うちの事情

October 07 [Fri], 2011, 16:18
我が家は、父、母、私の3人で主に構成されている。
その他に20歳年上の姉(父は違うらしい)、私が産まれる前に亡くなった兄がいる。

姉と父が違うのを知ったのは高校生のときで、叔母の口からだった。
姉は私が小学生の時に結婚して家を出ていた。
姉の結婚式の時にも、父が関係ないことは知らなかった。
普通に父もいてたし。

父は、私が小学校低学年の頃にはすでに家におらず、別居していたようだ。

別居の理由は父の浮気。だが、大きくなり、母を客観的に見れるようになり、父が家を出た気持ちもなんとなく理解できるようになった。
それまでは、父は私の中で、悪者で、母は悲劇のヒロインだった。


はっきりと覚えている幼い頃の父の記憶は二つある。

一つ目。
母と喧嘩していた記憶。
どういう経緯だったかは知らないが、ある日、父が遅く帰ってきた。
母は玄関の鍵をあけず、父を家に入れなかった。
おそらくこの時には父の女のことを、母も姉も知っていたのだろう。
怒った父は玄関扉のガラスを割った。
大声で怒鳴りあう父と母。やめて!と叫ぶ姉。
まさにカオスな状況。
私は二階の布団の中で泣きながら震えていた。
私も、やめて!と叫んでいたが、声は届かなかったようだった。
結局父は諦めてどこかに行ったように思うが、詳しくは覚えていない。


今思うと、ご近所さんにはどう思われていたのだろうか。
そして、姉は、そんな母と義父のことをどう思っていたのだろうか。


もう一つの記憶。
父が入院したことがあった。胃潰瘍?だか肝臓だか、なんかそのへん。
その頃には、父はとうに家によりつかず、どこかに帰る家があった。

父のお見舞いに、電車に乗って夜の病院に連れられた。病名など、当時の私は知るよしもなく、どこに連れていかれているかもわからなかった。
病室には、父の女もいたようだ。
覚えている景色では、病室内で誰かが大声で怒鳴りあっており、
私は病室の外で、母が出てくるのを待っていた。
他の部屋の患者が興味本意でこちらを見ており、その視線が恥ずかしく、ただただ、早く帰りたいと願っていた。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:てぃあ
読者になる
2011年10月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新記事
最新コメント
Yapme!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/a-tia/index1_0.rdf