ジョンカビラ。 

2006年09月29日(金) 9時08分


いつも、そこに、必ず、いる。
そこでさりげなく待っていてくれる。

わたしが、その存在を軽視しても。
忘れてしまっていても。
暖かく、やわらかく、叱咤するような眼差しでそこにいる。

そのことが、どれほど心強いか。
どれほどいとしいことか。


彼のやっていた、朝の看板番組、『J-Wave Good Morning Tokyo』が、
今日で終了。
彼は、旅立っていった。

stressfulな東京の朝を、時に静かに、時に打ち破るような明るさで伝えてきた。
いつもそこにある声と、物事を伝える真摯な姿勢、そして日常を“楽しむ”言葉
たちが、荒れる世の中へと乗り込んで行くわたしたちの背中を押してくれた。
押された背中の、暖かな感触は、ずっとずっと忘れないと思う。

「そこにあなたがいるということで、続けてきた」
彼は言う。
わたしたちも思う。
「確かに、そこに、あなたがいる」という感触に、毎日触れてきた。
あなたとわたし。
そして、それ以外の人々。
Radioは、そういう存在を、確かに感じられるmediaだと思う。


人々の毎日を預かる重責だとわかるので、「何で?」とは言えない。
職務から離れる理由が、『家族』だというのにもほっとする。

だけど、待っている。
帰ってくることを。
そして、その日が早くやってくることを。


行ってらっしゃい。
Good day&Peace☆


江原啓之。 

2006年04月02日(日) 18時50分



人が物事を知る、ということについて、神様はちゃんと制限をしていると思う。

人の想い。
思惑。
期待。
ちょっと先の未来。
悪意。
憎しみ。
迷い。
深い深い愛情、ですら。

その人が感じるのとしっかり同じ重さで、物事を感じてしまったら、物事を
知ってしまったら…。
きっとこの世は生きづらくて、耐え難いものになるだろう。
だから、そんなに知らなくてもいいように、そんなに感じなくてもいいように、
ちゃんと制限をしているはずなのだ。


だから、彼のように、すべてがちゃんと、きちんと見えてしまったら、どんなに
つらいことだろう、と思う。
気の毒な思いすらする。


彼は霊視という極めてエキセントリックにとられかねない方法を取るけれど、
言っていることはあまりにもまっとうだ。
相手にどこまで伝えられるのか。
口に出した言葉に耐えうる人なのか。
そういう人間の計り方も的確だ。
真実だから、とあるもの全てを乱暴に口に出すことは、プロの仕事ではない。

彼の眼差しは、亡くなった人ではなく、今生きている人、生きていこうとする
人に対して、より温かだ。
亡くなった人たちと交信をするのではなく、生きている人により生きて欲しい
という広い広い優しさがある。


強さと、溢れるような愛にうらやましさすら憶える。


北川悠仁。 

2006年01月14日(土) 16時13分


正直に生きるということは、つらく険しい、茨の道だ。
正直を貫く、ということだけで、きっと一生かかる大仕事。


世間的には。
さわやかフォークデュオの片割れ、だったり。
売れてるのに、全然ぶらない礼儀正しい若者、だったり。
TVに出ない、何やらこだわりのあるミュージシャン、だったり。
いつも小奇麗で、エロい話なんて漂わせもしない清潔感の持ち主、だったり。
そういう見られ方なのかもしれない。


世の中には、何となく目にしたものや、人が持っているいいところだけをさらっと
纏える、という人がいる。
それが、センスっていうものなのかもしれないし。
おしゃれ、ってことなのかもしれない。


彼は、良くも悪くも『自分自身』しか生きられない。
その時その時の、『等身大』を突き詰める。

女が忘れられない未練、とか。
歌を作ることで汚れていく自分、とか。
たくさんの人に一気に潰されそうになる恐怖、とか。
世界平和への祈り、とか。
モテたくて、おしゃれな髪型に憧れること、とか。

