デュオリサイタルに向けて・・ 

March 03 [Tue], 2015, 15:01
日曜日は小春日和でポカポカ、春の訪れを感じさせてくれる一日でした

週末の土曜日は朝からレッスンして夕方遅くにローマへ入り、日曜日は早朝から電車に乗ること40分

ラティーナという町にお邪魔しました。

この日は今回初めて共演するイタリア人若手チェリストのエレナちゃんとの第一回目の合わせ。

”ちゃん付け”していることからもわかるように、彼女は20代の若い新鋭チェリスト。

昨年の夏、一度彼女の演奏を聴かせてもらいましたが、とてもパワフル且つ室内楽の奥義をすでに知っている、そんな貫禄のある演奏に感銘した記憶があります。

そして年末に今回の共演のお話を頂いて、この日をとても楽しみにしていました。


今月20日に、ナポリの美術館でチェロとピアノのデュオリサイタルをします。


以前ブログにも書きましたが、この企画発案者は先月お亡くなりになられた偉大なピアニスト、マエストロ チッコリー二によるものでした。

私も彼女も時は違えど、それぞれチッコリー二に学んだ経験を共有しています。

この日も「先生にお会いできるかも、と期待していたのにね」と、今は亡きマエストロを互いに偲び合いました。

さて、リサイタルではショパンの大曲、チェロソナタ(さすがショパン!ピアノが主役といわんばかりのピアニズム!!)、ヤナーチェクの「おとぎ話」、そしてシューマンの「アダージョとアレグロ」を演奏します。

ショパンのソナタだけで30分弱。

この日は早速ショパンだけで3時間ほどの熱の入った合わせ(休憩挟まず)でした。

お互いの解釈を伝えながらいろいろ試してみたり・・そんな充実した時間を過ごせることって本当に楽しい。

今回も素晴らしい演奏家に出会えて、共に演奏できることに改めて感謝!

引っ張り会えるエネルギー交換、そのことが心を満たしてくれる、音楽が私たちに与えてくれる力って本当に大きいな、と改めて実感させられました。

今日はこれから音楽院のフルート試験伴奏に出かけてきます

Evviva la musica!!(音楽万歳!!)





見える音へ 〜音楽のツボ 

February 24 [Tue], 2015, 12:43
「伴奏ピアニストは音楽のツボアドバイザー」

昨日は博士修士を控えるフルートの学生たちと、デュティュ―(Dutilleux 一昨年までご存命だった20世紀を代表するフランスの作曲家)のソナチネをはじめ、PoulencやMartin、そしてA.Casellaの合わせ(プロ―ヴァ)をしました。

プロ―ヴァ(prova)とは、イタリア語で「試す」という意味

つまり、音楽の世界ではオーケストラや室内楽など他の演奏家との「合わせ」を意味します。

ここでの私の役割は、学生の試験やsaggio(試演会)でサポートする伴奏ピアニスト。

でも伴奏という言葉は時に「主役をたてる」という概念に陥りがち。

器楽の作品は室内楽曲として「ピアノと○○のための〜」という作品が多いので、まずは学生相手とはいえ、学生の意思を尊重しながら対等な立場で曲作りを手掛けています。

ピアニストは元々、楽譜を縦に見たり、和声に慣れている、そのことを通じて曲の構成を理解する能力を多かれ少なかれ幼いころから身につけています。

このことから、おのずとピアニストに課せられる仕事が見えてきます。

彼らのためだけに「合わせ」をするわけではありませんが、学生がなぜ何度も「合わせ」(プロ―ヴァ)を必要とするか、それは単に経験不足ということだけではなく、普段からピアニストに比べ「ハーモニーに慣れていない」ということも一因にあります。

ピアニストはまず、相手が自分のパートを弾く(吹く)ときにいかにピアノのパートを聴いているかを診断することから始まり、その上でバランスやフレージング、音をどのようにケアするのか、そして最も意識すべき点は、人生と同じで音楽にも波があり、緊張と緩み、そして良い音楽を奏でるためのツボがある、ということ。

