客観性について

2006年10月23日(月) 9時36分
残念ながら、日本には客観性というものがありません。
ですから未だに「言論の自由とは、何を言ってもいいこと」との枠を超えられないでいるのです。
これが日本を不幸にしている諸悪の根源であるとも言えます。

そこで何が客観性であるのかという定義の問題になるのですが、たとえば今話題の中心になっている北朝鮮の核兵器の問題にしても解決方法として数多くの選択肢がある中で、日本は簡単に制裁を強くすればよいと考えています。
つまり「悪いことをした人には、それに見合った罰を与えればよい」という単純な理論です。

しかし人の場合、その罪が重ければ刑務所に拘束されるので、どんなにその罰が重く大変なものでもさほど問題にはなりません。
もし、死刑の宣告を受けた人を刑が決まっているからと拘束せずに自由にさせたならば、殺人などさらなる罪を犯す人もいるでしょう。

国の場合も同様で、決して北朝鮮という国を拘束できないことを考えれば、単に制裁を強くするだけで更正させることは不可能です。

日本の制裁一本槍の方法では、一度戦争をしてからでなければ解決する方向へとは進みません。
そして結論として「日本は北朝鮮と戦争をしたがっている」となるわけです。
これが客観性という意味です。

たぶん反論としては「戦争をするかどうかは相手次第だ」というでしょうが、必ず戦争をするという意味ではなく、どの方向へ向かっているかの問題なのです。

客観性のある国での議論は、問題を解決するための一番の近道を探すために行われます。
もちろん制裁をただ強くすることが、問題解決の一番の近道であるハズがありません。
常にその方向性を考えること、つまりそれが結果的にどうなる可能性があるのかが客観性に繋がります。

拉致問題にしても「10日間で帰す」と言ったものを帰さなかったら、どうのような方向へ進むのか当然わかって行動しなければならないのです。
拉致問題がこんなにこじれたのも誰が悪いのではなく、日本が悪いだけなのです。
これが客観性というもので、その事実は今さら誰も覆すことができないのです。

客観性を理解している国ならば、本来ここからが議論のスタート地点なのですが、日本はまだそこまでたどり着いてなく、いつまでも「悪いのは北朝鮮だから」とだだっ子がすねているような議論しかできていないのです。

日本は国連で「感情的になりすぎている」と日本の意見がまったく相手にされていないことの重みをもう一度、かみしめてみるべきなのです。
そして言論の自由とは、何を言ってもいいことではなく、このような客観性をわきまえた上での意見でなければいけないのです。(最低限、大人ならば)


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