目次

May 05 [Sat], 2012, 13:03

子供だった頃って言うけど、
あの頃より、少し落ち着いたくらいです。

第一項「making of moco!」
第二項「I have an idea.」
第三項「letter and Cline?」
第四項「BICYCLE」
第五項「recall the past・・・・・・」
第六項「FREE,」
第七項「there are my brother.」
第八項「see you,dear」
第九項「NEIGHBOUR」
第十項「I GO TO ENGLAND,OK?」
第十一項「break time」
第十二項「writer×mind」
第十三項「all cross」
第十四項「DON'T SREEP!」
第十五項「ceramic girl」
第十六項「UFO,RUN,SMILE」
第十七項「early in the morning」
第十八項「After」
第十九項「from society」
第二十項「SPACE」
第二十一項「I WILL.」
第二十二項「I miss you」
第二十三項「egoist」
第二十四項「How are you?」
第二十五項「WHITE MOON」
第二十六項「isolationist」
第二十七項「ENTERYPHONE」
第二十八項「monopolist」
第二十九項「altruist」
第三十項「your kindness」
第三十一項「If it undeliverables,」
第三十二項「baker」
第三十三項「beyond the sky」
第三十四項「worry.」
第三十五項「last letter」
第三十六項「I decide,」
第三十七項「opine that」
第三十八項「calling you」
第三十九項「no matter who」
第四十項「for example,」
第四十一項「high school」
第四十二項「BEARS」
第四十三項「in which case」
第四十四項「between A and B」
第四十五項「hopeful days」
第四十六項「khaos maker」
第四十七項「not act rashly.」
第四十八項「buddy buddy」
第四十九項「mine」
第五十項「higher and higher」
第五十一項「peace of mind」
第五十二項「AFTERNOON TEA」
第五十三項「my family」
第五十四項「twinkle twinkle」
第五十五項「absolutist」
第五十六項「special holiday」
第五十七項「You don't have to worry,」
第五十八項「'Cause I love you.」
第五十九項「I my me mind」
第六十項「miracle of establishment」
第六十一項「photographer」
第六十二項「under these circumstances」
第六十三項「midway endwise」
第六十四項「truth」
第六十五項「name:lala」
第六十六項「I looking for」
第六十七項「lie」
第六十八項「hand」
第六十九項「I'm here!」
第七十項「Look before you leap.」
第七十一項「I'm home.」
第七十二項「ring a bell」
第七十三項「my lover」
第七十四項「night⇒morning」
第七十五項「teachers」

第七十五項「teachers」

May 05 [Sat], 2012, 11:23
「先生。先生」
 落ち着いた声で呼ばれて、山田良男は「うう」と寝ぼけた声を出し、突っ伏していた職員机から顔を上げました。
「もうすぐ五時限目が始まりますよ」
 右の席から、国語教諭の丹羽故登利が、京なまりの強い標準語でゆっくりと言いました。
「え、えっとすみません。俺、今日の五限は授業入ってないんです」
「あらあら。そうなんですか。寝かせといてあげれば良かったですね」
 山田はまどろみながら、いえ、大丈夫です、と答えます。
 自分より二つ年上のこの女性を、彼は常日頃から、紫式部に似ていると思っていました。下膨れの頬に、絹ごし豆腐のような肌。紅をひいたおちょぼ口、低く小さい鼻、笑っているかのような細いタレ目、薄くて短いぽてっとした眉。ひたいを露にした、前髪と後ろ髪が同じくらいに、くるぶしまで長い、・・・・・・そう、くるぶしまで。引きずる寸前に留まるその髪は、世界が嫉妬するくらいに真っ黒で真っ直ぐ。加えて着物ならば面白かったのですが、平成の紫式部は、紺のトレーナーに白いジーンズという只人の格好でした。
「今日は眠そうですけど、どうしたんです?」
 京なまりの標準語は、かなりのんびりしています。子守唄になってしまいそうでした。
「いえ実は、娘がね。恋愛相談がしたいって、深夜に起こされたんですよ。けっきょく俺が寝れたのは、今日のすぁんじくあ・・・・・・三時くらい。すみません」
 欠伸が混じったので、ひどい呂律でした。
「あらあら。でもお母さんにではなくて、お父さんに恋愛相談をする子って、めずらしいんじゃありません?」
「ただ妻が不在だったんですよ。看護婦なんですけど、昨日は夜勤でね」
「あらあら」
 丹羽は困った表情でにっこりして、長すぎる髪を揺らしました。
「ほんっと忙しい奴でね妻は。俺のほうが主夫って感じですよ」
「あらあら」
 白くふにふにの手を、口元に当てて平安美人は微笑みます。
「えな――娘の面倒も、けっこう俺任せで。仕方ないんですけどね」
「あら、あら・・・・・・」
 むしろ山田が早口に聞こえてくるくらいの、スローな相槌。
「だから妻が居たとしても、やっぱりえなは俺に相談しに来てたかも。なんて自惚れですかね」
「あらあら」
 山田は口をつぐみました。
「丹羽先生、もしかして五限ありますか」
「え、どうして?」
 京なまりのどうしては、なんでの発音でした。
「いえさっきから、あらあらしか言わないでしょ。早く会話を切りたいのかなあと」
「あらあら。違いますよ。寝たいでしょうに、無理に会話してくれてる山田先生のために、わざわざ早く終わらそうとしてあげているんです」
 ゆっくり、にっこり。丹羽故登利は正直で優しい女性ですが、たまに恩着せがましく、上から目線になることだけがキズでした。
「ああーはあーそれはーありがとうございます。寝ます」
「あらあら」これは口癖。
 眠いのは事実だったので、山田は再び机に伏せました。急速に意識が遠のきます。
 しかし、まさかえなが恋だなんて。百年早い。相手は幼馴染の俊吾くんだと? けしからん。パパは認めん! なんてキツイ言葉は、甘やかしまくってきた娘に今更言えるわけが無く。散々聞いた末、応援してるよ、なんて言ってしまった深夜でした。えな。昔はパパと結婚するって言ってくれてたのに。大きくなってしまって。幼馴染と恋ってどこの少女マンガだよ全く、このっ。

 幼馴染。その単語に、根子と聖の顔が思い浮かびます。
 根子は小学校から大学まで同じでした。教員試験も一緒に受けて、今に至ります。
「教育大に行く? 光那が?」
「わはー。おれ子供好きだから、教師になりたいんだ。ちなみに世界史なー」
 そんな会話を高三の冬にしました。子供好きは意外と本当。それはともかく俺は、いつからいつまでこいつと居るんだろうと思う。妻が嫉妬してまーす。
 聖は大学が違ったから、細かいことは知らない。同窓会にも全然来ない。だいぶ前、本人に電話で聞いた話では、中央病院で医者をやっているらしい。多分今も。
 病院が休みの日は、家業を手伝っているらしい。八代がよく食パンを買いに来るとか言ってた。三木も常連客で、クロワッサンを買い占めるだとか。他にも、元WMの面子はよく来るようで・・・・・・って、何なんだお前らは。仲良しか。毎日同窓会か。俺も今度行こう。
 というか今朝、同窓会のお知らせ、ポストに投函するの忘れたな。帰りに、っと。

 うつらうつらと眠りに落ちて、山田は懐かしい夢を見ました。
「綾ちゃんは、なんで教師になったの?」
 進路に悩み始めた、高三の春先。廊下で偶然はちあわせた担任の京極に、山田は何となく聞きました。京極のことですから、なにか凄く壮大な答えを期待したのですが、
「深い理由はありません」
 相変わらずの無表情で、きっぱりと言われました。
「え? でもそんな、職ってテキトーに選ばないっしょ」
 あちこちをピンで留めた、茶髪でフサフサのオールバックをせわしなく整え、山田は聞きます。
 高校の頃の髪型バカだったなと、山田は思います。今は前髪を後ろに流した、ボリュームを押さえた短髪に、濃い茶色。落ち着いたものです。
「私は本来、銀行員を目指していました」
 京極は黒縁眼鏡をクイと上げ言いました。
「ギンコーイン。似合う」
 若き日の山田はポカンと口を開けます。京極は無表情で棒立ちです。
「しかしなれませんでした。なので念のために取っていた資格で、教員試験を受けたのです」
「先生になりたくてなったわけじゃないんだ」
 こげ茶のツリ目をパチクリとさせ、見た目だけはチャラ男の山田は言います。
「ですが今では、なってよかったと思いますよ」
 京極は表情を変えないまま、プログラム動作のように頷きました。
「百聞は一見に如かずってやつ?」
「そうですね。教え子が成長していく姿を見るのが嬉しいのです。もっとも私は、教師になってまだ三年ですから、見送った生徒は少ないのですが」
「綾ちゃんいま何歳」
「二十九」
 にじゅくと短く言ったところに、人柄が表れていました。
「うっそ意外! もっと若いかと。三十路間近じゃありませんか」
「はい。綾ちゃんなんて呼ばれる歳ではありません」
「え、あ、綾ちゃん呼び実は嫌だった? ごめん気づかなくて」
 京極は眼鏡の位置を直し、くすっと口角を上げました。
「いいえ。案外気に入っています」
 よく見ないと気づけないくらいの笑みでした。綾ちゃんと呼び出したのは、他でもない山田です。この三年間でどう広まっていったのか、今では多くの生徒が彼を綾ちゃんと呼びます。京極はすぐに感情のない顔に戻ってこう言いました。
「銀行員は、国民一人ひとりの人生に浅くかかわります。教師は生徒一人ひとりの人生に深くかかわります。私の夢は、形を変えて叶ったのですよ。生徒の人生に寄り添う。それが教師ではないでしょうか」
「俺もなりたいです」
 山田はつい言いました。
「俺も、綾ちゃん・・・・・・京極先生みたいな、かっこいい教師になりたいです!」
 全て勢いで言った山田に、
「今の山田君の成績では少し厳しいですね」
 京極は間髪入れずに返しました。まるで脳内にパソコンでもあって、山田の成績データが一瞬で呼び出されたかのようでした。
「ムリっすか」
「入試までは、あと一年あります」
 京極はムリだとは言いませんでした。なので勢いは決意に変わりました。
「綾ちゃん、俺頑張るよ」
 進路に悩み始めた、高三の春先。まだ一年ある――。
 ・・・・・・えな。パパは、受験生のとき、必死で勉強してたぞ。まあ中三のときは、内部進学だったから、エスカレーター式で行けたけど。えなは中三で、恋か。
「パパ、私好きな人が居てね。とっすんって知ってるよね。幼馴染の辰野俊吾」
 恋か。俺なんか、八代カワイーって叫んでた記憶しかない。いっそ笑えよ。初カノは今の奥さんだよ。学科の奴の紹介で、同じ大学の・・・・・・。やめよう、むなしい。
 中学の時は何してたかな。放送部で、光邦と一緒にお昼のラジオばっかりしてた。そのせいで昼休みは、聖が教室で一人だった。誘ってやったのに聖、放送部には入ってくれなかったから。「全校生徒に自分の声を聞かせるなんて」とか言って青ざめてた。
 でもある日、恐ろしいことが起こった。なにって、「毎日一人でご飯寂しくない?」って訊ねたとき、普段なら「別に」っていう鬼蛇が「最近は龍たちと一緒に食べてる」ってボソッと答えた時のこと。何があって友達になったのか分からない。今も分からない。