案外、楽譜の中には「埋もれている」音が結構あり、その埋もれている音こそ大切なツボだったりするのです。

弾き慣れている、知り尽くしている、という作品にも案外、聴きそびれていたといったツボが隠れているかもしれません。

ひとつの出来あがった形にこだわらず、時々楽譜を真っ白な気持ちで読みなおすことが、新鮮な気持ちで同じ作品と長く付き合うコツでもあります。


昨日provaを行った音楽院の部屋















見える音へ 〜真似から入る演奏法 

February 19 [Thu], 2015, 14:28
「盗む洞察力」

どの分野にも共通する点だと思いますが、日本人の優れている点は、外からの文化を取り入れて自分たちのもの、あるいは元の形から更に飛躍してオリジナルのものにする力を持っていること。

学ぶ姿勢もそうです。良い意味で「盗み」、「真似」から入り、自分のものへと消化していく。


「真似から入りなさい」、と私のイタリアの師匠はよく仰っていました。

コンサートを聴く際にも同じことが言えます。


ピアニストは大抵鍵盤が見える下座に座ります。他人の手や腕の使い方、鍵盤に触れる指のタッチなどを観察し、その結果、どのような音を響かしているのかといった点を観察できるからです。

テクニック面で「真似」という実験を通して考察することが、視点を拡げるきっかけにもなるのです。

でもコピーで終わってはいけません。

体格や手の大きさによっておのずと弾き方や姿勢も変わってきますから、自分の体のサイズに似た演奏家を注目してみるのも、求める音色を得る一助になるかもしれませんね。





見える音へ 〜書体から読み取る表情 

February 14 [Sat], 2015, 21:37
「筆記体で書かれる表情記号は現在進行形」

今日は前回の記事で触れた「行間をどう読むか」という具体的な例をひとつご紹介します。

音楽院のレッスンの際、ある先生が学生にとても興味ある指摘をされていました。

イタリア語では、筆記体のことをin corsivoと言います。
In corsoとは、現在進行中という意味。

流れるような書体である筆記体をIn corsivo と呼ぶ由来はそこからきているのだそうです。

楽譜に書かれる表情記号には活字体と筆記体の両方があります。

主に、曲の速度や、はっきりと縦線で区切られた速度の変更を表すときには活字体。

行間(大譜表の五線と五線の間)に書かれる、例えばpiu’ tranquillo(もっと大人しく) やanimando(活発に)といった表情や性格を表す際には筆記体が用いられているということ。

感情が動く際には必ず動機からプロセスへと発展していくものです。だから「筆記体」、つまり現在進行形で書かれている。

Crescendoaccerelando,ritardandoといった-endo-andoで終わる言葉は文法上すでに現在進行形を表しますが、それが字体へ繋がっているわけです。

演奏の際には、常に次に起こるドラマ、それに伴う感情が音より先に動いていないといけません。

今弾いている(歌っている)音を大切にしながら、実は頭の中は次に起こる事態(ドラマ、感情)に備えフル回転。

頭と感情の時差がそこで生じています。ただなぜ、頭が先行していないといけないかというと、それは脳が指や体の部位に神経を送るための最低限の時間が必要だから。

それが音楽。

曲が始まると最後の音まで「現在進行形」なのです。


今日はヴァレンタインデ―ですね

今日に限らず、みなさんが奏でる音楽が毎日愛に満ちた特別なものでありますように・・




見える音へ 〜行間から学ぶ表現法 

February 12 [Thu], 2015, 15:16
「楽譜に記されているのは音符だけではありません」

昔は伴奏の依頼があると、楽譜をコピーして製本して手渡されていたものですが、近頃はネットの普及という便利さを利用して、いとも簡単に(楽譜屋に足を運ばずして)自宅でプリントアウトできる世の中になりました。

ただ、そういった利便性とは裏腹にこうした楽譜には落とし穴もあります

本来の楽譜には、テンポやニュアンスといった表情記号が(ピアノでいえば五線と五線の間に)随時書かれているのですが、パソコンを利用した楽譜にはそういった細かい表示が書かれていないことが多い。

原典版(オリジナルに近い楽譜)ですら、ヘンレ版、ベ―レンライター版(どちらも原典版)で、写譜した人による解釈や記譜の相違云々で常に比較を強いられていた時代に比べ、「楽譜に対する重み」が軽薄になってきていることに一抹の寂しさを感じます。

