福島報告:釣り堀おばちゃん編

June 01 [Wed], 2011, 2:47
初日に立ち寄った釣り堀。
後日その釣り堀のおばちゃんに写真を送りました。
http://ameblo.jp/50100secret/entry-10888336753.html
その時同封した手紙には、
帰りに行けなかったことの謝罪と、また行きますという約束、
その日撮った写真とは別に、釣り好きな我が娘らのメッセージ付写真も同封する旨、
釣り堀で一緒に遊んだ男の子の学校へ、我が娘らの学校から支援したい旨、
私の連絡先とボスの名前を書きました。

今日、その返事が返ってきました。



仰木美佳(仮名)様

(以下原文)
お手紙、写真を頂きながら、大変に失礼して居りました。有難度う御座居ました。
何かと思い災害の本を予約してやっと届きました。
遅くなりましたけど受け取って頂きたいです!
あの時お会いして独身の方と思っていました。
二人の娘の写真を見てママだったのかとびっくりしました。
本当に終息してお逢いできることを楽しみにガンバローと心より思いました。
―写真の子供さんの所に届けに行きましたら、学校の先生にも伝えるとのことでした。
(父親と母親は相馬市役所に勤務で大変忙しいのでご返事が遅くなるかも知れませんが、貴女のお気持届いております)
当地も仮設住宅も進んで少しづつですが復興しています。貴女のやさしい心もちが力です。
…全国の皆様に心より感謝して…
走り書きにて

※私事ですが、長男が警察庁で仕事をしているので、一度上京してみたいと思っていたのですが”つりぼり”をやっていると目段がなくていたのですが、落ち着いたら…と秘かに思っていて、もしその内がきたらお電話だけでもさせて頂きたいです。
心温まる出合いでした。

白田(略)


http://www.p-minpo.co.jp/shop/index.php/archives/284

本には、3月12日に撮影したものが多く載っており、
おそらくは私が行ったであろう場所も載っていました。
しかしどう見ても違う景色。
私は自分が見た景色が、震災からまったく変わっていないものだと思っていたのですが、
2ヶ月の間にいろいろ変化はあったのかもしれません。

中はほとんど写真ばかりで、それにちょびっとコメントが入っているだけの本ですが、
見ているだけで涙が出てきます。
一方で、復興への道はまだまだ長いと言いながらも、
この3ヶ月で人が生きる道が大きくひらけてきていると感じてもいます。

多くの人に見てもらいたい本ですが、
さすがに全部ここに掲載するわけにはいきませんね。残念です。
でもこれで、少なくとも私の中でこの震災が風化することは絶対になくなりました。
また福島が完全に復興した後も、この本を子供たちに継いで行きたいと思います。

釣り堀のおばちゃんには、何かお礼をしたいんだけど、何がいいかなぁ。
釣り好き野郎たちの寄せ書きとか送ってみたいけど、
私のまわりにそれほど多くの釣りバカはいないしなぁ。
なんかいい案持ってる方、いらっしゃいませんか?

福島報告:5月6日後編

May 31 [Tue], 2011, 22:53
目が覚めたときには、まだ車は順調に走っていました。
ボスの目はほとんど寝ています。
前かがみになって必死に運転しているように見えて、先に寝てしまったことを後悔しました。
「次のPAに入ろう。そこで休憩して、運転交代しようよ」
「もう眠気は大丈夫なの?」
「寝たから平気。ボスこそ限界だよ」
PAに入って、まずは腹ごしらえとレストランに入りました。
お土産コーナーにも立ち寄り、いくつか物色。
「もうちょっと俺が運転するわ」
「なんで」
「なんとなく」
眠気は飛んだようですが、疲労が気になります。
でも言っていうことを聞く人ではないので、それ以上は追及しないことに。

それでも群馬県に入った頃には、やっぱり疲れがピークに達したようで、運転を交代しました。
助手席で背もたれを目一杯倒したボスは、しばらくは話をしていましたが、やがていびきをかき始めました。
持病持ちで5年ぶり、しかもワゴン車初体験の私の運転が怖いと言いながら寝てしまうのだから、相当だったのでしょう。
ごめんね、無理させてばかりで。

行きの運転で感覚を取り戻した私は、帰りはかなり余裕を持って運転することが出来ました。
ボスには言えない速度で右車線を走行します。
大きい車なので、多少の風にはビクともしません。安定していてハンドルも楽です。
元々運転が好きで、5年前までは毎日運転していましたから、久しぶりの運転も苦ではありません。
ゴールド免許は伊達じゃないんです。
ちょっと鼻歌なんかも交えながら、埼玉県に突入しました。
埼玉に入ったら起こして、とボスに言われていましたが、埼玉から浦和IC(終点)まではまだかなりの距離があります。
加須を超えたあたりで、ボスを起こしました。
「寝られた?」
「うーん、まぁ寝たような寝てないような」
それでも寝る前よりはいい顔色です。次のSAで運転を交代しました。

浦和ICを出てからまっすぐ国道を走り、東京に入ります。
やがて駐車場のあるコンビニに到着しました。
ここからなら歩いて帰れる距離です。
あんまり家から近い場所でおろしてもらうと、ご近所さんに見られたりしてあれこれ聞かれるのがイヤなので、ちょっとだけ遠い場所でおろしてもらうことにしました。
ここでお別れです。
「お疲れさまでした。この道をまっすぐ行けば、首都高の入り口に着くから」
「わかった。大荷物だけど、歩いて行ける?」
「大丈夫。ありがとう」
半年ぶりに会えて、今度はいつ会えるかわからない親友。ちょっと寂しいお別れです。
「運転、無理しないように」
「今日中に家に着くかな」
ちょっとでも時間を引き延ばしたくて、どうでもいい話なんかしたりして。
「あ、ガソリン入れていかないと」
「この先にあるよ。他よりちょっと高いけど」
「高いのかぁ。それは嫌だなぁ」
あんまり引き延ばすのも悪いかな。そろそろけじめをつけないと。
「じゃね。お疲れ様!」
握手をして、振りほどくように歩き出しました。