「ぎゃああっ」
 いきなり背中に雪玉を入れられ、山田は飛び起きました。
「何するんだよみっ、あれ? 光邦?」
 犯人と思った彼は居ませんでした。ちらと右を見ると、丹羽故登利が何食わぬ顔で、手をハンカチで拭いていました。
「・・・・・・・・・・・・」
 気にしないことにして、
「丹羽先生は、なんで教師になったんですか? それも国語の」
 代わりに興味が沸いたことを聞きました。
「あらあら。いきなり何です?」
 ハンカチを机に置き、丹羽は紫の和扇子を徐に取り出し、片手でバッと開きました。
「この国を愛しているから。それだけです」
 京なまりと意志の強い平安の笑顔が、その発言と行動によく似合い、かっこつけてるのが超かっこいい! なんか腹立つ!
「山田先生はどうしてです?」「え」「なんで先生になったんです?」
 照れたように、ああと頷き、山田は言いました。
「高校の頃に、憧れの先生が居てね。この人みたいになりたいと思ったんですよ」
「あらあら。それでなれましたか?」
「ははっ、全然」

 一年A組の、五時限目。
「雪合戦がしたいでござる!」
 ゆめこがわざわざ手をあげて言いました。
「だまらっしゃい! 質問タイムって言ったんだ。授業に関係あること以外、聞くの禁止」
 教壇に立つ理科教諭、名崎保子は、声を荒げました。
「じゃあ雪合戦という名の実験がしたいでござる」
 ここでゆめこのドヤ顔。名崎は天を仰いで、深いため息をつきます。
「アンタねー、高校生にもなって雪にはしゃぐんじゃないよ」
「はああいっ。せんせえ、澪はぁ、雪だるまがぁ、作りたいですぅ。きゃっぴるるん」
「黙れ弥乙。それが裏声なことは知っている」
「ひっど! 先生ひっど! 私は必死なんですよ! 萌えという地位の維持に」
 名崎は立ち上がった澪を出席簿で押さえつけ、はいはいと自分の耳を塞ぎます。
 その立ち振る舞いから、男らしい印象を受ける女性でした。スタイルの良い長身は常に勇ましく反り気味。ベリーショートの金髪(若干プリン)で、耳には明るい黄色のピアスが小さく光ります。真鍮ブチの眼鏡、キリリとした眉目。ぺたんこの胸、薬品のついた白衣。濃いメイクで皺を隠しに隠した、若作りきれない女教師。
「なあ、たもこ」
 黄緑色のファンタジックな瞳で、海が窓の外をボーっと見つめながら言います。
「おいコラ! 私の名前は、や・す・こ! アンタ元素に戻してやろうか!」
「どうでもいいんで外見てください」
「水穂海め・・・・・・」
 こめかみをひくつかせて、窓に近づく名崎。真っ白な校庭では高校生どころか、根子と山田と丹羽が、校庭中の雪をかき集めたような大きな雪玉を、楽しそうに転がしていました。三十四歳、三十四歳、三十六歳。ちなみに名崎は四十八歳。
「大人がはしゃいでますけど」
 と海が頬杖をついて呟きます。
「あの反面教師共は後で注意しとく。というかね水穂、アンタ今日はずっと外見てるけど何が楽しいの」
「ちょっと、初めて雪を見たんで」
「えっ? あー、そういえば転入生か。南の方から来た?」
「・・・・・・絵都・・・・・・じゃねえ、あー、じゃあ沖縄から来ました」
「じゃあって何だ。アンタ授業サボりたくて嘘ついてるだろう」
「いや、雪は初です、これは本当」
「これはってなんね! じゃあどっからが嘘たいね!」
「たもこ訛ってる」
「やすこ!」
 澪が噴出して笑いました。
「弥乙! 何が可笑しい!」
「なんでもないです」
 名崎は一つ舌打ちをしてから、大きな声で言いました。
「質問タイムは終わりだ。アンタら教科書開きな!」

 日本史を担当している五木鎌足は、おじいちゃん先生と陰で呼ばれていました。職員室では、静かにコーヒーをすする姿がよく見られます。背が低くて足の短い、日本人らしい体格。グレーのくたびれたスーツ。つまらないギャグを言い、元々盛り上がっていない教室を、よけいしらけさせるのが不本意ながら特技。
「雪が積もってまスノウ」
 とても静かな、その実態はほとんどが、作業か居眠りをしている授業。五木は咳払いをしてから、カツラと噂されている白髪を指差し、
「私の髪にも雪がこんなに。あ、元から真っ白でしたな、これは失敬」
 と抑揚のあまりない口調で言います。そして、
「さて、今日はテスト一日前ですし、自習にしますかな」
「よっしゃあああああ」「自習きたー!」
 本日イチバンの食いつき。教室はいきなりザワつきます。
「これ、自習は休憩とは違いますよ・・・・・・」
 霜月は窓の外の銀世界に釘付けになっていましたし、水無月は、雪の日のマインドをノートに描いてニヤニヤしていましたし、遥なんて窓際の生徒と席を替わってもらってまでして雪を堪能していましたし、その他にも集中力ゼロな連中ばかりの教室でしたが――とりあえず、自習の時間は始まりました。

 夕暮れ。一樹が、旅館のような家の入り口を潜ると、
「ししょおおおおう、やっと帰ってきたあああああ」
 と次郎の声で聞こえました。ドタドタと長い廊下を走ってきて、開口一番、
「お弟子がっ、三木さんがーっ!」
「怪我でもしたんかっ」
 一樹は、ただいまを言うのも忘れて、雪で濡れたコートを脱ぐのも忘れて、次郎を突き飛ばして奥のリビングへ駆けていきました。
「三木くんどないしたん!」
 勢いよく中に入ると、当の三木はピンピンしていて、片手逆立ちで歩いていました。自然にやっているけれど、これすごい芸当。なんのこと? と言いたげに三木は一樹を見ます。むしろ直一と舞良が畳に倒れこんでいました。
「一樹はん、わてもう疲れた」
 顔も上げずに言う直一の手には、クリネがリラックスボールのように持たれていました。
「きゅいうー」
 クリネの鳴き声も、疲れきっています。元気がとりえなはずの舞良が、
「オレなんて、しょせん非力な女なんだ・・・・・・」
 と嘆いていました。
「え? 何があったん?」
 次郎がリビングに顔を覗かせ、「聞いてくれよ」と一樹の肩に手を置きました。
「三木さんの運動能力が半端ない」
 一樹は安堵の溜息をついて、
「なんやー、そんなことで騒いでたんかいな」
 と笑顔を見せました。
「いやいやそんなことって」
「事故でもあったんか思って焦ったやないー」
「いやある意味、事故よりすごいから」
 三木が、逆立ちからブリッジに変え、そこから綺麗に脚力だけで立ち上がります。
「師匠、おかえり」
 と心なしか嬉しそうに言いました。
「うん、ただいまー」
「やばいだろ、三木さんやばいだろ」
「はいはい。で、直一と舞良ちゃんは、なんでそないに疲れてるん」
「オレだって、逆立ちからブリッジくらい・・・・・・出来・・・・・・本当は、出来っ」
「わての取り得が料理だけやと思いなさんなよ、空手黒帯なめんな」
 張り合っただけでした。直一さんは、意外と強いんだよ。

 ピンポン。不意にインターホンが鳴ります。直一が「へい」と返事だけはしたものの、もう動きとうない、と言いたげに倒れこんで、疲労の見える声で「次郎」と続けました。
 兄者の頼みとあらば! と玄関まで次郎が猛ダッシュして、
「ヘイ☆」
 と扉を開けるとそこに立っていたのは、
「お兄ちゃーん!」
 立っていたどころか、ぽふっとハグしてきた背の低い女の子。ふわふわと揺れる、横くくりの黒いポニーテール。ピンクの花柄ワンピース。まん丸な瞳。柔らかそうな頬。
「はーちゃんじゃまいかーっ!」
 次郎にハグする子なんて滅多に居ません。蹴る友人や弟ならたくさん居ますが。
「よく来たなあ! よーしよしよしよし」田舎のおっちゃんか次郎。
「うん。宇宙自転車が直ったら戻ってくるって、わたし約束してたもん。だからね、水無月のおうちに行くより先に、お兄ちゃんに会いに来たんだよ」
 何とも愛くるしい声と動きと容姿と話し方と、もう全て。
「そーかそーか! くっそおお、何日待ったと思ってるんだ!」
 涙ぐんで赤縁メガネを外し、次郎は目を腕でこすりました。
「んっとね、えっとね、十八日の朝から、十九日の夕方だから、じゅうきゅうひく・・・・・・」
 葉月は困った顔で上を向いて、指を折々しています。
「ばっかやろう! 会いたい人が居るときはな、一日を一日とは数えないんだよ!」
 カシャンッ。庭から、かすかな音が聞こえました。
「ララは適当に置いといたよぉー」
 と責任感のない声と共に、金髪碧眼の美少女が、外壁を曲がって現れます。
「だ、誰だ」
 次郎は身構えます。彼女は「06って呼ばれてるよぉ」と軽やかな笑い声を立てました。そして、次郎をビシッと指差し、蔑む、それ以外言い表しようのない笑顔でこう言いました。
「はじめまして! ロリコンでオタクでホモでウザキャラで迷子キャラなお兄ちゃんプギャー」
 ポカーンとする次郎を無視して、彼女は家に入っていきます。
「じゃあ、皆にも挨拶しに行こう葉月」「うんっ」「ちょ待てよ」
 その後の06の猫かぶりっぷりが、凄まじいものでした。いきなり大人しくなって、あまりの別人っぷりに、葉月は涙目になって恐れ、次郎は機嫌を損ねました。
「あいつ俺にホモとかロリコンとか言いやがったんだぜ。今は演技してるだけだ」
 と次郎が告げ口をするも、
「えー、06そんな子やないー」「悪いこと言うとは思えまへんけど」「うそはダメだぞ次郎っ」「ぴぴきゅー」
「いやほんとに言われたんだって!」
 洗脳されている。こいつら腹黒悪魔に洗脳されている。
「ところで三木さんはどこ行った?」
「帰りましたえ」
「早っ。ピンポンからプギャーの間に何が!」
「プギャー?」
「06に言われたんだよ!」
「えっ、ぼ、ボク言ってないよお!(自由の真似)」
「てめえええ・・・・・・」
「ごっ、ごめんなさい! わああ、じろにいがいじめてくるよー(引き続き自由の真似)」
「ふにゅう、06すごいねえ」
「だーもー! 兄者。兄者は俺の味方だよな」
「自由、元気かなあ」
「聞いて?」
 こんな感じで会話が弾んでいき、これまでのマインドも皆そうだった様に、二人はやっぱり泊まることになるのでした。
「水無月の家は明日の朝に行こう」
「ふにゅ、おっけー」
 重要事項すら後でいいやと思わせてしまう、地球の江藤家の魔力。

 恐ろしい事実を背負って、絵学生は帰路を辿ります。夕日が赤く燃えています。その事実とは勿論、
「雪やんじゃった・・・・・・」
 霜月の言った、そんな可愛らしいことではなく。
「海さん。明日から期末テストです。ヘルプミー!」
 澪の言ったこれ。
「るっせーな。俺は手を尽くしてやっただろが。てめーにアウストラロピテクスとアクロポリスの違いを教えるのに俺は全力を尽くした」
「ありがとうございました、まる」
「始まる前から燃え尽きてんじゃねーよ」
 世界史か、と遥が深いため息をつきました。
「聞きました? 根子先生がとんでもないテスト作ったって噂」
「ウチも聞いた。問題数二百だとか」
 霜月も遠い空を見て言いました。
「いややーっ、かんにんやーっ」
 水無月、澪、ゆめこが頭を抱えて身悶えします。
「うるせえよ三馬鹿」