私の学生時代には、仲間や友人との間で「この曲は○版がいいかな?」とか、コンサートを聴きに行った際、「この人は何版の解釈をしているのかな」といったことが、興味の対象にもなっていました。

現代作品を手掛ける際には作曲者に直接問いかけることも出来ますが、先代の作曲家の作品を解釈、演奏する立場である私たちにとって、行間から読み取ろうとする気持ちが「作曲者の声(思い)を聞く」作業の大部分を占めるはずです。

大きな落とし穴のもうひとつの理由、それはある作品を初めて手掛けた際、ネットからプリントアウトした楽譜が、曲の途中からオリジナルとは全く違う曲が挿入されていた、という事実。(みなさんも要注意

イタリアの大手楽譜出版社であるリコルディは数年前に閉店し、業界の人たちの間でもショックの波紋が広がりました。環境や紙の資源のことを考えると自然な流れかもしれませんが、楽譜への愛着、行間から読み取ろうとする気持ちが作品へのイメージや表現への意欲、そして愛情に繋がっていくものだと思います。


日曜日の童話~domenica in favora~ 

February 09 [Mon], 2015, 13:37
「子供たちの心に種を撒くのは大人の義務」


昨日は毎年、秋〜冬にかけてシリーズ化している地元テアトロでの「子供のための劇」を鑑賞しました。

冬場はどうしても家に閉じこもりがち、出かけられる先はせいぜい映画館くらい、、といった小さな町に暮らしていると、こういった子供を対象にした企画はとても有難いものです。

近頃は季節性インフルエンザや肺炎が巷では流行のピークですが、昨日の会場は満席で、開演前から子供たちの熱気がムンムンでした。

終始子供たちはピーターパンの世界に釘付けで、隣に座る我が子も「ダメ―」とか「ヤッタ―」とか、或いはステージから振られる質問に大きく反応し、とにかく楽しそうでした。

幼いころから劇場へ出かけ、「テアトロって楽しいところ」→「また行きたい」と思ってくれると嬉しいですね。

成長すると、悲喜こもごも感情が交錯していくわけですが、読書と同じ「ストーリーに惹かれる」や、開演前の「独特な張りつめた空気」からでも良し、劇場が忙しい現実から少し離れて、心を開放できる場所と化すれば、普段のストレスから少しでも解放され、ジャンルを問わず心のセラピーにもなるでしょう。


日本は子供以前の胎児からマタニティコンサートなどで生の音楽に触れる、といった素晴らしい企画も多いです。

次世代をターゲットにした、こういう企画は夢があり、未来への希望へ繋がります。

私自身も昨年4回のシリーズに亘り、イタリアで子供たちのための音楽劇で「音楽担当」をしました。

アトランダムに小品をピックアップして、あとはどの場面で演奏するかだけを演出家にお任せするというものでした。

作品の選択の時点で、なんの根拠もなく「弾きたい曲を提出して」といったルーズな要請に、「大丈夫なのかな?」とも思ったものですが、実際蓋を開けてみると、演出家の裁量でまるで「この場面のために作られたみたい」といった風に仕上がり、動作と言葉と音楽のトリプルマッチを存分にアピールすることができました。


そして何であれ、会場に伝える「説得力」の有無は、「作る側」の意思によって変わるものだ、ということを改めて実感したものです。

次回は「説得力のある演奏」について、考察したいと思います。

開演前の会場の様子。満席のテアトロで鑑賞すると、気持ちがさらに高揚しますね



見える音へ 〜「歌いやすい」と言われる伴奏ピアニストになるために〜 

February 07 [Sat], 2015, 14:37
「ソリストはコレぺティに向かない!?」

私がオペラや声楽の伴奏を手掛けはじめたころは「ソロでやってきた貴女が一体何をしたいの?」といった言葉で叩かれたり、不思議がられたりした経験が何度もあります。

常に「私が主役」というように「一人っ子感覚」で育てられたピアニストが、いきなり指揮者や演出家の指示に従って黒子に徹する・・

脚光をひとりで浴びる経験をした後の、ある意味こういった「仕打ち」は、シンデレラの逆ヴァージョンといえるのかもしれませんね。

そう考えると傍から「向かない」と思われるのもまんざらではないのかも

オーケストラを代行できる楽器所以に「一人でできちゃう」楽器ともいえるので、どうしてもピアニストは「独りよがり」の気質になる傾向が多いとも言われます。

ただ総合楽器奏者であるピアニストの役割は、オペラ制作のプロセスにおいては欠かせない存在であり、歌い手と同じくらい歌詞を呑みこんでオーケストラのスコアを知り尽くせば、「ただ言われた指示に従う」だけではなく、マエストロ(指揮者)や歌手との意思の疎通を計れ、立派な共演を果たすことができます

