悪霊

July 11 [Mon], 2011, 15:48
暗い部屋の奥で、トイレの片隅で、窓ガラスで、彼らはひょっこり姿を見せる。
『人影?』
半透明で、白黒で、悲壮感が漂う影。そこに見える影は、塵だったり、落書きだったり、光の反射だったりと、それだけでははっきりとは分からない。ある人は、何の意味もない。ある人には、それが謎の存在になり、口になり、目になり、顔になり、意味を持つ者になる。
意味を知った人には、彼らが男なのか、女なのか、辛いのか、悲しいのか、何を伝えたいのか、手に取るように分かって来る。まるで霊媒師のように。
ーーその傷、自分でやったのか?
窓枠に見える手首を見て語り合う。浮き上がるリストカットの痕跡。
ーー辛かったんだね
そして、手を差し伸べ、涙する。これでほとんどの場合、消えてなくなる。
俺は見える人間になってしまった。あるきっかけから。


1

梅雨に終わりを迎えた頃、ようやく大学に顔を出した。大学生活も二年目になると手の抜き方が分かってしまって、ついつい楽に単位を貰える科目を専攻してしまう。それでも、出席しなければならない科目を除外することは出来ない。その中の一つが心霊学だ。興味の欠片もない講義名だが、うちの大学では必修科目になっている。
三時きっかりに講義のある教室に入った。教室のほとんどが女子学生で埋めつくされていてた。
俺は頭を掻き、女子学生の少ない席を探し、一番後ろの奥の席に着席した。座ると同時に助教授が現れ壇上に立つ。
大泉 助教授
大学から配布された教授紹介のパンフレットによると、某新興宗教の教祖の弟のようだ。噂では、大学へ多額の寄付金と引き換えに得た特権らしいが、真相は誰も知らない。都会の真ん中にある有名大学だというのに、所詮は私大ということだ。金でどうとでもなる。構内の伊藤博文の銅像が泣いている気になった。
彼が壇上に立つと女子学生たちがざわつき出す。
「素敵、カッコいい」
勉学に励み続けた教授たちとは一味違う面構えだ。シャープな輪郭に鋭い目が光っている。喋れば歯も光るに違いない。だから、女子が多いのだろう。
この美青年で講義が成り立つのか不安に駆られていると、教室の明かりが消えていく。ガチャガチャと天井から機械音が響くと、みな静まり返る。プロジェクタで講義をするらしい。これなら、美青年の顔に注目が行かず講義が進められる。なかなかのアイディアマンだ。
映し出された映像は一枚の写真だった。一組の二十歳前後のカップルが仲睦まじく肩を寄せている。
「これは、つい最近頂いた、ここの大学の学生の写真です。場所は隣の校舎の教室で、時間は夕方の五時です」
大泉助教授の澄んだ声が響いた。顔もさることながら、声も美しい。俺がオカマなら、すぐに前の席に移動しているところだが、あいにく俺は真っ直ぐな男だ。彼に取り憑かれることはない。
「ここを注目して下さい。何か分かりますか?」
大泉助教授が指示棒で写真に映る右角の窓を指した。
「女の人の顔…」
俺の前の席に座る女子学生が声を震わせて言った。その声で全体が、ざわめく室内、恐怖に慄いている様な雰囲気だった。
俺はため息を漏らした。大学の講義なのだから、てっきりスピリチュアルな講義だと思ったら、馬鹿らしい、とんでもない講義のようだ。呆れ返る俺のため息は助教授には届かない。
「これは、去年この校舎の屋上から飛び降り自殺した女性の怨念です。彼女はこう言っています。『あの人は許さない』と。おそらく、彼女と関係のあった人でしょう。その彼も間もなく死ぬことになります。彼女に導かれて…」
俺は、奥歯を噛み締めていた。呼吸を整えようと試みたが、どうにも怒りがおさまらない。屋上から飛び降りた女とは、俺と同じ心理学専攻の田沼の彼女のことだ。
(何も知らないくせに)
俺は席を立ち、そっと教室を出た。静かな廊下を歩きながら鞄から携帯を取り出し、連絡先の項目から田沼の番号をタッチする。
ーー田沼か?どこにいる?
ーーなんだ、氷月か。どこにいる?ってお前、それは俺のセリフだぞ。大学生の自覚あるなら学校に来いよ
ーー俺のことはいい。今、お前が、どこにいるか訊いてるんだよ!
ーー図書館で勉学に励んでいますよ。
ーー大学の図書館だな?
ーーああ、そうだけど
ーー今から行くから、待ってろ