 絵都学園の校庭には、巨大な雪だるまが鎮座していました。
「五木鎌足先生が完成しました」
 いい笑顔で、山田が額の汗をぬぐいます。
「わはー。傑作」「あらあら、そっくり」
「おれ達がんばったよねー」
「でも明日の朝には、溶けてしまうでしょうね」
「どうだろうなー、でかいし大丈夫だと思うぞ」
「やっぱりコーヒーカップ持たせたほうが、五木先生っぽかったかな」
「山田は完成してからそういうこと言うなよー」
「あらあら」
 職員室からその様子を見て、
「アンタ作られてるよ。後輩になめられてんじゃないか?」
 と名崎が立って窓枠に手をかけました。
「いやはや、像をこしらえてくれるなんて、有難いじゃありませんか」
 五木はブラックコーヒーをすすり、だいぶ溶けて、まだら模様になった校庭を見ます。
「さて、テストを印刷しますかな」「まだやってなかったの」「日本史は最終日ですぞ」
 西日が差し込んで、古い木造校舎を照らしています。

第七十四項「night⇒morning」

January 31 [Tue], 2012, 18:44
「んー、なんか寒いにゃー」
 そう呟き(ツイッター的な意味で)、パソコン画面から目を離したその二分後。
「雪いいいいいいいいいいいい!」
 身長210センチの細長い次郎が、両腕を高くあげ、歓喜しながら長い廊下を駆け抜けていました。その雪を、疎ましく思う人が、いま悲しんでいるのも知らずに。一人で。朝の五時から。家の者はまだ眠っています。広い庭は、真っ白に染まっています。深夜から降り始めたのであろう雪はまだ、ちらついています。
「いやー、早く目覚めて良かったぜよ☆ 降るよな! だよな寒いもんな、もう十二が――」
 ふと減速しました。廊下の柱にかかったカレンダーが目に入り、足を止めます。それの示す季節は晩夏。九月の綺麗な紅葉の写真、photo by かみかぜきいち。ため息をつき次郎は、三ヶ月分を丁寧に、ていねーいにちぎります。裏が白いから、後で落書き用の紙にするんだぜよ☆
「お前かわいそうになあ、長い間めくり忘れられて」
 と右手でカレンダーをポンと叩き、左手だけで三枚を器用にたたみながら、
「今日こそ、はーちゃんが帰ってきますように!」
 次郎は詣のように目を閉じて言いました。
「こんなに帰ってこないのでは、最後は神頼みしかない」
 そこに神はいない。すっと右手を離し、次郎は深く頷きました。カレンダーの神様の力で、はーちゃんはきっと今日帰ってくる! 家の左側の、温泉がある方の庭から、ドサッと激しい音が聞こえましたが、
「屋根から雪が落ちたんだろうな。いとをかし」
 次郎はムフーと笑いながら、呟きました(そのままの意味で)。
 弥乙家では、遥がその大人びた容姿からは想像も出来ないほど子供っぽくはしゃいで、
「起きてください雪です雪!」
 と騒ぎ立てていました。
「はうう、起きれるわけないでしょー、澪はテスト勉強で半徹夜なのですよ、半徹夜ですよ」
「ハン哲也なんて知りません起きてください。というか海どこいったか知りません?」
「海さんなら例の寝相で行方不明ですよ。澪は二度寝する! ましゅらお!」
「ましゅらおってなんですか・・・・・・?」
「はんっ、おやすみだよ。非ツイッター住民めが、むにゃむにゃ」
 そのツイッターでは今、ゆめこが「雪でござる!地面が滑るので店長に注意ネ( ^・ェ・^)/」「タイプミスでござるΣ(☆ェ◎^;)店長じゃなくて転倒でござる///」と連投していました。注意不足はお前だ。
 水無月家では、水無月と霜月の二人が、
「寒いと思ったら雪かあ。うう、さむい。あったかいものほしい」
「分かった分かった、後でコーンスープ温めたるから」
「霜月母さんありがとうっ」
「母さん言うな!」
 と会話をしながら絵都学園のベージュの制服に袖を通しました。期末テスト一日前という、切羽詰った日。自習になることを、ほぼ生徒全員が祈る日。十二月十九日の、朝でした。


 イギリスはまだ十八日の夜でした。06が広げて持つ四枚のトランプから、スペードの六を抜き取り、
「こわくないの?」
 と自由が重々しく聞きました。二枚を場に捨てます。
「なに調子乗ってんのぉ? 確かにジョーカーはこっちにあるけど、勝負はこれからだよ」
 06は生意気に目と口をつって笑い、小さな丸机を挟んで対面に座る自由の手札から、ハートの三を引きました。そして、二枚を捨てます。手元にはジョーカーと、クローバーの八だけが残ります。
「あ、あの、ごめんなさい、こわくないのって、ババ抜きのことじゃなくて・・・・・・」
 と自由が手を止めました。
「なに?」
「う、うん、あのね。マインドには過去がないって、さっきの電話でモコに聞いたんだ。だから、その、こわくないのかなあって、思ったんだ」
 申し訳なさそうに自由は言います。06は一瞬だけ目を丸くしてから頬杖をつき、黒々とした笑みを浮かべました。腰よりも長い金髪が動いた腕に絡まります。トーンを落とし、言ってやります。
「せっかく普通の女の子の気分だったのに。なんで過去がないって、思い出させてくれたのかなぁ」
「ごっごめんなさい! そうだよね、ごめんなさい僕、無神経でごめんなさい」
 あーあ、焦ってる焦ってる、と06は声に出さずに、寂しそうな笑顔で自由を眺めていました。ちなみに葉月はといえば、まだ八時なのに布団に沈み込んで眠っていました。柔らかいベッドで跳ねているうちに、絵都にクマゴローさんを置いてきたことを思い出してしまったのです。あいたい、あいたいと言いながら泣き疲れて、そのままパタリと。相手がクマのぬいぐるみでなければ、人間の彼氏ならば、十六歳の乙女らしかったのに。クマゴローさんか、やれやれ。
 しばらく二人とも俯く時間が続いてから、
「僕のお母さん、十八年前に亡くなったんだ」
 と自由が口を開きました。
「これ以上空気重くしないでよぉー! きゃはは」
「ごめんなさい。でも、聞いて」
 琥珀色の瞳に迫られ、06はポカンと間抜けな表情になりました。自由は不安げに言います。
「お母さんが十八年前に死んだなら、計算が合わない。僕は今十六歳なんだ。小学生の頃に気づいて、とーと・・・・・・お父さんに、僕の本当の親は誰なのって聞いたんだ」
 昔から、一人で勝手に出かけてしまう困った子でした。より遠くへ、未知を探しに。それが高じて、イギリス留学も起こったのですが、それは別の話。二歳のときもふらっと居なくなりました。いつもと違ってなかなか帰らないので一樹と直一、江藤家の面々――この時まだ舞良は居ません――も探しに行き、五時間後。カンタが「見つかった、が」と神妙な顔で抱いて戻ってきたのは、0歳の自由でした。
「ごまかすための作り話に決まってるよー!」
 06が大仰に笑いを含んだ声で言い、欧米人のように肩を少し上げます。自由は、引きつった笑みを浮かべました。泣きそうでしたが、堪えました。
「そう思うよね、僕も初めはそう思ったよ。普段は正直なとーとが嘘つくんだから、複雑な事情があるのかな、もう深く追求するのはやめようって、思ったんだぁ。でもマインドの話を聞いて、こわくなった。とーとはやっぱり、嘘なんかついてない。あの話は本当で、僕は二歳の神凪自由に上書きされた、0歳の偽者だったんだ。僕も君たちと同じマインドなんだ。・・・・・・ごめんなさい、同じなんて失礼だよね。一人目を消して生まれる、上書型と一緒になんてされたくないよね、ごめんなさい。君は、人間型なんだね」
 自由は言いながら、06の手札からクローバーの八をそっと引きました。
「また負けた」
 小さく呟いて06は微笑み、ジョーカーを机に置きました。
「ごめんなさい」
 場にハートの八とクローバーの八が捨てられました。
「自由って、謝らなくて良いときも謝るよね。正直むかつくなぁ」
 06がやはり笑顔で、しかし怖い笑顔で言いました。
「え、う、そうかな、ごめんなさい」
「ほらまた」
「ひゃ! ご、ごめ、じゃなくって、ううう、ごめんなさい」
 もう救いようがない。06はからかうような溜め息をついてから、またもや黒い笑みを浮かべました。そして、
「♪だ・け・ど、短所は長所! 嫌いじゃないわ(HEY)オーイエスブラック! 乱れ撃ち☆」
「それは・・・・・・! ブルガリ5の、ビターブラックのキャラソン『乱射☆デイズ〜黒は染まらない〜』!」
 急にくいついた自由を見て、06は、
「きゃはははははははビンゴ! きゃははっ自由ってオタクなんだぁーっ!」
 手を叩いて笑いました。今までのシリアスな空気はどこへやら。
「はっ! い、いやあの、ご、ごめ、ちがうよ! じろにいの影響で少しだけ、少しだけだよ!」
「ぬるぽ」「ガッ」「・・・・・・・・・・・・」
 ニタアと人の悪い顔をする06と、頭を抱える自由。
「そ、そういう06こそ何で、こういう言葉知ってるの?」
「んん? 十六年分の記憶に入ってただけぇ。06様はね、人の秘密を暴くのが大好きなんだ」
 とか何とか言って、金髪碧眼のお嬢さんは、短パンのポケットから手の平サイズのノートを取り出しました。深い赤色の表紙に「丸秘」と浮き彫りで書かれていて重厚そうですが、中身はシンプルな横線ノート。いつどこで手に入れたのかは不明。06は小さなシャーペンを取り出し、楽しそうに書き込みます。
「自由はオタクっと。きゃははっ、このネタで今後どういじめてあげよっかな」
「やめてよぉ・・・・・・!」
 自由が言っても聞く耳持たずで、06はキャッキャと笑っています。澄んだ湖のような美しい青の瞳を持ち、シャギーショートから尾が何本も生えたような個性的でさらさらの腰まで長い金髪を持つ、穢れの無い容姿のマインドの実態は――ヤンデレボクっ娘美少女という王道でした。自由がうな垂れ、
「さっきまでシリアス展開だったのに、なんでこうなっちゃったの?」
 と小さく呟きました。06が常にキャッキャしていることは、もう重々分かりましたが、ここまでとは。実は葉月のほうが色々わきまえてるのではないか? などと思っていると、丸秘ノートをしまい、06は真剣な顔で言いました。
「ごめんね。こういう性格で実体化されたから、真面目な話って苦手だ。でもこの性格気に入ってるよ。世界に偽者なんて存在しない。上書きだろうと自由は自由だよ。過去がなくても、ボクはボクだよ。だから今を生きる」
 言い切って06は、きゃはっと飴玉が転がるような笑い声を上げました。ハートの八と、クローバーの八と、ジョーカー。机の上のトランプをまとめながら自由は、
「そうだよね。僕も一人目の僕の分まで生きるよ。お母さんの分も、思いっきり生きるよ」
 涙を溜めた意志の強い瞳で06を見ました。上書きされて消えてしまった空白の二年。でも空白ではない二年。たまに聞こえる、優しい空耳。じゆうって、みゆとも読めるらしいのよ。
 ベッドの上で葉月が「ふにゅうう、会いたかったよ」と幸せそうに寝言を言い、転がりました。