荷物が重い。足が進まない。
この3日間で、いろんな物を受け止め過ぎてしまった。
辛い。今の私には、その感情しかありませんでした。
私の横を通り過ぎていく車。ボスの車でした。
見送ることも出来ない戦友。
あとはもうがむしゃらに歩きました。
3日分の服とシリアルが入ったバッグ、泥かきで汚れた服を入れた紙袋、2リットルの水2本と900ミリリットルのイオン水2本が入った袋。
すれ違う人を避けるのも難しい状態で、足元をふらつかせながら、ただ一歩を踏み出すためだけに全力を出していました。

ガソリンスタンドが見えてきました。ボスは燃料補給をすると言っていたけど、さすがにもう出発しちゃっただろうな。
でももしかしたら、なんて無駄な期待を持ちながら、まっすぐな道を歩く。

ふと、その視線の先に、道端で煙草を吸っている長身のシルエット。
目を細めてじっとこちらを見ています。
間違いない、ボスでした。
「あれ、何やってんの」
「ガソリン入れるついでに、全部拭いてもらってる。高速ですごい汚れてたから」
ホントかな。なんだか待たれていたみたいで恥ずかしいです。
思わずもれる苦笑。でも再会出来たみたいでちょっと嬉しい。
黙ってイオン水を1本渡しました。
「重いからあげる」
「え?あぁ」
「じゃね」もう一度手を振って、振り返らずに歩き出しました。
今度はなんだか寂しくありませんでした。

家に着いて、すぐに泥のついた作業着を洗濯します。
それが終わったら、今度は泥のついていない着替えやバッグ等を洗濯。
お風呂を沸かして、自分も泡だらけにして洗い流します。

振り返るのは、明日にしよう。
携帯やデジカメで撮った写真やビデオは、気持ちが落ち着いてから整理しよう。
文字に起こすのは、完全に日常生活が戻ってからにしよう。
このときのために買ったパーカーを、普段着として着られるときが来たら。泥だらけにしたジーパンが、いつものキャッチボール用の服になるときが来たら。

福島報告:5月6日中編

May 30 [Mon], 2011, 1:18
移動中の車内で、ボスがちょびっと凹んでいました。
「0.2マイクロシーベルトかぁ」
「問題ないんでしょ?なんかあるの?」
「いや、0だと思ってたからさぁ」
「0も0.2も大差ないんじゃないの?」
「まぁ大差ないんだけど、0じゃなかったってのが予想外でさ」
正直、私にはよくわかりません。問題ないと言われたから、素直に安心しているだけです。
「0.2かぁ…」

海に着くと、車を降りて堤防に向かって歩き出しました。
一昨日見た景色も酷かったけど、こちらも相当です。
一歩踏み出した途端に、砂の感触が普通の砂場と違うことに気がつきました。
砂は踏んでも、足跡はぼんやりとしか残りません。
しかしこの砂は、靴底がわかるくらいしっかり足跡が残りました。
表面がパリッとしているのです。
一昨日とは違って、今日は冷静に景色を見渡すことが出来ました。
それでも言葉は出せません。
ふたりとも黙って歩いていました。

堤防の崩れ方は、悲惨でした。
完全に波に負けた状態。
耐えた部分でさえ、生々しい傷跡が残っていて、海の怖さを物語っているようでした。
堤防を越えて、海へ向かいます。
テトラポッドに登ると、黒こげの木材が散らかっているのが見えました。
焼けた家の残骸でしょうか。




私は海が好きです。
海のない県で生まれ育ったから、あこがれもあります。
だから車やバイクの免許を取得したら、とにかく湘南や直江津を走っていました。
朝から夜まで、ずっと海を眺めていたこともあります。
水は、二度と同じ形をとらない。だからこそ一瞬の造形が美しい。
その海が、この惨劇を生み出したことに、少なからずショックを受けていました。
今見ても、波は変わらない美しさを作り出し、消えていく。
多くの命を奪ったとは思えない静けさと平穏。
でもこれが現実。

堤防から街の方へ戻ります。
家の屋根らしきものが見えました。
よく見ると、飾りが彫ってあるようにも見えます。
座布団やお椀が転がり、生活に使うような手帳やポーチも落ちていました。
背後でボスが拾ったものは、大きな菊の造花。
もしかしたらお寺さんだったのかもしれません。




昨日の土を思い出していました。
かなり掘り起こしたところに粘土層があって、その下が本来の土だった。
もしかしたらこの砂も、相当掘れば本来の土が出てくるのかもしれない。
逆に言えば、私の足の下から土の間までのどこかに、誰かの命が眠っているのではないだろうか。
まだ何の手もつけられていない現場。その可能性は否定できない。
今私は誰かを踏みつけている。
そう思ったら、膝が震えて止まらなくなりました。
一歩踏み出す度に、命を踏んでいるかもしれない感触。
怖かった。人を、遺体を踏んでいるなんて行為。普通ではあり得ない。してはいけない。
この砂場は危険。私の脳は、警告を発し続けていました。



一時間以上が経過していることに気がついたのは、それからしばらくしてからでした。
書類を取りに戻らなくてはいけません。
お昼も近いですから、福島を出発することも考えなければ。
無言のまま車に戻り、祈るような気持ちを残して、私たちはまた本部へ戻りました。