とにかくすべてが彼自身。
生きる中で、必死にひねり出した『等身大』。


だから、彼自身が生み出したものには、強烈に彼が反映される。
受け取り手と彼を繋ぐものは、作品の良し悪し、ではなくて、彼自身への信頼。

彼が感じていることを感じたい。
彼が見ている世界を見たい。
彼が信じているものを信じてみたい。
そういう想い、なのだと思う。


オダギリジョー。 

2005年11月14日(月) 21時46分


最高にセクシーな人だな、と思った。


色気って、『孤独』って気がする。
深い深い孤独。
誰も触れられないような、誰とも交われないような、そういう闇のようなものを、
いつもどこかに抱えている人。
どんなに語り合っても、どんなに触れ合っても、絶対に共有できない部分を
自分の身体の中に持ち合わせている…。

だから、どうしようもなくひとりで、途方もなくひとり。



わたしは、“オダギリジョー”以上に、『岸本春彦』(メゾン・ド・ヒミコ)の猛烈な
色気にやられて、「今すぐに触れたい」と、いう欲情に苛まれた。
誰かに対して、「好き」とか「愛おしい」と思うことはあっても、「触れたい」という
ところに最初に繋がった人は、初めてだった。


それもこれも、やっぱり色気のなせる技だろう…。

saigenji。 

2005年10月11日(火) 23時03分


彼は、歌を謳う人であると同時に、音を奏でる人でもあり、また空間を創る人
でもある。


彼のstageを見ていると、そこには光や太陽の熱、風すら引き連れてきたかの
ような圧倒的な自然の恵みがあるように思える。
stegeの中で、そういうものが息づいている。

たとえ、外が曇天の雨空でも。
自分のこころの中がstressfulで狂いそうになっていても。
どんな時でも光が見えるし、暖かい空気を感じる。
自分を苦しめるもののないところへと連れて行ってくれるような感じがする。

そして、彼の歌を聴いているときのわたしは、何だか自然に“にっこり”して
しまう。
LIVEの最中に、頬の筋肉が上がっていることに気付いて、「あ、にっこりだ」と
思う。
にっこりしている自分に気がつくと、それはそれでまたhappyが広がって、
さらににっこりとしてしまう。
happyがhappyを生む。
連鎖する。


音楽のことはわからないけれど(だけど、文句なく好きだとは思う)、その
圧倒的に人を幸せな方向へと巻き込んでいくenergyには猛烈に嫉妬する。
それは、もはや音楽の才能ですらないからだ。
表現のtoolが音楽なのであって、彼の魅力の源は果てしなく自由で幸福な
その人間の中にある。

そのことが悔しい。
でも、そういう人が生きていて、自分の人生に(どんな形にせよ)関わって
くれたことは、生きている歓びだ。

MC RYU。 

2005年10月01日(土) 2時18分


愛に溢れた人だ…。

『また月曜日がんばって学校・仕事に行って、また元気で会おう』…。
そう言われ続けた金曜の夜に、どれだけ励まされてきただろう。
どんなに憂鬱な日曜の夜も、「月曜になればRYUさんがいる!」…そう思うと、
少し光が見えた。
安心と信頼。

RYUさんは嘘を言わないし、常に前を向き続けて、怒涛のごとく突き進む。
人間だから、時にいらいらしていたり、元気がなかったり、怒っていたり、
そういう波も感じ取れるほどだった。
そういう人間臭さや、生きている生々しさを伝えられる人だった。


はっきり言ってB-BOYは嫌い。
大きらい。
いまだに。



でも、そういうジャンルでは括れない大きな人だった。
“SOUL TRAIN”はそういう番組だった。

今時、情報が怒涛のごとく溢れ出て、選べないほどある世界で、RADIO番組の
ために家に帰りたいと思うことの意味は大きい。
彼が喋っているだけでほっとするのだ。
彼が喋っているだけで生きている感じがするのだ。

RYUさんみたいになりたい。
真似したいわけでも、地位が欲しいわけでもなく、愛の溢れる人間になりたい。

これからどう生きていけばいいのだろう…。
“SOUL TRAIN”を失ったわたしは途方に暮れる。
そういう時ですら、RYUさんが今自分自身にも言っているであろう『Keep Your
Head Up!』という言葉を繰り返し言って、歩いて行くしかない。