 十二月十九日、イギリスの朝。宇宙自転車のララにまたがり、
「またね、で良いよね。日本に帰ったら、絵都学園に通うんだろ?」
 と06はブイサインを作りました。フランス人形のように愛らしい笑顔ですが、もはや、来たらいじめてやんよ、の宣告にしか見えない自由。
「ふにゅう、わたし、自由と同じ高校に通うの楽しみにしてるよー!」
「うん。またね」
 葉月まじ天使。
(See you.Thank you for your kindness.)
 何故か英語で言ってくれたララ。
「No probrem.By.」
 と自由は答えララの前かごをポンとなでました。自由に手を振り、06は「おりゃ!」とこぎ始め、葉月は「ふにゃあ!」はっしと背中につかまります。一瞬で、ララは高く舞い上がります。メートルの次元を遙かに超えた飛翔でした。そして二人は、今度こそと意気込んで、
「みーなづっきっ、みーなづっきっ、みーなづっきっ、みーなづき! みーなづき! 水無月! 水無月! 水無月! 水無月! フウー!」
(ライブ会場と認識。宇宙自転車の点滅モードを使用しますか)
 いきなりララが言いました。
「ふにゅ? なんか間違ってるけど、楽しそうだから使いたい」
 了解、と高く済んだ機械音声が言うと同時に、青と黄色にララがちかちかと点滅します。遠くなっていく光と声。朝焼けに重なる銀色の自転車。
「じゃあね、フリーダムぅ」
 06のいたずらっぽい声が高い空から聞こえました。
「フリーダムって僕のこと?」
 自由は大声で言いましたが、
「そう」
 かききえるような叫び声が短く返っただけでした。
「ごめん、聞こえなーい!」
 大空に手をふり声を張る、その自由の明るい笑顔は、地球上で一番遠い場所を見つめているような、魂だけ未来に旅をしているような――。二人を乗せたララは、大きな空の点になり、視界から消えていきました。昇ったばかりの、鮮やかで眩しい太陽。冬特有の、冷たい風。蔦の絡まった、ステイ先の古き良き家を背後に、
「フリーダムかあ・・・・・・」
 自由は猫柳色の毛先を指先でくるんと回し、照れたような笑みで呟きました。

第七十三項「my lover」

December 19 [Mon], 2011, 23:48
 風の冷たい、曇り空の朝でした。広い、冬の枯れてしまった芝生に、一樹だけが立っています。地平線まで届く銀世界。十八年前の今日にも、雪が降っていたので、一樹は苦笑して天を仰ぎました。目の前には、セコイアの若木が一本。その小さな大樹の肌を、親指でそっとなぞり、表情を曇らせます。
「・・・・・・美優」
それは十八年前に亡くなった、妻の名前。少し成長した木は、一樹より数センチ小さくて、いま、記憶にある彼女と同じくらい。根元には神凪美優の墓碑が、寂しく佇んでいました。
――セコイアを、知ってる?
懐かしい声が、脳裏で蘇ります。病室の白いベッドから、窓の外の紅葉した庭園を眺めつつ。
――天に向かって、まっすぐまっすぐ伸びる木よ。神様に一番近い木。
そして美優は、大きくなったお腹をさすり、微笑んで言うのです。
――直一って名前に、しようとおもう。
雪がハラハラと、触れた樹の針葉から音を立てて落ちました。それが彼女の、笑い声に感じて。そんなことはあり得ないのに。
(なあ、美優)
微笑んだのに、涙がこぼれました。
「堪忍。もう十八年も経つのに・・・・・・、わいはまだ引きずってる」
声が上ずらないのは、静かな涙だからでしょう。

神凪一樹が、小川美優と出会ったのは、大学生の頃でした。同じ写真サークルで、同じ年で、好きな写真が似ていて、二人はすぐに仲良くなりました。
その頃の一樹は、撮ったものをひたすら地道に、あちこちで配ったり、時には売ったりしていました。早くカメラマンとして認められたい。サークル内、学祭での物販、地域のイベント。無断借地で露店商をして警察に世話になり、フリーマーケットで写真を売って注意を受け、良い写真を撮るために無茶をして怪我を負い・・・・・・。
そんな駆け出しの彼を、美優は「一流」と称しました。皮肉かいな、と尋ねれば、
「だって良い写真だもの。すぐ有名になる」
彼女は未来において、なりますように、とは言わない質でした。
そのうち一樹の写真は、口コミを伝って評判になり、美優の言葉は少しずつ事実になりました。
出版社《白い鳥》に誘われて、初の写真集の出版が決まったのは、二年生の夏の日――
「私、あなたの名前を思いついた」
美優が唐突に言いました。製本の準備が始まったばかりの、初夏のこと。構内の一番高い屋上から、沈む夕日を黒い一眼に写しながら、
「名前?」
一樹は問います。
「あなたが、本に載せる名前。考えてみたの」
美優は前を向いたまま告げました。それからそっと左を見て、真剣な表情でポツリと呟きます。
「かみかぜきいち。どうかしら」
一樹はレンズから目を離し、つい笑ってしまいました。
「ちょっと。笑うところじゃないでしょう」
と美優は、不機嫌な顔。二人の視線が、自然に優しく合いました。
「せやかて」
手品の種明かしをするような気持ちで、
「カメラマンは皆、本名使いますやろ」
一樹は笑いました。 美優はハッとして、長いウェーブの黒髪を、指先でいじります。
「言われてみればそうだわ。聞かなかったことにして」
夕日のせいか、頬が赤く見えました。
「使うよ」
と一樹。
「せっかく美優が考えてくれたさかい、使うよ」
爽やかで優しい、琥珀色の微笑み。夕陽が二人を包みました。どのくらい、そのまま時が止まったでしょうか。いきなり、
「神凪美優。どうやろか」
可笑しいくらいに真面目な顔で、一樹が言いました。
「それってプロポーズ?」
嬉しそうに、くすりと美優が聞き返します。
「・・・・・・せやね」
と一樹は照れて笑いました。見つめあっているのが気恥ずかしく、自然な仕草でレンズを覗き目をそらします。
美優も視線を、沈みゆく夕陽に向けてしまいましたが、しかし――
「使うよ」
答えは返りました。なめらかで優しい声。彼女はきっと、微笑んでいるのでしょう。
黒い一眼だけが、その幸せな光景を眺めていました。


終わりを考えたことなど、無かったのに。
「・・・・・・私、セコイアになりたい。・・・・・・樹木葬が良い・・・・・・」
病院の白いベッドに横たわった彼女が、わざと苦しげに言いました。
「美優。不吉な演技せんといて」
一樹は苦笑して言いました。腰を上げ、ベッドに座った美優は、
「ごめんなさい。暇なのよ」
と笑います。一樹は少し呆れて、言いました。
「緊張感ないなあ。予定日が近いのに」
「きっと慣れたせいよ。産むのは初めてじゃないもの・・・・・・直一は元気?」
「うん。明後日から冬休みやて。学校休みになんの嫌やーて言うてた」
「ふふ、さすが一年生。まだ学校が大好きなのね」
「まだって」
笑い声の耐えない毎日。四人家族になって、今よりずっと幸せになる気がしていました。不吉な話は、全部冗談で。死なんて、遠いどこかの話で。終わりを考えたことなど、無かったのに。
妊婦が出産で死ぬことは、0%で無いことは事実でしたが、多くはありません。
それなのに。遠いどこかは、此処でした。
中年の、ふくよかで優しげな医師が、産声を上げない新生児を、死にそうな顔で揺すっています。
若いナースが、様々な液体で手や顔を汚したまま土下座をしています。そして、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
何度も繰り返される謝罪。一樹は唐突に失った命に、今までの人生でしたこともない真っ白な表情で立ち尽くしていました。
眠っているのかと思うほど、妻の表情は穏やかでした。まだ七歳の息子が、分からないまま「お母さん、お母さん」と呼びかけていました。若いナースが土下座をしながら、延々と謝っていました。
「私が、私のせいで神凪さん・・・・・・、神凪さんっ・・・・・・ごめ、なさい、ごめんなさい、神凪さんごめんなさい――」
彼女は、美優を指すのか、一樹を指すのか分からない「神凪さん」を連呼し続けました。
《出産中の脳出血による死亡》
それは、どうしようもないことで、医師の責任ではなくて。
「・・・・・・顔を上げてつかあさい。あんさんは、何も悪うないんやさかい・・・・・・」
無表情で、抑揚の無い話し方になってしまったことを、気にする余地はありませんでした。彼女の謝罪は、一向に止みませんでした。
「お父さん。お母さんは眠ってはるん?」
と困ったように、優しい長男が問います。もう温まることはない、冷え性の美優の手を握っています。違うとは、残酷すぎて言えませんでした。
「せやなあ」
やはり抑揚の無い声でした。お父さんと言う響きに、自分と美優の夫婦を思い、一樹はぐっとのどが絞まった心地がしました。きっとこれからも、呼ばれる度に、幸せだった日々を思い出す。優しい、なめらかな声を。さっぱりした、心地良い笑顔を。風に揺れる黒いウェーブを。どこか哲学的な、栗色の丸い瞳を。
「もう美優は居らんのに、わいはお父さんやねんなぁ・・・・・・」
笑って冗談のように言ったはずの独り言は、全く笑えていなくて、やけに本気じみて伝わりました。それを聞いて直一は、美優がもう起きないことを悟ったのでしょう。しかしそれが「死」であることを、彼は知っていたでしょうか。間があってから、
「一樹はん」
直一は聞こえないほどに、改めた呼び名を小さく呟きました。
若いナースは今だ地面に臥せったまま、嗚咽だらけの「ごめんなさい」を何度も何度も漏らしていました。息の詰まるような空間。謝罪だけが紡がれる中、おぎゃあ、と産声が響きました。医師の安堵した呻きが聞こえました。
(美優を殺して、生まれてきた)
一瞬、醜い考えが浮かんだのを、一樹はぎゅっと目を瞑り、暗闇に閉じ込めます。汗だくになった医師が、
「元気な男の子ですよ」
と虚ろな目で、潰れたゆで卵のような、苦しい笑い方をして、赤ん坊を一樹に差し出しました。普段ならばこの医師は、もっと穏やかに、良い笑い方をするはずの、ふくよかなおじさんでした。不幸と幸が横並びになって、その場にいた全員の心を、あちこちに引っ張りました。医師はわざと、祝辞を省きました。慣れた手つきで一樹は赤子を抱きます。皮肉にも、妻によく似ていました。
「・・・・・・美優」
次男を妊娠して間もない頃のことでした。小さなアパートで洗濯をたたみながら、美優が言ったことがありました。
――じゆうって、みゆとも読めるらしいのよ。
どこか遠くを見て微笑む横顔。地球上で一番遠い場所を見つめているような、魂だけ未来に旅をしているような、そんな透明感のある表情でした。それは、どんなつもりで言ったのか。
小さな命は、始めてみる世界に目をしぱたたかせて、大声で泣いていました。
「・・・・・・自由みゆ
早朝五時ごろのことでした。大阪は珍しく冷え込んだ日で、雪が数ミリ降り積もっていました。
十二月十九日、妻の命日。そして、“一人目の自由”の誕生日。

君のセコイアの樹。
雪が佇む一樹の髪を、容赦なく濡らしましたが、彼にとっては、今はただ、全てどうでもいいことでした。
(一年に一度くらい、想って泣くことを許してつかあさい。堪忍、堪忍な・・・・・・)
黒い一眼は、今も愛用しています。

第七十二項「ring a bell」

November 03 [Thu], 2011, 17:01
 ・・・・・・困るからっ!
鈴は携帯を見て思いました。「新着メール二件?」と思って携帯開いたらこれだよ。そんな、恋愛経験ゼロの私に、恋愛相談のメール止めてっ! しかも当事者二人から来たら本当に困るから。恋愛マスターとか、なんで? 私彼氏出来たことないよ、初恋もまだだから、本当に。なんで? なんでなんでなんで?

