日本のジャンヌダルク「甲斐姫」・埼玉県行田市 

2007年09月17日(月) 15時07分

 日本の神話は皇祖神とされる女神・天照大神から始まります。
伊勢神宮の祭神でもあります。従って日本は女性が造った國でもあります。それなのに日
本は女性をつくっていません。
 女性をつくっている國はなんといってもフランスでしょう。パリに初めて行ったとき、
ここは女性の街だと感心した記憶があります。その後も行くたびに「シャンゼリゼ」「フ
ランス料理」「パリコレ」「ルイ・ヴィトン」「マダム」等々を眺めながら、そのことを
痛感しています。世界中から女性を集めている街です。そして日本と違って、女性をつく
る街はパリだとも感じました。
 そのフランスの歴史を語るには、英仏100年戦争渦中に瀕死のフランスを救った、少女
「ジャンヌ・ダルク」に触れないわけにはいかないでしょう。私は子供の頃読んだ本の挿
絵で、颯爽と馬にまたがって敵を蹴散らす「ジャンヌ」の姿を見たときに、外国の女性っ
てすごいんだなあと、感心したものでした。これだから「ジャンヌ」のような聖女が出て
きて、女性をすてきにつくりあげる國だと考えさせられました。
 女神・天照大神は世界中に知られていませんが、ジャンヌは世界的に知られた聖女です。
 日本の歴史にだって、ジャンヌに匹敵する女性はいました。その一人が神功皇后(じん
ぐうこうごう)です。十四代仲哀(ちゅうあい)天皇の后(きさき)で、天皇と共に熊襲
(くまそ)を平定するために同行されましたが、天皇が崩御されるや、天皇に代わって新
羅(しらぎ)を制圧しました。考えてみると、日本海軍の開祖と言ってもいいはずなのに、
日本はそのようにつくっていません。
 さらに、もう一人いました。それが行田市にいたのです。その人の名は「甲斐姫」といいます。甲斐姫は、行田市に今再現されている、武蔵国忍城(おしじょう)城主成田氏長の娘でした。時は天正十八年(一五九0)の豊臣秀吉の小田原攻めの時、北条氏に属していた忍城の成田氏長は主力軍を率いて小田原籠城援助に駆けつけました。本拠である忍城に残ったのは、氏長の妻と娘甲斐姫、それに僅か三百余の留守部隊だけでした。この留守城を秀吉軍の石田三成、大谷吉隆、浅野長政、真田昌幸らの軍勢二万三千余の大軍が
取り囲みます。約八倍もの包囲軍は水攻めを試みましたが、城兵に堤を切り崩されたりして失敗しました。水攻めにあっても水面に浮いているように堅固なことから、「浮城」と呼ばれるようになったと言われています。敵はさらに多勢をもっての力攻めを開始します。その時、「甲斐姫」はわずかの十九才。乙女の姿を甲冑に包み、二百の兵を率いて出撃し、大谷・浅野の陣に斬り込み、さんざんに敗って退却させました。甲斐姫は大変な美貌であったうえ、武術に優れ兵法にも通じていました。
 その日のことを、後世「成田記」(文化文政年間の小沼保道の著)は次のように記しています。「長い黒髪を烏帽子形の兜に包み、小桜緘の鎧に猩々緋の陣羽織をまとい、成田家伝来の名刀「浪切」を差し、銀の采配を手に黒駒に打ち乗る」。こうして城を守り抜きました。日をおいて、今度は真田勢が攻めかかってきます。持田口の捨て曲輪で乱戦になりました。甲斐姫はそこに馬を乗り入れました。すると、真田勢の中から、月毛の馬にまたがり髑髏を染め抜いた旗指物をつけた一人の若武者が抜け出し、「それがしは、後醍醐天皇の無二の忠臣児島高徳の末裔、三宅惣内兵衛高繁なり。女将軍そこを引き給うな」と叫んで、甲斐姫めがけて馬に鞭を入れ切り込んできました。甲斐姫は、側の者から弓を受け取り矢を放ちました。矢は見事、若武者の喉を貫きました。
 こうして、忍城は小田原城が落ちた後も落城しませんでしたが、北条氏が降伏したので、忍城も自ら城を開きました。
 秀吉は甲斐姫の美貌と武勇に魅せられ、戦後、陣中に招いて側室の一人に加えました。また、このことによって、父成田氏長も、本来は所領を没収され処罰されるべきところを許され、栃木県烏山に所領を得て、成田氏は救われたのです。
 まさしく、「日本のジャンヌダルク」ではありませんか。甲斐姫は、日本超一流の歴史的材料なのに、行田市ではこのことを知る人は多くありません。行田市紹介のホ−ムペ−ジには、「埼玉(さきたま)古墳群」から出土したことで、全国的に有名な国宝「金錯銘鉄剣」(きんさくめいてっけん)と、湿地帯の地形を巧みに利用して築城され、難攻不落を誇った忍城は、関東七名城のひとつに数えられ、江戸時代には、忍(おし)藩十万石の城下町として栄えましたと書かれていますが、偉大なる女性史・甲斐姫の文字がホ−ムペ−ジのどこにも見あたらないのが残念です。
 行田市も、甲斐姫を材料にして、女性の街に耕し直して行ってはどうでしょうか。女性が集まるところには、当然男性も寄ってきます。
 先ずは、ジャンヌの生誕地であるフランス北部アルザス・ロレーヌ地方のドンレミ村と交流から始めたいものです。世界的なニュ−スとして多くの目が行田市に注がれることでしょう。行田を訪れた観光客には、日本のジャンヌを生んだ忍城として、別な角度から、別な価値付けをして忍城に触れてもらうことが出来ます。
 行田市の名所は古代蓮の里です。行田蓮は、昭和四六年に公共施設工事の際出土し種子が自然発芽し開花したものです。原始的な形態を持つ千四百年〜三千年前の蓮であると言われています。地中の種子が発芽した例は稀で、行田市では天然記念物に指定し保護しています。公共施設工事の際出土し種子が自然発芽し開花したのですから、昔から忍城の辺りは蓮の里であったのかも知れません。甲斐姫がめでていたのが蓮だったのではと考えると、ロマンが広がります。
行田市も新種の蓮をつくって「甲斐姫」名付けるといいですね。
 利根川や荒川の堤防に立てば、日光連山を始め赤城山や秩父連峰、天候が良ければ富士
山までの雄大な眺めを一望でき、思わず深呼吸したくなるような爽快な気分になります。
日本のジャンヌダルク甲斐姫も眺めた景色ですから。「行田市“ビブ・レ・ファム”」。
P R
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