秋田慎治。 

2005年09月02日(金) 0時27分


美しい人だなぁ、と思った。

男の人にそういう気持ちを抱くのは珍しい。
だって、誰がなんと言おうと、女の人は美しいし。
そういう比較で男を見たならば、誰も“美しい”には当てはまらない。

だけど、最初から断固として“美しい”としか思えなかった。


小さい顔に、はっきりした目鼻。
男らしく角ばった肩に、しなやかな身体。
その存在から繰り出される音は、とにかく力強く、だけど儚いような繊細さも
持ち合わせていた。
存在に猛烈な色気があった。

「やっぱりジャズピアノが好きだ!」とわたしに改めて感じさせた奏者。


話を始めると、素朴な感じで。
そして、あまりにも自然で、纏う空気が地に足着いた感じだったので驚いた。
溢れる才能と、着実な人間性…このgapには弱い…。


この写真、全然彼の良さを表していないのが残念だ。

畠山美由紀。 

2005年07月21日(木) 23時54分


彼女の歌声は、とっても冷たい。
夏の布団の中で、足がひんやりとした場所を見つけた時のよう。
はっ、とするような冷たさ。

そして、地面のようにどっしりと、温かくいろんなものを含んでいく。
何もかもを包み込んで、その中に留まらせてしまうかのような、力がある。

だけど、実際聞いたら、あまりにもソウルフルな歌声で、生きている生々しさを
見せつけられるようだった。
ちゃんと感じて。
ちゃんと心を痛めて。
ちゃんと生きて。
そういう人の歌声だった。

あまりにも“魂”を感じさせる声で、自分が笑ったり・悲しんだり・悔しがったり・怒ったり、
そういう時のいろんな場面を思い出させた。
風景でも、視界に広がるものたちでもなく、ただ生きていることそのものを思い出させた。

歌手だなぁ。
本物の謳い手だった。


彼女がどうしていろんな人からあれほどまでに求められるのかがわかった。
静かに、着実に、才能がそこにある。


妻夫木聡。 

2005年07月12日(火) 23時27分


彼が演じる役は、いつもどんな時も、そんな人のように見える。


たとえば、些細な日常に悩む大学生。
命の重さに苛まれる研修医。
ちょっといきがって、自分の才能を自負する詐欺師。
恋の痛手を引きずりながら、夢をあきらめつつあるサラリーマン…。

声のトーンも、テンポも、話し方も。
表情だって、それほど変化があるわけでもないのに。
彼はいつだって、本当のその人のように見える。
彼の中にそういう人が息づいているし。
それぞれの人が、この国のどこかに生きているかのようだ。


それって、演技がうまいってこと???


彼は、芝居に対してでも、演技に対してでもなく。
ただ人に対して真摯な人だということだ。
人が生きるということに対して、繊細で注意深い人なのだと思う。



森広隆。 

2005年05月19日(木) 0時21分


ここ数年来、最も好きなMusicianのひとり。

はじめて見たのは、clubでのeventだった。
大御所“DJ HASEBE”の参加するイベントで、やけに少年ぽい人だな
と思った。
歌より何より、その小柄さが気になった。
そして、見た目があまりにも好みだった…。

家に帰ってフライヤーを見て、CDを購入。
一度目より二度目、二度目より三度目によりよくなる曲たちだ。


彼の穏やかさが好き。

強烈な自己表現と、表したいものへの欲望。
でも、そういうものは雲の下で起こっている嵐のように、雲の上はいつも朗らか
で穏やかだ。
わたしは彼の表したいものがわかるような気がするだけに、どうしてそんな風
にいられるのだろうと羨望の眼差しを向ける。

いつも、いつだって、ただのかわいらしい少年だ。

活動形態を見直すという姿勢も。
歌うことに対していつも真摯でいることも。
歌というものが“JOY”、そのものであるところも。
醜い、穢れた感情は、全て創作に出し尽くすという集中力も。
全てが強い、男の仕業だ。

ちなみに全然選べたものではないけれど、1番好きな曲。
“CYCLONE”。


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