決して表だって脚光を浴びることはなくても、共演者としてのプライドを持って仕事をすれば、「陰ながらの主導権」を実感することすらあるかもしれません。

私は音楽院の学生たちに「私は海の波、あなたたちはサーファーのつもりで波に乗って楽しんでね。」とよく言います。

言わずもがな、サーファーにとっての必須条件はあくまで「波」だからです。

映画賞などで注目されるレッドカーペットもそうです。レッドカーペットという特別な日の特別な存在が、俳優を引き立たせるのです。

乗り心地の良い波、俳優たちがより一層輝いて見えるレッドカーペット、そういったサポートができればきっと共演者から「歌いやすい」と喜ばれ、ピアニストのあなたも同時に輝いて見えることでしょう。




見える音へ 〜ピアニストの声〜 

February 06 [Fri], 2015, 16:13
「あなたのイメージが音に反映していますか」

「今、誰のために何のために弾いているのかわからない」といった壁に直面することは、誰にでも一度とならず起きること。

例えばテクニック(技術)面で四苦八苦していると肩に力が入り、頭の中もコチコチに固まってわからなくなる、といったように。

でも元々「テクニックを磨く」という試みは「表現するための手段」なのです。

一旦、紐が絡まってしまうと悪循環です。

このような時は一旦楽器から離れて、今勉強している作品と同年代に作られた他の作品であったり、想像力が欠如しているときは視覚からも入れるオペラを観ることも楽器奏者にとっての大きなサポートになります。

私自身、学生時代ベートーヴェンのピアノ協奏曲4番を勉強していた際、今のようにまだDVDが浸透していない当時、ミラノ市立図書館に通ってオペラ「フィデリオ」のレコードを聴いていました。そこでピアノコンチェルトとフィデリオのアリアの旋律がとても似ていることを発見し、オペラのストーリーをそのままパズルのようにコンチェルトに当てはめてみたところイメージが明確になり、その後自信を持って演奏することができました。

イメージを持つために、もっと簡単にできることもあります。
たとえば、ここからここまでは「○色の雰囲気がする」とか、「○の季節のよう」だとか・・

季節から入れば、色がイメージできるかもしれないし、その逆もそうです。

そしてきっとそこから更に情景を膨らましていきやすくなることでしょう。

ピアノのコンサートのステージは横向きのシルエット、お客様が演奏家の顔を見たり、まして声を聞くことは稀です。(昨今は、ステージとお客様との距離を縮めるために演奏家がマイクを持ってMCすることは多くなりましたが・・)

あくまでコンサートですので、基本は楽器を媒体とした「あなたの声」を聴きにいらっしゃいます。

その時、「今私は貴女に○○をお伝えしたいの」という意思がないとそれがそのまま音となり、お客様からの「なんだか退屈した」という感想で終わります。

世界のピアニスト、内田光子さんが昔「演奏家は自分の音に対する思いをシャボン玉のように客席に飛ばすことが大切であり、そのシャボン玉がどのようにお客様にキャッチされるのかは問題ではない」と仰っていました。
(飛ばした後、受け取るか否かは「お客様の好み」、ということで私は解釈しています)。

パフォーマーとして会場のお客さまに届ける「シャボン玉」。
みなさんも是非、飛ばしてみてくださいね。



見える音へ 〜ピアノの魅力〜 

February 05 [Thu], 2015, 21:00
「百人近いオーケストラをピアノ1台2手で表現するテクニック。」

これは一言では語れない、ピアニストにとって永遠ともいえる課題です。

オーケストラの大半を占める弦楽器は、tutti(全員)の際の大きな柱になるのですが、管楽器は先のブログで触れたように、たとえオーケストラの中に居てもいわば「ソロ」の役割を示すことが多いのです。