疲れ切ったボスを車内に残し、私は番号札を持って、先程の事務所へ入りました。
書類は出来ており、簡単な説明を受けた後、車に戻りました。

「どこかでお昼食べてく?それとも、来るときに寄った釣り堀にまた行く?」
「そういえば、帰りに行くって約束したもんな。行こうか。場所わかる?」
「わからない」
適当に寄り道した釣り堀なので、覚えているわけがありません。
それでも少し走って道を探ってみたのですが、見つけることが出来ませんでした。
釣り堀のおばちゃんには申し訳ないけど、このまま帰ることにしました。

来たときは、東北自動車道の福島飯坂ICで降りたのですが、今の場所からすると二本松ICが一番近いとのことで、南下しながら走っていると、急にナビから警告が発せられました。
一瞬のことでよく見えなかったのですが、ボスも始めてみる画面でビックリしていたので、道路わきに車を止めて、もう一度確認することに。
すると画面に出てきたのは

「なんだこれ!ここ20km圏内なのか!?」
「ナビからこんな警告出るんだ!?」
いろんな意味で驚きながら、とりあえずは通行止めになっていない道を進み、無事に二本松ICに到着。

高速道では私が運転するということになっていたのですが、
私も寝不足や心労があったのでしょう、すぐに寝そうになってしまいました。
イカンです。強強打破を飲んで睡魔を飛ばさなければ。
しかし飲んだからと言って、すぐに眠気が飛ぶものではありません。やっぱりうとうとしてしまいました。
「背もたれを倒せよ。腰痛めるぞ」
申し訳ないと心の中で謝りつつ、ちょっと眠らせてもらうことにしました。

福島報告:5月6日前編

May 29 [Sun], 2011, 1:01
目覚ましの音は、緊張感なく、なかなか起きることが出来ませんでした。
結構筋肉痛がきています。腰の痛みもおさまっていません。
それよりなによりも、布団から起き上がるのが苦痛でした。
面倒なので転がってボスの布団へ行き、起こします。
「ボス、朝です…」
「………」
「ボス、起きて」
「んー、15分後に起こして…」
まぁ今日は急ぐ用事もないので、ちょっとくらい寝坊してもいいでしょう。
転がりながら自分の布団に戻り、私も二度寝体勢。
携帯のスヌーズ機能って便利ですね。15分後に鳴り出しました。
「ボス、15分経ったよ」
「んー」
「んーじゃなくて。起きないの?」
「あと15分…」
ボスの寝起きの悪さは承知していますが、今日は一段とよろしくありません。
やっぱり昨日の疲れがとれていないのでしょう。最近眠れないとも言っていたので、体調も良くないのかもしれません。
とりあえず私は目が覚めたので、歯磨きしたり洗顔したり着替えたりしていました。
昨日買ったジーパンは、まだ履き慣れません。ちょっと前かがみになると、下着が見えてしまいます。
シリアルをかじりながら、15分置きにボスを起こしていました。

8時になって、やっとボスが起床。
結局一時間少々かかりました。
「ってもう8時なの!?」
半分しか開いてない目をつり上げていましたが、こんな時間になったのはあなたのせいですよ。
時間が間に合えば、午前中だけでも災害VCで活動しようと思っていたので、出遅れた感はありました。
まぁ仕方ないですよね。
間に合わなくてもいいから、とりあえず行ってみようということで、ボスの準備が出来次第宿を出発。

災害VCに到着したときには、受付時間は過ぎていました。
「あー、じゃぁ、アレだ、ボランティア活動証明書をもらおう」
これがあると、帰りの高速代が無料になるのだそうです。
早速書類をもらうと、
「これを持って、福島県災害対策相双地方本部というところに提出してください。そこで災害派遣等従事車両証明書を発行してもらえます。今提出したら、夕方4時頃にはもらえると思いますよ」
「え?そんなに時間かかるんですか?」
「お急ぎでしたら、本部に電話してみてください。もうちょっと早く発行してもらえるかもしれません」
私はともかく、ボスは大阪まで帰るわけですから、お昼には福島を出発しないといけません。
早速問い合わせの電話をして、なんとか一時間で発行してもらえるように頼みました。

本部に到着すると、入口がふたつ。
車ごと誘導された先には、スクリーニング検査の受付が。
「あ、いや、この書類の手続きに来たんですが」
「あーすみません、ではあっちの入り口からお入りください」
建物に入ると、あちらこちらが立入禁止になっていて、ちょっと違和感。
「すみません、災害派遣等従事車両証明書を発行してもらいたいのですが」
すると年配の方が来て、
「すみません、今建物があちこち崩れていて、本部を移動したんです。ちょっとついてきてもらえますか」
と誘導されるままについていくと、建物の外へ出てしまいました。
首をかしげながらついていくと、裏の建物の裏口に到着。
「倉庫なんで、足元気をつけてください」
絶対開けるな!と書かれたロッカーをいくつか通り過ぎると、普通の廊下にたどり着きました。
「つきあたりが本部です。そこで手続きをお願いします」
中に入ると、小さな部屋にデスクがすし詰め状態で並んでいました。
「先程電話した者です。一時間で発行していただけるんですよね?」
そこで書類を書いたり説明を受けたりした後、番号札を渡され、一時間後にまた来るよう言われました。
一時間、何をしよう?
「じゃぁさっきのスクリーニングってやつをやってみよう」
うわぁ恥ずかしい、と思いながらもボスについていく私。
「っていうか、スクリーニングって、何?」
おいおい、そこは知っとけ。
中に入ると、防護服を着た人が数人、機材を持って待ち構えていました。
名前と住所、生年月日を書いた紙を受付に出して、立ち位置で待機。
まずはボスから。とその前に、
「写真!あねさん、写真撮って!」
いいのかこんな観光気分で、と思いながらも、何枚か写真を撮りました。
次は私の番です。
「じゃぁ私も写真撮って」
「えぇー」
文句言う権利はないでしょ。
防護服を着て機材を抱えた人が、私の前後に立ちます。
「どこかに傷がありませんか」
「右手親指に小さいですけど、ちょっと切れてるところがあります」
「ではまず手を広げて、手のひらを上に向けて出してください」
慎重に機材が当てられて行きます。
「はい、手のひらを返して」
手の甲にも。
「腕を大きく広げて」
それはもう恥ずかしいくらい、体中に機材を当てられていきます。
「足を上げて、靴の底を見せてください」
靴底に機材を当てたところで、検査終了。
「お二方とも、0.2マイクロシーベルトで問題ありません。お疲れさまでした」


