関しては母にも自覚症状があり、本人もつらかったので
ここから病院に通い始める事になります。

薬による治療が始まり、母は見て分かるほど改善されて行きました。
頻発していた過呼吸もおさまっていき、
改めて私達家族に普通の生活が始まりました。

ことのはじまり:2(20年前) 

August 31 [Sat], 2013, 8:06
引っ越しをしてからは多分落ち着いてはいたと思います。

多分というのは、この頃まだ私は幼かった為、
母のそういった事の記憶は全くありません。
ごく一般的な、普通の母。という記憶です。

ただ、いつも学校の学童に通っていた記憶があります。
なので、この頃母はパートをしていたそうです。
父の話では、母はパートをやっても長続きせず、
いつも三ヶ月程度で辞めていたそうです。

辞める理由はいつも、
「パートの人に悪口を言われている」
「悪口を言う人が家の近くまで来ている」
といっていたそうです。


そして引っ越してから10年程経過した時、
家族で祖母のいる家の隣に引っ越しをする事になりました。
私はまだ小さかったので、どうしてそうなったのかは分かりません。
前にあんな事があったけど、もう大丈夫と判断したのかもしれません。
何も知らない私は祖母の近くで暮らせる事を嬉しいと思ってました。


祖母の近くに引っ越してから半年程でしょうか。
小さかった私ですが、この時の事だけは鮮明に覚えています。
寝る準備をしていた時、突然聞いた事も無い様な叫び声がしました。
わけもわからず振り返ると、そこには仁王立ちで絶叫している母がいました。
あまりの光景に、母では無いんじゃないかと思いました。
慌てて父が近寄るとその場に崩れ落ち、叫びながら
「苦しい!息が出来ない!!死ぬ!!!殺される!!!」
と、息も絶え絶えに訴え始めました。
過呼吸症状です。

救急車を呼ぶよりも運んだ方が早いと思ったらしく、
父は祖母と一緒に暮らしていた叔父に助けて貰いながら母を車に乗せ
救急病院に自ら運びました。
私は、ただその様子を、何も出来ないまま、枕を抱き締めて見つめていました。

この時の理由もやはり、
「祖母が自分の悪口を近所に言って歩き、近所からも言われて耐えられない」
という気持ちが爆発したため、という事でした。

精神病というものは、色々なものを併発してしまう事も多いと聞きました。
おそらくこの時、パニック障害も併発していたんだと思います。

この時、病院へ行ってどういう判断をされたのかは分かりません。
薬を貰って帰ってきた母は、一週間ほど普通に暮らしていましたが、
突然、何も言わずに家から消えました。

しかし翌日、泣きながら電話がありました。
静岡まで一人で行き、旅館に住み込みで働かせて下さいと言ったら、
そこの女将さんがその母の状態を見て察してくれて、
「家族が心配してるだろうからまず家に電話してどこにいるか連絡しなさい」
と言ってくれたそうです。
この女将さんが親切な方で本当に良かったと、今でも思っています。

やはりこの時も、
「皆が悪口を言ってきて、耐えきれ無くて家を出た」
という事でした。

私達家族は、またすぐに引っ越しをする事にしました。

P R
プロフィール
  • アイコン画像 ニックネーム:makoto
  • アイコン画像 性別:女性
  • アイコン画像 現住所:東京都
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