田沼との出会いは、大学に入学した最初の講義に席が隣だったところから始まる。内気な俺に気さくに声を掛けて来たのが田沼だった。田沼は生粋の江戸っ子で墨田区の下町育ちで、お笑い芸人のように振舞うことで、人気を博している。背が高く筋肉質だが、髪が天然パーマのせいで、顔がピエロのように見えてしまう男だ。そのコンプレックスを補うために俺に近づいたと彼は後に教えてくれたが、俺も飛び抜けて美男子というわけではない。そこそこくらいだろう。そのそこそこの顔を使って、田沼の気に入った女に近づき、偶然を装い田沼と女を引き合わせたのだ。それが自殺した麻衣だった。
麻衣は女狐のような顔で、いつもミニスカートで美脚を披露して歩く女だった。ぽっちゃり党の俺には全く興味を抱かない女だったが、田沼はその脚に惹かれらしい。相当な脚フェチなのだ。
図書館に到着すると、カウンターで、ニーチェとフロイトの本を借りている田沼がいた。
「おい、田沼、今、大泉の講義受けてたら、お前が死ぬって言ってたぞ」
「なんで?サボリ過ぎて耳まで可笑しくなったんじゃないか?」
ピエロ面が崩れて馬鹿面になっていた。俺は、聞いたまま麻衣の怨念の話を伝えた。
「ムンクの叫びみたいな写真出して、これは麻衣の怨で、彼は死ぬだってよ」
「へー、そうなんだ。でも俺じゃないよ。俺の別れた後じゃん」
田沼は涼しい表情で図書館から中庭に歩き出した。
「俺は知ってるけど、みんなはお前と付き合ってたと思ってるんだよ。それなのに、こんなこと言われたら、ますます大学に居辛くなるだろ!」
「別にいいよ。気にしてないから」
田沼は時化たマッチ棒のような佇まいで歩き続ける。彼は、まだ麻衣を愛しているように見えた。
「抗議に行こうぜ。大泉のところに!真実を語れば、助教授ごときに好き勝手言われないはずだ」
俺はそう言って田沼の肩を叩こうとした。
しかし、田沼の肩には既に他の腕がのっていた。「うわっ」と叫いて腰が抜けたように石畳に倒れ込んだ。
「おお?氷月、どうしたんだ、急に」
「お前の肩に……」
もう一度、田沼の肩を見たが何もない。俺の肌には、羽を毟り取られた鶏のようなはっきりとした鳥肌が立っていた。必死に錯覚だと思い込むことにした。
「俺、これからバイトだから帰るわ」
困惑している俺にそう言い残し彼は構内を出て行った。
俺は、近くのベンチに座り、思い巡らす。
俺の見たモノは一体なんだったのだろうか。一瞬だけだったが、それは女の腕だったと確信があった。
まさか麻衣の手か…?
そんなはずはない。
麻衣は、水戸かどこかの田舎出身で、都会に憧れ過ぎる女だった。渋谷のクラブにも積極的に趣き、酒に煙草にダンスと都会の遊びに浸っていた。実を言うと男関係も派手で、セフレも多く、他にも交際している男がいたのだが、田沼はそのことは知らない。ただ、彼女の地元に本命の彼氏がいたことだけは、俺が伝えてやった。それでも田沼は付き合い続けたが、やがて彼女に飽きられ捨てられたのだ。それから一ヶ月して、彼女は飛び降りた。俺にも田沼にも、自殺した原因は分からない。だが、田沼が原因でないことは確かだ。断言できる。
それなのに、田沼の肩に女の腕が見えたのは解せないことだ。田沼は、麻衣以外に女を知らない。純粋極まりない男なのだ。怨を買う奴ではない。それも断言できる。そうなると、俺の見たモノは、俺の妄想でしかないことになる。助教授の戯言で脳が混乱を来しただけ。そう思うことにした。

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