――――――――――
From えなちゃん
Sub (non title)
私、今日とっすんに告白したんだ。
ごめんね。言ってなかったけど私、実はとっすんのこと好きでね。
でもいきなり言ったから驚ろかせちゃった。
十字路で鈴ちゃんと別れて、とっすんと二人になったときに言ったんだけど、冗談って流されちゃってね。
だって幼なじみが 帰り道にいきなり告白だよ?
びっくりだよ。
でも だってね だってね 中三だよ?
冬休み入っちゃうよ、年開けたら受験だよ?
私バカだから、同じ高校は行けないの確実だし!
なんかとっすん、最近勉強頑張ってるし!
今しか言えないよ!
でもとっすん「どうした?」とか言ってね。無駄に心配した顔でね。
冗談だろうって 苦笑いして。
ふふ おっかしい。
いつも一緒にふざけてるもん。冗談に聞こえるよね。
うん冗談。なんて言っちゃった 私。
本気だったのにね。あーバカだー、私ー。
ねえ鈴ちゃん、私バカだねー。もう一回好きって言うべきかなあ?
ごめんね
恋愛相談なんて出来るの鈴ちゃんだけなの!
お願いします、恋愛マスター!
――――――――――
From 辰野くん
Sub (non title)
こんな深夜にごめん。
なあ会長。ズバッと言う。今日えなに告白された。
けど、冗談だって。
不意打ちで しかも冗談とか酷くない?
えなの奴たち悪いって。
俺ちょっと期待しました!←これで察して
本気だったらいいなあとか。思ってました。
冗談かよ。
まあそうだよなー、幼なじみだし。えなだし。
期待した俺がバカでした!
でも会長俺どうしよー・・・・・・
冗談だろうって自分で聞いといてさー、冗談かよって返して、会話終わっちゃったよ
バカだ俺
なあ会長。
俺は
どうしたらいいかな?
――――――――――

鈴は前メール次メールで、二通を何度も見比べます。
・・・・・・わ、私は。えなちゃんが辰野くん好きとか知らなかったし、辰野くんがえなちゃん好きとかも知らなかったし、仲が良いとは思ってたけど、幼なじみとか初耳だし、ど、どうしようどうしよう、なんて返信しよう。
鈴は、新と鐘彦の座っているソファーに、立ったままくたっと凭れました。二人が見ているテレビは、ニュースを映しています。
「好きって気持ちは、どうやったら伝わるのかな・・・・・・」
「は!?」
「鈴まさか恋」
バッと振り向く二人。
「えっ、あっ違う、ごめん何でもない!」
「ん?」
「鈴・・・・・・?」
うーん。えなちゃんのメールを辰野くんに転送すれば手っ取り早・・・・・・って、だめだめだめ! 私ってば何考えてるの! 落ち着いて落ち着いてー。
鈴は一度、深呼吸をしてから。新規作成を、開きました。

――――――――――
To ゆめこ先輩
Sub お久しぶりです。
こんばんは。八代鈴です。
ちょっと恋愛相談があって・・・・・・、夜遅くすみません!
私のことじゃないんですけど、友達が悩んでいて、私はどうしたらいいか分からなくて・・・・・・
今、お時間大丈夫ですか?
――――――――――
From ゆめこ先輩
Sub (+゜*QДQ*゜+)
すず嬢ううううううううう!!どうしたでござるか!?ц(゜Θ。)ц
ユメちゃん明後日から期末テストでござるが、構わん←
今日も遊園地行ってたでござるよwwwww厳密には既に昨日な件wwwwww
したらば長くなりそうだから、続きはwebで聞くヨロシ?(/`☆ω☆´)/
ゆめこのサイト†SecretRoom†のチャットで待っとくでござるよ(●^ε^●)/
――――――――――

携帯を持ったまま、
「ごめんね。ちょっとパソコンしてくる。大事な用事なの」
と鈴は廊下に向かいました。
「え? もう一時だよ。明日にしなさい」
「大事な用事って言ってんだろ!」
強く言い捨てて、鈴は二階へ走り去りました。
ぽかーんと見送る鐘彦。
「やだ鈴ちゃん反抗期到来?」
新がポツリと言いました。

EnaYamada 寝れないよ… (AM1:30)
EnaYamada 相談したくて、パパを起こしちゃった。ごめんねパパ!聞いてくれてありがと、だいすきっ! (AM3:30)
wm30_312 世界史ワークで徹夜する予定が、落書きタイムになってる弥乙ですこんばんは←双子がイケメソすぎるのが悪い← (AM3:35)
ymk801 悩める乙女でござるなぁ… (AM3:48)
EnaYamada @ymk801 ええ〜っ!なんでござる先輩が知ってるんですか? (AM4:00)
ymk801 @EnaYamada ん?えな嬢のこととは言ってないでござるよ?┐(・ω・)┌ (AM4:02)
EnaYamada @ymk801 ふああああ本当だ//////私のばかばか! (AM4:05)
J_88mind 目覚めちまったぜよ☆ヒマだー! (AM4:38)
wm30_312 海と遥の寝顔萌え… (AM4:38)
J_88mind @wm30_312 澪ちゃん!!写メ送ってくれ!!兄者の寝顔送ってあげるから!! (AM4:43)
wm30_312 @J_88mind のった (AM4:44)
ymk801 寝オチされたでござるよー(笑) (AM4:46)
wm30_312 @ymk801 寝オチ?ゆめこ何してたの? (AM4:50)
ymk801 @wm30_312 すず嬢とチャット (AM4:51)
wm30_312 @ymk801 えwテスト勉強はw (AM5:03)
ymk801 @wm30_312 してないでござるキリッ (AM5:03)
wm30_312 @ymk801 まあ私も人のこと言えんくらいにはヤバい(( (AM5:06)
wm30_312 仮眠します。おやすみなさいませだよ。ませだお。ますだお。ますらお?ましゅらお?……よし、これから弥乙のおやすみなさいは「ましゅらお」な。 (AM5:06)
ymk801 @wm30_312 ましゅらおでござる(*φωφ*)ノシ (AM5:10)
J_88mind @wm30_312 おう!ましゅらお☆ (AM5:30)

朝日が、冬の空気をパリンと割って。
「は・・・・・・寝ちゃってた」
鈴はパソコンの前で、目を覚ましました。肩にかかった、暖かい毛布。
画面に浮かぶ、長い長い会話の最後に。
> すず嬢の言葉で
> 答えれば
> いいんでござるよ

――――――――――
To えなちゃん
Sub RE:
昨日、返信しなくてごめんね。
どうしたらいいか、すごく考えちゃった。
私は、もう一回言った方が良いと思った。
気持ちに嘘をつくのは、苦しいでしょ?
えなちゃん、
応援してるよ!
――――――――――
To 辰野くん
Sub RE:
しっかりしなさい!
両思いなんだろ。
辰野くんから告白し直したらどうなの。
うじうじ悩むの、らしくないよ。
ガンバレ!
――――――――――

・・・・・・うん。私、男にはちょっと厳しい。
もう、十二月十九日。寒い早朝。
壁にかかった、来年は着ない制服。受験生の肩書きも、もうすぐ、外れて。
少しずつ、少しずつ、少しずつ、移り変わっていくのでしょう。

第七十一項「I'm home.」

April 17 [Sun], 2011, 23:53
 蜜柑色の、丸々と太った太陽が、水平線に揺れて沈んでゆきます。
遠くなくて、近くもない、どこかのチャペルの鐘が鳴った音がしました。
枯れきった茶色の蔦が屋根を覆う、黄土色のアンティークショップが、夕焼けに照らされて、狭い路地裏に佇んでいます。
その店の前の小麦色の長ベンチに、二人の少女が深くうつむいて腰かけていました。
その二人に、少年が近づいて、
「あの、」
と声をかけました。ボブに近い長さの、猫柳色の髪に、琥珀色のタレ目をもつその少年は、
「いきなりごめんなさい。文月葉月さんと、06さんですか?」
と日本語で続けました。彼の右手には、通話中なのか、開きっぱなしの、メタルブラックの携帯が握られています。彼の名は、神凪自由。
少女達は、顔をあげます。
「・・・・・・」
数秒の間の後。
「ふにゃあああーっ!?」
ふわりとした黒髪のサイドテールが印象的な、童顔の少女が飛び上がりました。
「06っ06っ!知らない人がわたしたちを知ってるよう!?」
と言って、隣に座る金髪碧眼の少女に、涙目でしがみつきます。
「えっ、」
自由は驚きましたが、目の前の少女二人は、あろうことか、疑いの眼差し。
「・・・・・・そうか、分かった。葉月、これは新手の誘拐だ。同年代で、同じ言葉を話す人だからと安心させてから、連れていく。そうゆう作戦だよ。裏に大人が居る。ボクらを騙す気だ」
「ふにゅ、そ、そうなの!? わたし・・・・・・ついていかない!ついていかないもん!」
葉月と呼ばれた方が、キッと目を吊り上げました。06は、楽しそうに、少年に向かって黒い笑みを浮かべます。
「きゃはは(訳:困れ)」
「な・・・・・・。」
この金髪、楽しんでやがる!?
「違います!僕は伝言を伝えに来ただけ!」
と自由。
「ふにゃ・・・・・・悪い人じゃないみたいだよ?」
と葉月は言いました。
「悪い人は皆こう言うんだよぉ」
「でも優しそうな人だよ?きっと嘘つかないよ」
「葉月ぃー、簡単に人を信じすぎ。」
「ふにゃう・・・・・・」
着地の見えない会話。自由は溜め息をつき、開きっぱなしだった携帯を、
「出て。事情分かるから」
とぶっきらぼうに、二人の間に突き出しました。
「じーじょーうぅ?」
と06が笑いながら言って受け取ったのと、その携帯から、モコの声が聞こえてきたのが、同時でした。
「バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ・・・・・・、」
機械的で高い、凛としたボイスで。
「イギリスよ、バカー!」

――・・・・・・

八代家の、ドールハウスにありそうなキャラメル色の扉を、新が開きます。
「遅くなってごめぇん」
と裏声を張る姿は、女装なので今は違和感なし。
奥のリビングから真っ先に飛び出して来たのは、
「おかえりーっ」
「ぴぃー!」
舞良とクリネでした。
「ただいまー!」
「ただいま」
と返したのは、次郎と直一でした。
「ここは江藤家か?」
八代家です。
遅れて鈴が、スリッパをパタパタ鳴らしながら現れて、
「すみません!わざわざ兄を送って頂いて。ありがとうございます」
と言い、深々礼をしました。
「こちらこそ、今日は舞良ちゃんとクリネがおしかけてしもて、すんまへん」
と直一が、軽く首を傾げるような大人しい礼を返しました。
「いえ、気にしてません。舞良さん、普段から急に来ますから!」
「・・・・・・。ほんまに、申し訳のうございます」
新が、
「ね、お兄ちゃんは?」
と口を挟みました。
「鐘兄なら入浴中」
「なんだとー!」
食いついたのは、次郎。
「それは覗きに行くしか無ぐえぶっ ぎゃああああ舞良が腹殴ったー!」
「あと何発必要だっ!」
「Zero(発音:じーろう)」
「名前は聞いてないっ」
右回し蹴り!
「がはっ!」
直一が、
「あきまへんえ」
と舞良の肩を掴みました。
「だって次郎が!」
「冗談だ!舞良、冗談にマジギレしないでくれ!」
「へえへえ。これ以上迷惑かける前に帰りまひょ」
「ぴ!」
皆が去ってから、
「賑やかで良いね、新兄の友達」
と鈴が笑いました。
「うるさいだけだよ」
と、新はあながち嫌でもなさそうに、微笑みました。