まだまだ時間があったので、海に行くことになりました。

福島報告:5月5日後編

May 28 [Sat], 2011, 2:04
彼は手慣れた様子で、デッキブラシで窓ガラスをこすり始めました。
明らかにガリガリと音を立てています。
下枠部分の泥など落としもせず、浸水ラインが消えなくても「これでいいんだ」と洗浄終了。
思わず「まだ泥が落とし切れてません」と言い返したのですが「もう終了時間だから」とバッサリ。
納得出来ません。終了時間が迫っているけど、まだ終了時間じゃないし、終了してない。
窓ガラスを干し場に持っていこうとする彼を止めて、私はもう一度窓ガラスに水をかけました。
浸水ラインが消えるまで手でこすり、下枠の泥を完全に落とします。
彼は渋々私に付き合う形で、それをフォローしてくれました。

彼は自分の家の窓ガラスを洗う時、こんな適当な方法をとるのでしょうか。
私だったら、布製品で洗うとか、奥に詰まった泥を落とすのが掃除だと思うのだけど。
いまわしい記憶が蘇る汚れなど、絶対に残さないように洗いたいと思うのだけど。

やっと道具洗浄が終わった女性2人がやってきて、手伝いを始めてくれました。
あちらは水圧の高いホースを持っているので、細かい部分の泥落としが難なく出来た様子。
「泥と草がすごい詰まってましたよ。そっちのホースでよく落とせましたね」
なんて、やっと和やかなムードになったところで、窓ガラス洗い終了。
背筋を伸ばして深呼吸をしたところで、家の人がこっそり私に言いに来ました。
「ありがとうございますね、丁寧に洗ってくれて」
もしかして見られていたのでしょうか。だとしたら恥ずかしい限りです。

「今日で作業は終了しました」
リーダーが家の人へ挨拶をしました。
「ありがとうございました。大変助かりました」
家の人が頭を下げました。
私たちも挨拶をしました。
作業が終了。
私にはそうは見えませんでした。庭はまだ水び出しで穴だらけ。家の窓は全部外され、床も壁もまだ人が住む家とは思えない。
ボランティアって、家を完全に住める状態まで戻すところまではしないの?
もし私だったら、こんな中途半端な状態で終わりって言われたら、有難いけどちょっと待てよって言いたくなります。
でも、件数をこなすためには、大仕事を終えた状態までしか手伝えないのかもしれない。
そんなジレンマを抱えたまま、帰りの車に乗り込みました。

災害VCへ戻り、他のチームも合流したところで、まだ洗いきれていない道具の洗浄開始。
上手くその輪に入りこめなかった私は、洗浄された道具を片付けることに。
時間や体力に余裕のある人はこの作業を、ということでしたが、意外にも残っている人は少人数でした。
なんだろう、この違和感。

その後で作業ブーツとゴーグルを寄付。
するとそこで声をかけられました。
「スタッフジャンパーにメッセージを書いていただけませんか」
そこで以前の記事状態に。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/entry-10882982737.html
車で着替えているボスにこのことを話すと、ミーハーなボスは飛んで災害VCへ。
写真は撮ってもらえなかったみたいだけど、満足のいくメッセージが書けたようです。

帰ろうと車に乗った時、ハタと気がつきました。
私のジーパンが泥だらけであることに。
膝下は作業ブーツのお陰で無事ですし、ジャージを脱げば上半身も汚れていません。
問題は腿。ここだけは防げませんでした。
「着替え、持ってきてないんだよね?」
「うん。まぁあとは帰るだけだし」
「いや、俺の車に汚いジーパンで乗られたら困る」
というわけで、急遽ブティックを探してジーパン購入。ものすごく股下が浅くて、いかにも若者風。
「お、お尻が出る…」
「履き慣れれば大丈夫ですよ」
お腹の出た若者衣装のオッサン店員に言われて、複雑な思いで、履いて宿に戻りました。

夕食は、昨日の小料理屋へ。
昨日と同じ梅酒ロックを飲んだのに、昨日より酔った気がしました。
それでもなんだかもっと飲みたくなって、ビールの小ジョッキを追加注文。
「昨日から思ってたんだけどさ。ジョッキ、大きいよね」
「小ジョッキが、俺たち的には中ジョッキだよな」
それを店員さんに言うと、笑いながら大ジョッキを持ってきてくれました。

「ちょ、これ、ピッチャー…」
思わず声を出して笑い、記念撮影。

この日のお風呂は、あまり気持ちのいい入浴タイムにはなりませんでした。
「今日は体酷使したんだから、ゆっくりお湯に浸かれよ」
と壁の向こうからボスの声が聞こえましたが、正直そんな心境ではありません。
あんな片づけ方は納得できない。
まだモヤモヤが晴れていませんでした。
ボスを置いて早々にお風呂をあがり、部屋に戻って、薬を飲んでボーっとしていました。

この日の夜も、何度も地震が来ました。
大きな揺れもありました。
疲れているのになかなか寝付けず、それはボスも同様であるようでした。

福島報告:5月5日中編

May 28 [Sat], 2011, 2:03
動いている間は気にもしなかったのですが、昼休憩に入った途端に、全身の痛みを強く感じました。
ずっと中腰で土を掘っていたので、特に腰に痛みが来ています。
普段の薬プラス痛み止めを二倍飲んで、さて昼食です。
一応シリアルを持参していましたが、ボスの要望もあり、近くのコンビニまで車で行くことにしました。

