dero

June 30 [Sat], 2012, 1:44
ねこは起きあがり、静かに私のほうへ歩いて来た。私は鰯を一尾なげてやった。ねこは逃げ腰をつかいながらもたべたのだ。私の胸は浪うった。わが恋は容(い)れられたり。ねこの白い毛を撫でたく思い、庭へおりた。脊中の毛にふれるや、ねこは、私の小指の腹を骨までかりりと噛(か)み裂いた。

 役者になりたい。

 むかしの日本橋は、長さが三十七間四尺五寸あったのであるが、いまは廿七間しかない。それだけ川幅がせまくなったものと思わねばいけない。このように昔は、川と言わず人間と言わず、いまよりはるかに大きかったのである。
 この橋は、おおむかしの慶長七年に始めて架けられて、そののち十たびばかり作り変えられ、今のは明治四十四年に落成したものである。大正十二年の震災のときは、橋のらんかんに飾られてある青銅の竜の翼が、焔(ほのお)に包まれてまっかに焼けた。
 私の幼時に愛した木版の東海道五十三次道中双六(すごろく)では、ここが振りだしになっていて、幾人ものやっこのそれぞれ長い槍を持ってこの橋のうえを歩いている画が、のどかにかかれてあった。もとはこんなぐあいに繁華であったのであろうが、いまは、たいへんさびれてしまった。魚河岸(うおがし)が築地(つきじ)へうつってからは、いっそう名前もすたれて、げんざいは、たいていの東京名所絵葉書から取除かれている。
 ことし、十二月下旬の或る霧のふかい夜に、この橋のたもとで異人の女の子がたくさんの乞食(こじき)の群からひとり離れて佇(たたず)んでいた。花を売っていたのは此の女の子である。
 三日ほどまえから、黄昏(たそがれ)どきになると一束の花を持ってここへ電車でやって来て、東京市の丸い紋章にじゃれついている青銅の唐獅子(からじし)の下で、三四時間ぐらい黙って立っているのである。
 日本のひとは、おちぶれた異人を見ると、きっと白系の露西亜(ロシヤ)人にきめてしまう憎い習性を持っている。いま、この濃霧のなかで手袋のやぶれを気にしながら花束を持って立っている小さい子供を見ても、おおかたの日本のひとは、ああロシヤがいる、と楽な気持で呟くにちがいない。しかも、チエホフを読んだことのある青年ならば、父は退職の陸軍二等大尉、母は傲慢(ごうまん)な貴族、とうっとりと独断しながら、すこし歩をゆるめるであろう。また、ドストエーフスキイimliveを覗きはじめた学生ならば、おや、ネルリ! と声を出して叫んで、あわてて外套(がいとう)の襟(えり)を掻(か)きたてるかも知れ
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