――・・・・・・

少ない外灯だけが頼りの、河川敷。
背負った細い身体から、ひやりと体温が伝わります。
「三木くん。なんで、河に入ったりしたん」
と一樹は、独り言のように言いました。
「竜が」
と震えた声が、背中から返ります。
「竜が?」
「対岸から呼んでた」
それは、幻聴――。
「会いに行こうとした?」
「・・・・・・ん・・・・・・」
背負われたまま、三木はころんと頷きます。濡れた毛先が、束になって揺れました。
「あほ」
防波堤を削って作られた、あちこち割れたコンクリートの階段を、一樹は登って行きます。
「師匠」
と何か言いたげに、三木が呼びました。しかし、台詞は続きませんでした。
一樹は、首を軽く後ろに向けて、ようやく、いつものように微笑んで、言いました。
「引き返して良かった」
一樹が、河に人影を認めたとき、三木は虚ろな目で、その濁流を渡っていました。
対岸の竜に会いに行く。内容は、入水自殺に変わらない。
「引き返して良かった」
一樹は、重ねて言いました。
十字路を右に曲がり、直線の百メートルほど続く道に出ます。はるか前に見える、料亭のような江藤家には、灯りがついていました。

――・・・・・・

「ふにゅうー!ベッドふかふかー!」
「きゃははっ、こんなに沈むよ!」
葉月と06が、ぴょんぴょんと自由のベッドで跳ねています。
「二人ともちょっと聞いて」
と、自由が言いました。
「ふにゅ?」
「はーい」
「――いいですか?もう遅いから、静かにしてください。で、二人とも今日は泊まって。そのベッドなら使っていいです。あと、僕のホストファミリーには、二人のことはさっき説明してきました。帰るのは明日の朝。Okey?」
「おーけー」
二人は答えて、またベッドをぴょんぴょん跳ねだしました。
「ってことは明日、水無月に会えるんだね、06!」
「やーった!ようやくようやくぅ!」
「だから静かにしろと・・・・・・」

――・・・・・・

「ただいまー」
と一樹がリビングに顔を覗かせました。
おかえり、と言おうと一同は口を開けかけましたが、見開かれたのは目の方でした。直後、次郎が叫びました。
「ウワアアアアアアア三木さん何があったんですかああああ!! びしょびしょじゃないっすかああああああ!!」
怒濤の一日は、終わりまで怒濤のまま――・・・・・・。
日本は今日も、日付変更線を、音も経てずに越しました。

第七十項「Look before you leap.」

February 27 [Sun], 2011, 23:49
 冷えきった漆黒の空。黄金の動かない半月。星屑の舞踏会。深夜、絵都学園の職員室には、たった二人。
「んーっ、終わったー」
根子は大きく伸びをして、言いました。
「山田ー、これ凄いぞー。おれの作った世界史テスト、問題数が百四十で、二百点満点だよ。傑作傑作。わはー」
と意地悪に言いながら、椅子を回し、後ろを見ます。幼なじみは、まだキーボードを叩いていました。
「山田?テスト作りか?」
と聞くと、山田はこう答えました。
「ううん。WM校の同窓会・・・・・・やろうと思って。それの招待状だよ。光邦、暇になったなら手伝ってくれる?」
言いながらカタタタタタと絶技でキーボードを打つ山田。
「わはー、そっか。じゃあおれは先に帰るなー」
くるっときびすを返した根子に、
「いや待てよ!聞いてなかった?同窓会の招待状作ってるんだって!WMの!同窓会、久々にやろうと思って!」
山田は慌てて言います。
「へー。今回は山田が幹事なんだな、がんばれー」
根子は、まったりと頷きます。
「いやいや!がんばれじゃなくてね!ほら、WM校出身!」
「だれがー?」
「お前だー!!」
「つまり、手伝えってことか?」
黒いオーラをまとった笑顔で、根子は笑います。三枚下ろしー。
「そう、デザインとかもちゃんと考えて・・・・・・」
山田がそう答えると、根子は職員室の自分の机の引き出しからはがきを一枚取り出しました。
「これ。二十歳のときかなー、成人祝いの。藤原が幹事だったときの招待状ー」
「家に置いとけよ!?」
「えーなんでー。高校に勤めてたら、ふと思い出に浸りたくなるときってあるだろ。その時のため。」
そこには、イラストもなにもなく、ただ、
『お久しぶりです。いきなりですが、同窓会のお知らせです。日時:一月二十日一時から 場所:中央公園あたり です。』
だけ書かれていました。
「で」
もう一枚取り出して、
「これは・・・・・・いつだっけ、二十四歳?たしか、田島と連が幹事だったときだなー。皆就活で忙しくて、あんまり集まらなかったらしいけど」
そこには、ボールペンで暴走したお互いが、お互いを諌めた形跡がありました。(作者からのお願い。すみません、この招待状には、取り消し線が沢山ありますので、取り消し線が上手く表示されない方は、PCからの閲覧を推奨します。ただ、読めなくても、これからの物語には関係ないので、わざわざPCを開くまではしなくても大丈夫です。)
『一月二十三日(八代くんの誕生日だよはあはあ)三時から翌朝までまあ遅くても九時くらいでいいと思うぞ・・・・・・ 各自思い出の品持参  みんなきてねー (特に聖とか来ない気じゃないだろうな!来なさそうだから集合は聖のパン屋の前な!) 来れない人は連まで電話下さい。 藤原元気?
こんな感じ。・・・・・・こんな幹事。
「な?」
「え、何が」
「だからー、パソコンでデザイン作るまで本格的にしなくていいんだって。こんなもんでいいんだって。毎回低クオリティだろー、招待状」
根子は引き出しに二つを直して、また笑います。
「でも俺ほら、情報の先生だし・・・・・・こういうのってデザインしたくなるんだよね」
山田良男は、情報と数学の先生です。
「そっかー、一人でどうぞー」
「ええっ」
悲しい声を上げた山田を無視して、根子はビジネスバックを持ちました。それをぐるりと、遠心力に任せて回します。
「皆もう三十四歳かー。十年以上会ってない人も居るなー、早いなー」
と、歌うように言います。そのまま職員室から出て、ドアを閉める寸前、
「あ、師走さん地毛だったよ」
ひらりと手を振ってそう言い、帰っていってしまいました。
「これだから光邦は・・・・・・」
どこまでも奔放な幼馴染のドアの向こうの影を見てから、山田良男はパソコンに向かいなおしました。
「時間と場所どうしようかな・・・・・・」
ゆかりのある場所、と考えて、山田は高校時代を思い起こします。
(中央病院? 全員で、お見舞い押し掛けたよな)
そして、ふと、気づきました。光邦、伸びする癖と、カバン回す癖、昔からなんだな・・・・・・。

――・・・・・・

白い、病室。
「そろそろ帰るかー。寮組は時間やばいぞー」
と根子が大きく伸びをしました。田島が、
「あ、そうだ、寮の門限!」
制カバンの取っ手を慌ててつかみました。
「え?寮に門限があるの?」
と山田。前野が、
「うん・・・・・・、門限というか、九時にはゲートが閉まっちゃうんだよね・・・・・・。まあ、それも、乗り越えたら入れるけど」
と、三木を引っ張って立たせながら答えます。
「え・・・・・・、帰ってしまうのかい?」
と鐘彦が寂しそうに上目遣いで聞きました(ベッドから上体を軽く浮かせた位置から、立つ皆を見上げると、自然に上目遣いになりました)。
田島「・・・・・・っ・・・・・・!八代くん、八代くん!! 何を、言ってるんだよ!もう、絶対に、帰らない!自分は、帰らないよ!一晩中だって、ここに、いるよ!ここに、住むよ!自分は、八代くんを、愛してる!愛してるから!」
鐘彦「帰っていいよ」
田島「!?」
制カバンを持ち、
「聖に電話、かけときなよー」
と根子は立ち上がります。ぐるり。カバンを大きく一回転。
「うん。後で、廊下にある公衆電話からかけておくよ」
と鐘彦は、電話番号の書かれた紙を、宝物のように大切そうに持ちました。この時代、携帯電話はあまり普及していません。
「そっか。じゃあなー。また来るー」
「ありがとう。じゃあね」
からりと、病室の引き戸を根子が開きます。
「自分は、帰らないよ!帰らない!」
と言う田島を、根子が後ろから「えい」と抱いて、
「っ!?」
そのまま引きずりました。
「やっ、やぁっ!根子くっ、離して、はっ・・・・・・なぁ・・・・・・、してぇ!」 
じたばたじたばた。
「わはー反応が楽しいなー。帰るぞー」
と、根子はぐいっと田島を引きます。
「やだ・・・・・・、だめ・・・・・・!」
「帰るぞー。寮の門限、門限!」
「八代くぅーん!」

――・・・・・・

「ぷ、」
一人で、夜に職員室で笑うのは、妙なものですが。
(何も、何も変わってない!)
そう思って、山田は笑いが込み上げました。毎日、絵都学園の教師として顔をあわす根子も、他の皆も。
(全員、会うたびに相変わらずなんだよなあ・・・・・・)
と。まあ、あの頃より、少し落ち着いたくらいかな。
(同窓会、何人集まるかな――)
そういえば、と思います。十人全員揃った同窓会は、まだ無いな。
「今日は、もう帰るか・・・・・・」
幹事の片割れは居ないし。
明後日からは、期末テスト。それが終われば、テスト返し、終業式、冬休み。授業らしい授業は、明日が最後。
地球の、日本の、十月十八日が、終わろうとしていました。



※備考
根子光邦「おれの作った世界史テスト、問題数が百四十で、二百点満点だよ」
弥乙澪「アウストラロピテクス」



同じ頃イギリスは、夕方になりました。二人はララから降りて、アンティーク雑貨屋の前のベンチに、腰かけていました。
「ふにゅうぅ・・・・・・水無月のおうちどこぉ・・・・・・」
と葉月。夕焼けが、明るく、沈んでいきます。
「本当に左ぃ?」
と06。
「お兄ちゃんと行ったときは、左に曲がったら着いたもん・・・・・・ふえぇ・・・・・・」
「きゃはっ。人に道を聞いても呪文しか返ってこないしねぇ」
06は、こんな状況だというのに楽しそうに言いました。ララは基本、話しかけられないと答えないので、静かに立っていました。



「バカ!いい加減に気づきなさいよ!バカ!」
モコは絵都で、じだんだを踏みました。
「何だ? 二人はまだイギリスに居るのか?」
一郎が、ソファーに腰かけて言いました。モコは、
「そうよ。全く、あの、バカ達」
と答えます。モコは尚も、続けました。
「私、06を見つけたときに言ったじゃない。墜ちる先はイギリスって。あの時、葉月もいたわよね?聞いてたじゃない。聞いてなかったの?忘れたの?バカなの?」
ペラペラと、貶す言葉が浮かぶものです。
「はぁ、心配で眠れんな」
と一郎は、軽く微笑んで言いました。時計は、日を跨ぎ、早朝二時を差しています。モコは小さく、言いました。
「・・・・・・私には、声が聴こえるわ。姿も見える。でも今、私の力は役に立たないのよ。クリネさえ居れば、伝言を頼んで、間違いを知らせてやれるのに。そうよ、クリネ・・・・・・」
直子が不意に、素敵なひらめき、と言うふうに、
「モコちゃん、超音波が使えるわよね!それでくーちゃんに話しかけたらどうかしら!」
と手をパンとうち鳴らしましたが、カンタが、
「すまんのう。クリネに、超音波を受信する機能は無いんじゃよ」
とかぶりを振りました。
それから皆は、
モコ「超音波・・・・・・」
ずっと、
一郎「クリネ・・・・・・」
ずっと、
カンタ「連絡法・・・・・・」
ずっと、
直子「イギリス・・・・・・」
ずっと考えて、
モコ「とりあえず超音波を飛ばしてみるわ。誰か受信するかしら」
一郎「止めておけ。話がややこしくなるぞ」
考えて、
直子「はっ・・・・・・自由くん」
考え付きました。
「自由くんに、電話したら良いのよ!」