昨日の夜といい、今日の昼といい、まともな食事がとれるなんて思っていなかったので、本当にありがたいことです。
泥だらけの服でお店に入るのは申し訳なかったけど、コンビニで思い切り買い物させていただきました。
いつもの私は、朝食も昼食も滅多に食べることはありません。
でも今日はさすがにガッツリ食べたいと思いました。
サンドイッチとおにぎり、唐揚げとおやつを購入。
全部食べきれるわけないと思いつつ、気持ちを抑えきれなくて買ってしまいました。
とは言え、やっぱり体力を消耗していたんですね。サンドイッチとおにぎりと唐揚げは食べきってしまいました。
しかも、コンビニなのに(と言っては失礼かもしれませんが)すごく美味しい!
空腹は最高の調味料です。
おやつは残してしまいましたが、まぁこれはいいでしょう。
車内で食べ終え、ボスが一服するのを待ち、13時に現場に戻ります。

午後は、女性チームの仕事を男性チームが引き継ぎます。
泥かきが思った以上に力仕事と判断されたのかしら?
その辺の事情はわかりませんが、男性チームの数人が泥を運び出しているのを見かけたので、おそらく女性に任せられないとの決断だったのでしょう。
女性チームは使用済みの作業道具の洗浄を任されました。
元々泥だらけだった道具ですから、どこまでキレイにしたらいいのかわかりません。
午後になって女性が1人帰ってしまったので、作業は3人で行います。
3人が3人、ホースとブラシを持って、黙々と道具を洗い始めました。
…なんか効率悪い気が。
「すみません、役割分担しませんか」
懲りずに提案を出してみました。
「○○さんのホースは水圧が強いので、とにかく大雑把に泥を落としてください。私のブラシは細かいところまで洗えるので、○○さんのあとを継ぎます。××さんは細かい部品の泥落としをしてもらっていいですか」
悪いクセだなぁとは思うのですが、どうも口を出さずにはいられないタイプですみません。

しかし、女性チームはスコップしか使っていなかったけど、男性チームはこんなにたくさんの道具を使う作業をしていたんだなぁと思うと、やっぱり力仕事は男性向きなんだと実感してしまいました。
正直、体力には自信があったので、それが一気に劣等感に。
まぁでも今は落ち込んでる場合じゃありません。出来ることをやるしかない。
私以外の2人は昨日まで、宮城でボランティアをしていたメンバーだそうです。
それでおそらくは疲れていたのでしょう、ちょっとだらけてきていました。
さすがにそれを指摘するのは躊躇われ、黙々とブラシを動かす私。
実は私も腰の痛みがハンパなくて、音を上げそうになっていたのは秘密です。

休憩時間になると、男性チームは交流を始めました。
女性チームは無言です。
あぁ、やっぱり私のせいで空気を悪くしてしまったかしら。

作業時間も終了に近づいてきました。
男性チームも一段落してきたようです。
その時、家の人が窓ガラスを4枚持って、私のところへやってきました。
ここまで水に浸かりました、と言わんばかりのラインがくっきりついた窓。
「これも洗っていただけますか」
時間ギリギリに申し訳ない、と言いながら、遠慮なく目の前に置いていきます。
背丈以上もある窓ガラス。
ガラスですから、ブラシを使ったら傷が付いてしまいます。
道具の洗浄は2人に任せて、私は窓ガラスを洗い始めました。
水とゴム手袋での洗浄。こんな大きな窓ガラス4枚は、洗い甲斐があります。
下枠にはめる部分は、泥と草が入り込んでいて、なかなか洗い流せず苦労しました。
それでも、これが我が家の窓だと思えば、適当な洗い方は出来ません。
泥や水の痕は災害のトラウマであるはず。キレイに洗い流したいじゃないですか。
細いブラシと水圧を駆使して、やっと一枚洗い終えました。
それを見計らってか、家の人がやってきて、ニコニコしながら窓ガラスを干しに持って行ってくれました。
助かった。私が運んで、もし落として割ったりしたら、大惨事になるところでした。

手が空いた男性チームのひとりがやってきて、私を手伝い始めました。
「これはこれは、大物が残っていたもんだ」
と言いながら手を貸してくれたのですが、それが私の意向とまったく異なり、ここで私はちょっとだけカチンときてしまったんです。

福島報告:5月5日前編

May 28 [Sat], 2011, 2:00
さて、今日は体力仕事です。
寝起きもよく、天気のいい朝でした。
気合いを入れて頑張るぞ。
ってとりあえず野菜ジュースとシリアルを食べていたら、カップラーメンを食べていたボスに無理矢理お裾分けをもらうはめに。
そんなんじゃ体力出ないぞって。
カップラーメンもシリアルも大差ないと思うんですが…。
履きなれたジーパンに、動きやすい七分袖のカットソー、捨ててもいい勢いで持ってきたジャージを羽織って、いざ出発。

災害VCに8時半に来るように言われていたのですが、8時ちょっと前に到着してしまいました。
そこでとりあえず靴を作業ブーツに履き換え、帽子とゴーグルを装着。
睡眠不足のボスに仮眠をとらせて、しばらく車内でボーっとしていました。

8時になり、受付を済ませます。
ボランティア保険に加入していなかった私は、今日一日だけの保険に入ることに。
名札をもらって、集合場所で時間を待ちます。
全員の受付が終わると、今日の作業の説明が始まります。
前日から作業をしている人は引き続き、今日から始める人は足りないグループへ参入。
私たちは、ある民家の最終工程を手伝う20人程のグループに参加することになりました。