演奏終了後、指揮者が管楽器奏者やハープ、打楽器奏者をスタンディングさせ、お客様から拍手を頂く場面があります。
それがまさに「ソリスト」として頑張った、集団の中での「ご褒美」なのです

ピアノの話に戻しましょう。

オーケストラのピアノ版(オーケストラスコアの中からピアノに演奏できるように縮小されたヴァージョン)であれ、ピアノソロのレパートリーであれ、大事なことは「楽器へのイメージ」なのです。

日本ではピアノと呼ばれる楽器は、実は発祥の国イタリアにおいてはピアノフォルテと呼び、その名の通り「ピアノ(弱い)とフォルテ(強い)を表現できる」楽器なのです。

ピアノは多くの音を同時に奏でることができるのでオーケストラに例えられ、オペラの公演の際にもオケピットの中でたった一人で指揮者と向き合うこともある、いわば何十人を一人で代行する役割を担う存在なのです。


「ひとつひとつの音を大事にして」と、ピアノの先生は生徒によく口にされます。
将来、ピアノを通じてお仕事をされたい方にはソロや室内楽、声楽、そして今言った大規模なオーケストラの代行をする機会もあるかもしれません。

そう考えると他の楽器以上に、更に「星の数多のピアノレパートリー」以上の作品に触れることになるでしょう。

そのために備えて、是非オーケストラのスコアリーディングの読譜力を身につける努力をお勧めします。

メリットその@)
自然に横のライン(フレージング)だけでなく、縦のラインで立体的に聴く/弾く力を身につけることができる。

メリットそのA)
大きなスコアに接して目が慣れると、ピアノの楽譜を見る時、楽初見の力が伸びていることもある。


ピアノは本当に難しい楽器ですが、それも他の単声楽器と違うピアノならではの魅力です。
同時に奏でる複数の音それぞれに人格(音格)を持たせてあげると、音が生きてきます。
その主張があなたの音に対する思いとなり、お客様へ寄せるメッセージだと思って、大事に「あなただけの音」を、育ててあげてください。




オーケストラパート 

February 05 [Thu], 2015, 7:00
私が勤めるラクイラのコンセルヴァト―リオは来週より試験のシーズンに入ります。

実技試験ではソロの曲、コースによっては室内楽、そして私が主に関わっているbiennio(日本でいう博士課程)は、大抵、オーケストラパートの課題があり、オペラやシンフォニーの中のソロパートを弾く(或いは吹く)ことになります。

今回はフルートのクラスで、

・メンデルスゾーン 真夏の夜の夢〜スケルツォ
・ブラームス     交響曲第4番(4楽章より)
・サン=サーンス  動物の謝肉祭
・ドビュッシー    牧神の午後の前奏曲
・シュトラウス    サロメ
・ラヴェル      ダフ二スとクロエ
・プロコフィエフ   ピ―タ―と狼
・ストラヴィンスキー 協奏曲

など、盛りだくさん。

前回のクラリネットのクラスでは、「椿姫」や「リゴレット」、「運命の力」、「セヴィリアの理髪師」、そして「カプレーティとモンテッキ」など、オペラが中心でした。

コレぺティとして活動していた経験から、ヴォーカルスコアのピアノパート及び歌のパートを同時に弾くことに慣れてはいるのですが、「オケパートの伴奏」ということは、器楽が主役なのでこの場合、歌のパートが伴奏になるのです。

ピアノはオーケストラ楽器と言われる所以でもあるのですが、このような経験を通じた後に本来のオペラ伴奏に戻ると、それぞれの場面でそれぞれの楽器が「見え」、より一層、その楽器に近い音を出してあげたい、と思うようになり、研究を重ねた後は、一人でオーケストラを仕切っているように感じられる醍醐味を味わえるものです。

特に管楽器はオーケストラの中でも「ソロ」の楽器と言われています。

次回は、オーケストラの音をピアノで表現するテクニックのお話をしようと思います。

ヴェルディ 「椿姫」1幕デュエットより〜
ヴィオレッタ+アルフレード+bass が、この場合伴奏になります。









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  • アイコン画像 ニックネーム:松井香織
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イタリアを拠点に活動するピアニストのダイアリ―。
ソロ、室内楽、オペラのコレぺティ、演劇とのコラボ・・など、イタリアで繰り広げる活動記録、音楽事情を発信します!
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