第六十九項「I'm here!」

February 25 [Fri], 2011, 17:40
 昼下がり。イギリスの眼鏡橋から、大きな一声が上がりました。
「Come, look! The girl is frying! 」
叫んだのは、大道芸人の、三十台半ばの男でした。彼は、ジャグリングの手を止め、急に叫んだのです。
それを合図にしたように、ワアワア人ごみは騒ぎました。
「Pardon? 」
「What’s up? 」
「You’re kidding!」
金色の矢のように飛んでいるそれを見て、人はより一層騒ぎます。
「Is she falling? 」
「She is frying! 」
「Frying? That’s impossible! 」
「Run after! Run! 」
その女の子は、身体一つで、信じがたいほどの高速で飛びながら、
「きゃはっ・・・・・・」
眼をきゅっと細め、楽しそうに、笑いました。
「追いつこうなんて、百年早いよ!」
腰まで届く、ビロードのような金髪に、湖の表面のような色の綺麗な瞳。睫毛の長いつり目、人形のように白い肌。背は低いけれど、美脚の目立つモデル体型。赤フリルのトップスに、黒の短パン、ムラサキボーダーのハイソックスという、ゴシックパンクな服装。そんな、破壊力抜群に可愛い少女。
「きゃははははははははははははははははははは!!」
小柄な身体をしならせ、空中で三度高速スピン。大きく旋回して、少女はどんどん、下に、下に、下に――・・・・・・。橋から10メートルほどの近さに迫ったその時、
「ララ、色情報、回復!」
少女が、そう叫びました。
(了解)
機械の音声が、答えます。次の瞬間。何も無かったかのように見えていた少女の足元に、銀色のペダルが浮かび上がり、手元にはハンドルが見え、前輪、後輪、サドルがどんどん現れました。そして、その変化に重ねるように、
「実体化実体化実体化――」
と、先程の少女のものでも、ララの声でもない、幼い響きの声が言いました。
「葉月!」
そう続いた声と同時に、金髪少女の肩から伸び上がるようにして葉月が現れ、後輪の上に飛び乗りました。実は、何も無い場所から現れたわけではなく、葉月は始めから、最小化状態で少女の肩に乗っていました。
「ふにゅー!突然あらわれたかのように見せる作戦、大成功だよー!」
と、両手を挙げて葉月が言います。
「しっかりつかまっとけよ?」
と、前に座る少女が言います。
「うん!」
それから、二人は、同時にこういいました。
「派手に、決めるぜぇ!」
キキイイイイイイイイイイイイーッ!と大きく音を立て、2メートルくらい地を滑り、少女達を前後に乗せた宇宙自転車は、橋の上に止まりました。
ざわつく通行人を傍目に、サドルから、金髪碧眼の、ゴシックパンクのよく似合う少女が、後輪からは、黒髪童顔で、フリルたっぷりなワンピースを着た葉月が、降りました。まるで、雑誌のゴシック・ロリータ特集ページから、そのまま飛び出してきたかのよう。金髪の少女が、自転車のストッパーを下ろします。そして二人は、女性ヒーローのようなポーズを取り、自信たっぷりにこう言うのでした――
「マインド戦隊05、見参!」
「マインド戦隊06、見参!」
おおお・・・・・・!? 通行人、首をかしげて妙な表情です。
「Mind? 」
「Zero Five? 」
「Japanese? 」
モゴモゴ呟きつつ、通行人は一斉に、二歩くらい後ずさりです。その反応を見て、
「やーったあ!皆びっくりしてるよー!さずが06の作戦だよー!」
「やったね!大成功だよぉー!」
二人はハイタッチをして、ぴょいーんと跳ねました。
「じゃあ本体のとこ行こう!」
と、06と呼ばれた少女が再びサドルに座り、
「うんっ」
葉月は後ろに座り、
「みーなっづっきっ、みーなっづっきっ、みーなっづっきっ」
謎の連呼をハモリながら、キーコキーコと二人は去っていきました。
通行人は不思議そうに見送り、
「No way・・・・・・」
大道芸人の男は、まさか、という意味の言葉を、小さく呟きました。

――・・・・・・

絵都は、静かな夜でした。カンタは、舞良から実体化当時の話を聞きたいと、地球の江藤家に電話をかけ、
「なぜじゃ!誰も居らんのか!直一も、次郎も、クリネも、舞良も、一樹も居らんのか!」
と憤慨していました。
「全く・・・・・・」
ぶつぶつと、呟きながら、またダイヤルを回します。五回目で諦め、カンタは眉間に皺を寄せたまま、受話器を置きました。
一郎は、果ての無い宇宙について、思考をめぐらせていました。ブラックホール、かに星雲、銀河系。
モコは丸窓から、地球を――まだ昼のイギリスを――眺めながら、
「バカじゃないの?」
と呟きました。
「何がー?」
と絵を描きながら、直子が言います。
「葉月と06が、地上に降りるまでを眺めてたの。酷かったわ」
と、モコは呆れかえって言います。
「あらあら。何があったのかしら?ママ知りたいな」
と優しく微笑み、直子は筆を置きました。
「・・・・・・06が、普通に登場するんじゃつまらないから、どうせなら地球の皆をめいいっぱい驚かせようって提案したのよ」
「まあ。提案だけ聞くと、とっても素敵ね。でも、乱暴な運転をして、驚かせたんじゃないわよね?」
「残念ながら、それよ。大いに。」
モコが答え、
「あらあら」
ふう、と二人は、同時にため息をつきました。
「でも、今回は無事でよかった。もうしないように、言っておかなくちゃね」
と言って直子は、また絵筆を持ちました。それから続けて、こう言いました。
「ママね、なんで06ちゃんの墜ちる先がイギリスだったか、心当たりがあるの」
「何よ」
とモコ。直子は、静かに言いました。
「色を塗りながら、金髪碧眼なんて、外国人さんみたいねって、思ったの。それとね、外国といえば、そういえば自由くん、イギリスに留学中だったなーって、思ったのよ。イギリスって、思ったのよ」
それから顔を、ふっと上げて、微笑んでこう続けました。
「だから、舞良ちゃんを描いた人も、そうじゃないかしら。地球の、江藤家を思い浮かべて、描いたんじゃないかしら?」

――・・・・・・

遊園地からの、帰り道。ピリリリリリリリリリリリリ!と新の携帯がなりました。
「おまっ・・・・・・着信音1って!色気ねえ!」
と次郎。
「何よー、男に色気求めないでよねー」
「女装しといて男とか言わないでよねー」
「はーいもしもーし」
「うわあ無視」
電話の向こうからは、怒声が。
「ばかー!どこで油売ってんだクソ兄貴!さっさと帰ってきやがれ!」
あまりに大きい声だったせいで、次郎と直一にも若干聞こえて、
「ワァ・・・・・・」「ワァ・・・・・・」
顔を合わせて、順に小さく呟きました。
「やっだあーん、鈴ちゃんってば怖いーん。なんでそんなにご機嫌斜めなのぉ?」
裏声のターン。
「うん。今すっごくイライラしてるんだ。目の前でいちゃつかないでよね、あーバカップルうざい」
「え?・・・・・・舞良ちゃん居るわけ?」
「うん。居る。幻覚も居る」
「幻覚じゃなくてクリネです。名前覚えてあげて。舞良ちゃん、今日来るって言ってたっけ?」
地声のターン。
「言ってなかったけどね。『鐘彦、ごめん。約束してないけど、寂しくて来ちゃった・・・・・・』『舞良ならいつだって大歓迎さ!』」
「うわバカップルうざい!何、じゃあ今パイプオルガン祭りなわけ?」
「ううん。遅いから弾くなって言ってやった。そしたら、鐘兄がね、しょぼんって!弾いちゃだめ?とか言うの・・・・・・!可愛い・・・・・・!」
「あー、分かる。お兄ちゃんその表情が一番かわいい。」
「だよね!でも弾くなって言うのが私の役目だもの!・・・・・・可愛い、何あの可愛さ、鐘兄の可愛さは異常、鐘兄の可愛さは異常!でも言わなきゃだめ・・・・・・!辛い!鐘兄が可愛すぎて生きるのが辛い!」
「・・・・・・言いすぎじゃないかな?」
「鐘兄かわいい・・・・・・」
「わかったから。で、独り身の鈴ちゃんは今何してるの?」
「電話」
「・・・・・・」
「ねー新兄ー早く帰ってきてよねー。今女装だよね?変なおっさんに気をつけてね」
「はいはーい。ボディガード二人居るから大丈夫よー。じゃあね」
ぷつ、と電話を切り、
「まーた舞良ちゃん来てるって。クリネも」
めんどくさげに、投げやりに新は言いました。
「舞良ちゃん、ほんまに通い妻でんなあ・・・・・・」
と直一がボソっと言い、
「かかかかか通い妻ぁ!? なっ、何わけの分からないことを言っておるのだ兄者ー!」
次郎がギャンと噛み付く勢いで言いました。
「舞良は俺の嫁だぜよ!」
「嫁って、何を言うてはるん次郎。付き合ってもないのに」
「これだから一般人はー!とーにーかーく!舞良は俺の嫁だぜよ、オケー!?」
「オケーってどういう意味どすか?」
「これだから一般人はー!オッケー!?」
「オッケーって何ど「これだから兄者はー!よろしおすか!?」
「・・・・・・へえ・・・・・・」
「正直どうでもいい。」
「新ちゃん冷たいお(´・ω・`)ショボーン」
「セリフに顔文字を使うな・・・・・・」

――・・・・・・

「わかりません・・・・・・基礎も応用もまるっきり!」
弥乙家では、澪が冷や汗に苦笑で、言いました。
「なんで遊園地行ったし・・・・・・」
海が、ため息をついて返しました。
「期末テストは明後日からなのに、余裕じゃないお前はなんで遊園地行ったし・・・・・・」
「だって澪は今の楽しさを優先する人種でしてですね」
「あー分かった分かった。分かったから答えろ。わかりませんじゃなくてな、何でもいいから言え。わざわざ問題出してやってんのに」
と世界史の教科書を持ちながら海。
「えー、じゃあー・・・・・・、アウストラロピテクス」
「全然ちげー!アクロポリスだ馬鹿!人類の始まりは今聞いてねー!」
「ふあああー!惜しいじゃないですかー!アもロもスもかぶってるじゃないですかー!」
「惜しくねーよ!若干響き似てるだけで時代も意味も全然ちげーよ!あーもー駄目だコイツ。遥、後は任せた」
「ああああああ!? ちょっ話しかけないで下さいよ・・・・・・あー、忘れ、た・・・・・・海のせいですよ、海が話しかけたせいですよ・・・・・・今必死で覚えてたのに・・・・・・」
「お前もなんで遊園地行ったし・・・・・・」

「あかん、もう捨てる」
水無月家では、ペンを置いて、水無月が、言いました。
「テストは明後日からやで。まだ何とかなる余地あるやろ?」
「無い」
「即答かよ」
霜月は、自分で作った単語帳を見ています。綺麗な字。
「私、何で遊園地行ったし・・・・・・なんで・・・・・・。なあ、霜月はテスト大丈夫なんー!?」
「うーん、そこまでやばくは無い・・・・・・かも。日頃から復習は一応してたし」
「げふっ!ぶふぅっ!100のダメージ!ぎゃばぶふぅ・・・・・・」
「大丈夫か水無月。壊れてきてるで。」