現場での写真撮影は禁止されています。
なので5日の報告には写真はありません。
文字ばかりで見にくいですけど、許してくださいね。

現地に到着すると、とても最終とは思えない惨状。
今日一日で本当に終われるのか、かなり心配な感じです。

とりあえず、男性チームと女性チームに別れます。
男性チームは泥かき、家周辺の始末をしていた様子。正直、あんまり見ている暇がなかったので、漠然ですが。
女性チームは、庭の隅に山積みされたパイプ類を掘り出して、泥を取り除いて土嚢袋に詰める作業。
始めは簡単でした。重い泥を運んでいる男性チームに申し訳ないと思うくらい、軽い作業だったんです。
しかし山積みのパイプの下には、掘っても掘っても出てこないパイプが埋まっていました。
女性チーム、私を含めて4人です。そのうち2人はスコップの使い方がわからない!
申し訳ないけど「私と○○さんで掘るから、あなたたちは泥を払って袋詰めして!」と指示を出してしまいました。
パイプの埋まっている場所には、棚が組んであって、そこにも長いパイプが乗せてあります。
その下に埋まっているパイプを掘り出すには、あまりに低くて頭がぶつかります。
「これ、そっちの車庫に移動して!」
えーなんかメンドいーという雰囲気の女性2人を無視して、スコップ2人は発掘を続けました。

私は田舎育ちで、畑仕事なんかも手伝ったことがあります。
雨の翌日の泥の重さも知っているつもりです。
この庭の泥は、私の知ってる重さではありませんでした。
粘っこくて、硬くて、重い。粘土みたい。
明らかに他の場所から流れてきた泥。
これでは水捌けも悪く、庭の草木が枯れてしまいます。

作業は一時間置きに10分の休憩が入ります。
ゴーグルとマスクを外して、支給された水を一気飲み。
でもまだまだイケます。動けます。
私たちボランティアが休憩している間にも、家の人は休まず働いているんです。
休んでる時間がもったいない。作業も全然進んでない。

家の作業が一段落したのか、男性チームの数人がちらほらと手伝いに来てくれました。
思った以上に悪戦苦闘しているように見えたのか、いろいろ意見を出して、手伝ってくれました。
ボスもやってきて「しっかりやっとるかー」
パイプとパイプの間に挟まったパイプ。絡まる植物の根。重い土。吹き出る汗。
ゴーグルの中が曇って視界が悪くなるので、もう外してしまいました。

埋蔵文化財整理室でアルバイトをしていたことがあります。
発掘チームが遺跡を掘り、パズルチームが発掘物を洗浄し組み立てて、図面チームが現場を図面に起こします。
発掘チームは専門の学生が行っていましたが、パズルと図面は私がやっていました。
(本当はアルバイトが図面を描くのはダメですよ?)
一度だけ発掘チームについていき、発掘や測量を手伝いましたが、ちょっと作業をしただけでかなり腰に痛みがきたのを思い出しました。
遺跡は物だけではありません。土自体が大事な資料でもあります。専門家なら、土を見るだけで、どの時代にどういう生活をしていたのか、どういう事件が起こったのかを推測することができると聞きます。
だから土をいじるときは、中腰で慎重に掘って行きました。ギリギリのラインを越えてしまうと、急激に土が変わってしまうので、手を震わせながらシャベルを持っていました。

庭の土を掘りながら、ふとそんなことを思い出していました。
状況は全然違うし、こっちはとにかくザクザク掘っているだけだけど、粘土層を掘り起こしながら、専門家が見たらこれをなんと言うんだろうなんて想像していました。

あっという間に12時になりました。ランチタイムです。

福島報告・5月4日後編

May 19 [Thu], 2011, 23:19
原ノ町駅近くにある、松ノ湯旅館というところに部屋をとっていました。
元々は温泉だったのですが、数年前にオヤジさんが亡くなり、
今は素泊まりの旅館になっている宿です。
小さくて壁が薄く、風呂場も天井付近が開いているので互いに覗き合える。
入り口カウンターの向こうの部屋には、普通の茶の間があって、
女将さんとその家族が普通に夕食をつついていました。

ボランティアの基本として、簡易食事や調理グッズは持参していましたし、
コンビニも普通に営業しているようでしたが、
「すみません、この辺に夕食を食べるようなお店ってありますか」
ここにお金を落としていくのも経済効果。復興への一歩。
「駐車場を抜けた裏道に、つるやっていう小さな小料理屋がありますよ」

ボスとふたりでその小料理屋に行くことにしました。
まわりは真っ暗。車一台も通りません。人通りも無し。
ただ都会と違うだけなのか、震災の影響なのかはわかりません。

ガラガラガラ…
「いらっしゃいませー」
「ふたりなんですが、空いてますか」
「お座席空いてますよ。どうぞー」
「とりあえずビール。中ジョッキで」
「私は梅酒ロックで」
「注文は、このメモ帳に書いて、店員に渡してね」
なんてことはない、普通の大衆居酒屋の雰囲気に、ちょっと落ち着きました。
そこで出てきたお通しが、切干大根と魚の竜田揚げ。
「この魚、なんだろう」
「見た目は鯖っぽいけど…」
「ブリにも見える…」
ボスとふたりでチビチビ食べた結果、私の中ではカツオと推測。
お酒を運んできた店員さんに聞いてみました。
すると嬉しそうにニッコリと答えてくれました。
「カツオなのよ。生姜と醤油と日本酒で10分浸けこんでね…」
それから延々と調理法を説明した後、奥に引っ込んだ店員さんは、同じお皿を抱えて戻ってきました。
「まだ余ってるから、あげるわ。美味しいって言ってくれたしね」

それから運ばれてくる料理は、すべて地元でとれた食材で作った料理。
小料理屋だけあって、味付けは最高です。
ましてや福島は、新鮮野菜が美味しい名所。
すべてが最高のシチュエーションで、満腹になりました。

すぐ横のカウンターでは、地元の人が会話しています。
自分の家はどんな被害を受けたとか、知り合いのご家族が波にのまれたとか、
ボランティアが来てくれたけど最終的には自分でやるしかないんだなぁとか。
顔は笑っていたけど、話の内容は愚痴ばかりでした。
うん、申し訳ない、きっと私たちも100%満足してもらえる仕事は出来ない。
それでも出来ることをやるしか、私たちだって方法がないんだ。
心の中で謝罪しながら、お会計を済ませました。

「そういえば、あなたたち、この辺の人じゃないわね?」
男性の方は関西弁だし、女性の方は標準語っぽいし、と店員さんは言いました。
「もしかして、ボランティアで来たの?」
「はい、3日しか居られませんけど」
「まぁ!じゃぁお願いがあるんです」
というと、店員さんはレジの横から、黄色いハンカチとマジックを取り出しました。
「ここにメッセージを書いて欲しいの」
こんな風に、と指をさしたのは「北萱浜、復幸!」と書かれたハンカチ。

「これは地元の方が書いたんだけどね、あなたたちにも書いて欲しくて」
復興じゃなくて復幸かぁ、と私が感心している間に、ボス記入。

「地震に負けてない福島素敵!☆FreePeace☆共に!つるや最高!」
ハンカチ一枚しかもらってないよね。そんなたくさんの文字を、ど真ん中に書いたら、私の書くスペースがなくなるよね。
「医食同源!」「美味しく食べて楽しく生きる!」
二か所に分けて書きました。



旅館に戻り、少し食休みをしてから、ふたりで大浴場へ行きました。
先にも書きましたが、更衣室も浴場も、天井付近が吹き抜けになっています。
とはいえ、壁が高過ぎて、せいぜい物の投げ合いが出来る程度。
「あねさん?」
「んー?」
「あねさん」
「なによ」
「あーねーさーんってば」
しつこいなぁと振り返ってビックリ。ボスが天井付近から覗いていました。
「うわあぁぁぁ」
「俺、背が高くてよかった」

蒲団にもぐって、今日一日を振り返ってみました。
家を出るときには、福島は危険ということしか頭にありませんでした。
安積でアスパラ揚げを食べた時も、口に入れる瞬間まで放射能を意識していました。
釣り堀でおばちゃんと会話したあたりから、福島に住む人の辛さを体感し始めました。
小料理屋で福島県民の暖かさに触れ、現地の食材を食べることの抵抗の無さに、我ながら驚きました。

あぁそうだ、ここに住んでる人は、これが普通なんだ。
そんな簡単なことが、東京にいたらわからないままだったでしょう。

寝ている間も、小さな地震が何度も襲ってきます。
でも気にしない。だってここは福島だもの。余震が来るのは、東京にいるときだって速報を見て知っていたもの。
地震で家は崩れない。昼間無事な街を見てきたから、私たちは知っている。

こうして一日目が終了しました。

福島報告・5月4日中編

May 17 [Tue], 2011, 21:20
釣り堀を出発した私たちは、また山道を走りだしました。
さっきまでの観光気分は、もうありません。
ここは被災地。目に見えない被災が、間違いなく存在している場所。

山を抜けると、市街地に出ました。
県外の車はほとんどありません。
でも自衛隊や災害派遣の車がやけに多かったと記憶しています。
また、福岡県警および佐賀県警のパトカーもいました。
九州からわざわざ来たのでしょうか。しかもそれぞれ一台ずつ。
遠路はるばるお疲れ様です。

途中、元々は畑だったであろう場所に、
仮設住宅が建設されているのを見かけました。
本当に一部屋が小さく、なるべく多くの人が住めるようにと作られている印象を受けました。
それでもまわりには生活に不便のない店が並び、
少なくとも避難所よりはマシな生活が出来ると思われます。


18時前には、災害ボランティアセンターに到着しました。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
すでにボランティア受付の時間が過ぎてはいましたが、
スコップや作業ブーツを洗う人でごった返していて、センターの人も慌しく働いていました。
私とボスは、入り口に車をつけ、物資を持ってきたことを告げました。
始めは不審がっていたセンターの人も、以前電話した者だと告げると、納得したように物資を下ろす手伝いをしてくれました。
今日はこれだけ。明日はボランティアに参加しに来ますと告げ、私たちはまた車を出しました。




原ノ町駅の近くに宿を取ってあります。
でもまだ明るいので、ちょっと街中を走ってみることにしました。
明日、自分たちはどんな作業をするのだろう。
どんな光景を目にするのだろう。
不安ばかりが胸に広がります。

私は躁鬱病であり、PTSD患者でもあります。
すべてを真正面から受け止めてしまうので、小さなことでもトラウマにしてしまいます。
そしてボスもまた鬱病でPTSD患者。PTSDに関しては、私より重いと思います。

新聞やニュースで見たような光景を、明日突然目にしたら、きっと力が出なくなる。
そう思ったから、今日のうちに惨状を目にしてショックを受けておこうと思いました。

一番始めに目にしたのは、稼働していない信号でした。

曲がってもいないし、ひとつ向こうの信号はちゃんと点いている。
おかしいなと思って首をひねると、向こうに倒れてグチャグチャになった鉄塔が。

その向こうには、だらしなく垂れ下がった電線が数本ありました。
ライフラインはほぼ復旧したと言っても、完全ではないんだということを目の当たりにした瞬間でした。
次に見たのは、船でした。
船は、海に浮かんでいるものです。決して電柱に寄り添うように横たわっているものではありません。
あまりの違和感に、驚きよりも不思議な世界に飛び込んだ気持ちになりました。
納得がいかないまま走ると、ものの数分もしないうちに、船がたくさん見えてきました。
船は畑に植えるものではありませんし、屋根に登るものでもありません。
でもそれが現実でした。
写真では何度も見ました。もうそれが被災地では当たり前の光景だとすら思うくらい、何百枚も見てきました。
なのに、目の前の光景は、私の知らない光景でした。