八尾井家では、ゆめこが現実を逃避して、パソコンを起動して、チャットルームに居ました。

一樹は、三木がちゃんと帰れたかが心配になって、やっぱり、もと来た道を引き返していました。

――・・・・・・

イギリスでは、「みーなづっきっみーなづっきっみーなづっきっ」とこぎだしたはいいけれど、
「ところで葉月、水無月の家ってどっち?」
「・・・・・・ふにゅ・・・・・・ひだり?ララ、水無月のおうちは左で合ってる?」
(その目的地は未登録です)
「ふにゃー、わっかんないかー」
国すら違うことに、全く気づかない三人が居ました。

絵都でまた、モコがため息をつきました。

第六十八項「hand」

February 10 [Thu], 2011, 17:31
 遙か上で、風を切る音がしました――。

「06は、地球に墜ちる」

モコとカンタの声が、重なりました。

一瞬、驚いたような顔をしてから、くつくつと、カンタは含み笑いをし、
「奇遇じゃな。お前と意見が合うとは」
と、むくりと立ち上がりました。カンタを支えていた宇宙自転車は、実はカンタに支えられていたようで、かしゃん、と横なぎに倒れました。モコは、ふん、と笑い、
「・・・・・・その意見に根拠はあるの?」
と問いました。カンタは、
「お前こそ」
と、細長い目をより細めて、返しました。自分の皺ついた坊主頭をトントンと平手で、脳みその位置を整えるように軽く叩きます。
「勘であろう?」
モコはたじろぎもせず、凛と前を見据えて、自信たっぷりに言いました。
「勘よ」
ふにゅ・・・・・・勘なの・・・・・・?と後ろで葉月が、残念そうに呟きました。モコは続けます。
「でも、この勘は合ってると思うの。06は、きっと舞良と同じだから」
その意見に、一郎が、怪訝な表情を見せました。
「舞良は、俺達の家の前に捨てられていたと・・・・・・」
モコは深くため息をつき、こう言いました。
「お兄ちゃんの嘘を、いつまで信じてるの?」
それからモコは、
「本当のことを言うわ」
と機械的な声で、呆れたように呟きました。目を軽く閉じ、すう、と息を吸いました。そして、銀の右目と、蒼の左目を、ゆっくり開き、はっきりと告げました。
「あの子は、空から降ったのよ」
「・・・・・・舞良ちゃんが、マインドだって言いたいの?」
と直子。
「そういうこと。」
「・・・・・・」
「まあ、その話は後でいいのよ。今は、」
言いかけてモコは、はっと息を止め、

「見つけた」

キンとよく通る、白金のような声を張りました。
「やっぱり、地球だわ」
モコはぶつぶつと続けます。
「この軌道なら、墜ちる先はイギリス。秒速1000キロで落下中。絵都から地球までの距離は39万4048q・・・・・・今の距離から計算すると・・・・・・衝突まで30秒・・・・・・。おじいちゃん、ララの最高速度は」
カンタは、眉間に皺を寄せ、答えました。
「秒速1000キロじゃ。間に合わん」
不意に葉月が、クマゴローさんを地面に置きました。
「葉月?」
「おじいちゃん。ララの新機能、使うよ」
と、いいます。
「クマゴローさん、いい子で待ってて」
葉月は、宇宙自転車のハンドルを握りました。カンタが、むう、と唸って頷きました。
「――間に合うって信じてるよ、ララ」
サドルに座り、ペダルをぎゅっと踏みました。
「はーちゃん、危険よ!」「葉月、何してる!間に合わないんだぞ!」
直子と一郎が言いましたが、葉月はペダルを回しました。
「間に合うよ」
数メートル進み、ごう、と土煙が舞い、ララと葉月は、群青の空に浮かびました。
「・・・・・・――速度制限・開放。手動運転・解除。目的地・06」
葉月は小さく言います。
(了解)
と宇宙自転車が、流暢に答えました。ペダルがガガガガと動き、平衡になります。それが、カチリ、と音を立て、動かなくなりました。
「06を助けて、ララ」
(この身が滅びようとも)
サドルからベルトが伸び、葉月の腰を固定します。
(自動運転、開始)
ララがそう言ったかと思うと、ゴウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!! と、この世の何よりも早いのではないかと思わせる速度で、飛び出しました。
「葉月、この、バカ・・・・・・!」

満天の宇宙に出ると、ララの周りに、透明な丸いドームが現れました。早送りのように、景色が流れます。その景色は、まるで印象画のように色が混ざり合って――あまりに早く、何も見えません。
カァン!カァン!と星屑なのか、隕石なのかが、ドームに当たって、砕けて、飛ばされて、また、終わりの無い宇宙の闇に、吸われていきます。カララ、と、金属の飛んだ音が、混ざりました。それは、ララのベルでした。
間に合え、間に合え、間に合え――!
ふっと、目の前が真っ暗になります。それからすぐ、視界が開けます。そこは地球の上空。透明な丸いドームは、ガシャン!ガガガッと、壊れるような音を立て、消えました。
イギリスは、朝の十一時。冬の太陽は、優しく照ります。葉月は、金色の点を見ました。遙か先に、とても、とても遠くに。
「ララ、急いで!」
(了解)
距離が縮みます。少しずつ。少しずつ。点が、線になり、人と認識できる距離になり。06は、意識がまだ無いようで、ただ、墜ちていました。

届いて。

しかし、ハンドルを離して、伸ばした右手は、06の腰まで長い金髪を掠め、た、だけでした。
「ララ!ララ、もっと!急いで!」
地上から、約、一キロ。06との距離、あと、数センチ。

どうか、どうか、どうか、届いて。

風が冷たい。こんなときに、そう思いました。

もう一度。届いて。届いて!

そして、
「06ー!」
葉月の手は、確かに、06の左手を掴みました。とても、冷たい手。
06が、微かに動いたような気がしました。意識が、戻ったのでしょうか。戻った?今、命を持った?宙ぶらりんになって、06の身体は揺れています。この手を、絶対に、離しちゃいけない。絶対に。
「・・・・・・06。06はね、人間か、ロボットか、決められなかったから、墜ちちゃったんだよ・・・・・・。ごめんね・・・・・・」
と、葉月は、涙声で言います。少し、06の首が、見上げるように傾きました。
「だから、わたしが決めるね」
腰まで長い綺麗な金髪が、風に揺れます。ゴシックパンクな服装が、とても似合う、金髪碧眼の少女。
「06は、人間だよ」
不意に、06の手が、熱を持ちました。虚ろな瞳が、少し、光を得たように見えました。それから、
「06って変な名前ぇ。きゃっきゃ」
と楽しそうに笑う、06の声がしました。それは、明瞭で聞き取りやすい、透明感のある声でした。

群青の空を、透かすように仰ぎ見て、モコが深く息をつきました。
「居るわ。・・・・・・みんな無事よ。私の視力が高くて、本当に良かったわね」
それを聞いて、一同も息をつきました。
「ああビックリした・・・・・・葉月が想像以上に勇気がある子だった」
一郎が言い、直子は、くすっと微笑みました。
「子供ってそうよ。みんな、ママやパパの想像以上なの」

第六十七項「lie」

December 12 [Sun], 2010, 20:54
 白い夢を見た。きっと、現実だった。・・・・・・現実かもしれない。
 夢に似ていた。白い夢。
 これは、ここにくる前の話。

ただ白い、何もないどこかに。オレの体が浮かんでいる。いつからかは分からない。

これは、地球に来る前の話。

「おめでとうございます、5000番」
という、感情の無い声を聞いた。
「あなたは、選ばれました」
そう続ける、音に近いような声は、窓を引っかくような、キカイ的で、不親切で、寒気のする声だった。
「1番から4999番、削除します」
と声は続けた。紙が、破れるような音がする。無数の紙の、破れる、音。
「削除しています――。削除しました――。」
白い空間に、何度も、何度も繰り返す。もう、気が遠くなるほどずっと、音だけが聞こえる。
違う、気が遠くはならなかった。オレは、空っぽだった。眠気に似ている。でも、目は冴えている。
視界は白い。体は、動かない。微塵も。指先さえも。
ぷつん、といきなり静かになって、
声は続けた。

「地球に“    ”という人間は、既に存在します。上書きしますか?」

オレはまだ、何も知らなかった。上書きも、削除も、地球も、何も知らなかった。
声が、不響しながら言う。
「上書きしますか?」
まだ、何も知らなかった。――上書きって、ナンダ?――削除って、ナンダ?
「生きたいですか?」
それは、言い換えだったのだろうか。新しい問いだったのだろうか。

(イキタイ・・・・・・)

オレは、思った。何も分からないのに、イキタイと思った。
「しばらくお待ちください」
と声は言う。不意に、とてつもなく大きな浮遊を感じる。
紙の破れる音は、しなかった。

それから、何日経ったかは分からない。一日だったか、一ヶ月だったか、あるいは一秒だったかもしれない。
「生きてるか」
と問う、大声を聞いた。
オレはあの時、地にぶつかっていたかもしれない。あるいは、死んでいたかもしれない。
あるいは、さっきのは全部、夢で、はじめから、ずっと、ずっとここにいたのかもしれない。

目をあけると、君がいた。





『1992年4月1日(水)

消えた遺体

4月5日午前10時35分ごろ、○○県○○市の国道で女性がトラックにはねられたという目撃情報が届いた。トラックはそのまま逃走した。目撃者によると、女性は斜面に投げ出されたと言う。詳しく捜査をしたが、女性の遺体や血痕は一切見つからない。事故の詳しい状況を調べている。』

『1992年4月3日(金)

身元特定か?

はねられた女性は蘇芳菖蒲さん(39)ではないかという情報が届いた。事故以来、蘇芳さんは職場に顔を見せなくなったらしい。事故の目撃者から寄せられた容姿の特徴と、蘇芳さんの容姿は一致している。蘇芳菖蒲という名前は戸籍に無く、偽名を使っている疑い―中略―遺体はまだ見つからない。』





空が、青い。濃い茶の髪の男の子が、オレを見下ろしている。
「ここどこだーっ!」
と、言葉が飛び出た。違う、そんなことが聞きたいんじゃない、
「お前だれだよっ」
違う、――オレは、誰だ?
「お前は、かこのあるひとなのかっ?」
――オレは、かこのないひとなのか?
「オレ、どうやってここに来たんだ?」
違う、初めからここにいる?
「ここはどこだっ」
違う、違う!

“    ”

きい、と扉が開いた。現れた琥珀色の髪の少年を、似てる、と思った。・・・・・・誰に?
「?次郎の友達でっか?」
その声を、聞いたことがあると思った。そのしゃべり方を、似てる、と思った。誰に?・・・・・・誰に?
オレは、誰だ?何かがある。過去じゃない、これは過去じゃない・・・・・・。記憶?もう、分からなかった。

逃げた先で聞いた、パイプオルガンの音を、すごく、懐かしいと思った。
揺れる白髪を、似てる、と思った。似てる、じゃない。会ったことがある、と思った。
「――俺の、母親が、」
鍵盤にのせたままの長い指から、ゆっくり、長い長い音が、響く。
「――交通事故にあったらしくてね」
なぜか、それを、もうとっくに知っていた気がした。
「母の好きだった、シューベルトの子守唄だよ」
そう言って、懐かしい、優しい音が鳴る。弾き方が、似てる。・・・・・・誰に?
(今はもう好きじゃないのよ。ヨーゼフを思い出すから)
誰かの、空耳が言った。

 上書きの意味を、じいさんに聞いた。
 知らなければよかったと、思った。
作者
  • ニックネーム:弥乙澪
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1991年、大阪に生まれる。2007年に『回顧録』でブログを開設。他作品に『澪ちゃんと夢の国』。現在は『with mind!』と『かていじじょう』を連載中。カテゴリー『雑記』には思考や日常などが書かれている。また『短編集』と『詩集』も随時更新中。趣味で絵も描くため『イラスト』も扱う。読者登録は誰でも気軽にどうぞ。
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