思わず車を停めて、呆然とするふたり。
やがてボスが車を降りて、船の方へ向かって歩き出しました。
私も慌てて追いました。
船を触ってみました。
冷たくて、かたくて、大きくて、間違いなく本物の船でした。
斜めに傾いたそれに登ってみました。中は大破していました。

災害ボランティアセンターは普通の建物です。その周辺の民家も普通に生活しています。
しかしそこからたった数分で、この地に辿り着いてしまいました。

津波の境界線は、とてもはっきりしていました。

この道の向こうでは、普通の生活をしている人がいる。
この道の手前では、家ひとつ残っていない土地だけがある。

所詮、二次元の情報なんて、歴史の教科書を読んでいるようなものです。
どんなに感情移入したところで、本当の実感なんか持てるわけがない。
現場に立っている身でさえ、まだ写真に囲まれてるんじゃないかと疑っている。

頭が空っぽになって、動けなくなって、それでも進むしかなくて。
もう一度車に乗って、海に向かってゆっくり走りだしました。
大きなコンクリの塊をいくつも通り過ぎ、やがて堤防に辿り着いて、潮の香りが漂って来た時、私の脳には(おそらくはボスも)フラッシュバックが起こっていました。
ふたつの病気が連動して起こす、シンクロみたいなものでしょうか。
体験していないはずなのに、波に流される映像が、まるで当事者のように脳内で再現されるんです。
両足で踏ん張り、揺れる脳をおさえて、かろうじて意識を保つ。
目を開けることも出来ず、呼吸困難になって、車のドアにしがみついたまま、30分程耐えていました。

意識がはっきりした頃には、夕陽が沈みかけていました。
瓦礫の山がいくつも重なった畑の水たまりの向こうに、オレンジ色の透明な光。
こんなにも悲惨な場所にも、太陽は平等に光を与えてくれていました。

福島報告・5月4日前編

May 17 [Tue], 2011, 2:31
安積PAに入った時には、お昼頃でした。
串焼き屋台が出ており、現地の新鮮野菜を素揚げしたものが…。
あまり満腹になると眠くなるので、私はアスパラ揚げを一本。
心の奥底では、正直、まだ福島産というブランドに抵抗がないわけではありません。
でも腹が減っては戦はできぬ。
ボスもガツガツ食べてますし、私も思い切ってかぶりつきました。

ビックリするほど柔らかくて甘くて美味しい!
福島は新鮮野菜が名産と聞きますが、なるほどその通りです。

福島飯坂ICを降りたのは、13時半頃だったかな。
そこから真っ直ぐ東へ走ります。

福島ってだけで、被災地のイメージがありました。
ニュースや新聞、ネットで見るような映像、情報。
しかし今、目の前に広がっているのは、ただの田舎町でした。
家も壊れていない。店も通常営業してる。マスクしてる人は花粉症?
他県の車もほとんど無く、拍子抜けという言葉がピッタリでした。
走れば走るほど、自分がボランティアではなく、ただの観光に来たんじゃないかと、
ボスとふたりで首をかしげていました。

そのうち、山道にさしかかりました。
桜が見頃です。
これだけ普通の生活が出来る状況なら、現地の人も花見してるんじゃないかしら。

走れど走れど目的地にたどり着かない車。
ナビの到着予測時刻は、18時となっていました。
確実にボランティアには間に合いません。
今日は何も出来ない、そう判断した私たちは、ちょっと寄り道をすることにしました。
釣り堀があったんです。
釣り好きなボスですから、迷いに迷った挙句、立ち寄ることにしたんです。
そこでニジマスを釣り、焼いてもらって食べているとき、
お店のおばちゃんと話をする機会をもらいました。
そこで私たちは、心の中で反省したんです。

「ここは原発から30km圏内。緊急時避難区域だから、お客さんは滅多に来なくなった」
「東京に疎開した親戚が、車や家の壁に『死ね』とか『バイ菌』と落書きされている」
「おばあちゃんの畑を心配した姪が津波に飲まれたけど、両親もおばあちゃんを責めることが出来ない」
「東電は悪くない。政府も一生懸命やってくれている。誰も恨んじゃいけないんだ」

見た目は何も被害を受けていないように見える。
家も壊れていないし、現地の人は遊びに来ている。
たんぽぽが咲いて川が流れる景色は、一見何の変哲もない。
かぶりつくニジマスは、今までで一番美味しくて身が厚く柔らかい。
それでもおばちゃんは間違いなく被災者でした。おばちゃんの親戚も知り合いも。
普通の生活をしているわけがなかったんです。
情報や目の前の景色に惑わされて、相手の心が見えなかったことが、とても悔しかった。

帰り際、料金を払おうとした私たちに、おばちゃんはいいよいいよと支払いを拒否してきました。
遠方から来てくれて、福島の魚を食べてくれただけで、とても嬉しいと言って。
経済効果だって復興の一歩なんだよと、無理矢理料金を押し付けてきましたが、本音を言うと、罪滅ぼしの気持ちもありました。
帰りにまた来るからね、と約束して、私たちはまた車を出しました。

被災が一段落して、近くに観光に行くことがあれば、
是非おばちゃんの釣り堀にも立ち寄ってください。
本当に美味しいニジマスが食べられます。
http://fishing.nifty.com/cs/catalog/fishing_kanritsuriba/catalog_05020_1.htm


P R
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