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田原総一朗というのはどのような考え方をもっているのかちっともわからない。スタンスとしてジャーナリストだから、自分も「第二の権力」と思っているのだろうか。
あるいはテレビ視聴者を画面に釘づけにするためにわざと、批判したり、異論を言ったりしているのだろうか。
政治権力を常にチェックするということを現実の政治家を前に展開する。おそらくこのようなジャーナリストは他に例を見ない。筑紫哲也の場合は、彼の「好み」というものがあった。沖縄にこだわったり、弱者にこだわった。また芸術家をも愛した。
田原総一朗は政治という場面でのコメンテーターや司会をしている。
TBSのニュース番組はとたんにつまらなくなった。報道ステーションもつまらなくなった。ニュースを解説する人がいないのである。いつも国民からの批判の電話を恐れているように見える。
ニュース番組とワイドショー番組の境もなくなりつつある。ニュース番組には芸能ニュースがないくらいのものだ。
民主党政権は現在ある課題を国民に事業仕分けという形で、透明感を出している。また、民主党政権は重い不況の克服対策を行わなければまた政権から転落することもありえる。どうしても制度や情報公開よりも、一番困るのは不景気感であり、不安感だからだ。このことの前には理念の問題などは吹き飛んでしまう。だから、民主党員も、中立的なコメンテーターももっと言ってくれなければならない。
例えば、私などは、「子育て支援策」や「高校無料化」は大きな福祉・教育政策であるけれども、大きな消費経済対策であるとも思っている。しかも少子化対策としても国家の計として大切である。2100年で5000万人を割る日本である。子供も安心して産める社会にならなければならない。
高速道路無料化も同様である。消費経済対策として、公共事業より経済効果が高いものだ。
日本社会は戦後64年経って、政権も交代し、さらに西洋化に向かっていくことになるのだろう。すでに和服は特別な日にしか着なくなり、靴をはき、椅子やソファの生活をし、物の考え方も、人間としての個性と自由を尊重しているように見える。老人は子に頼ることなく、孤独に死んでいくことも決心しているように見える。
町の姿は相変わらず、全国どこも同じであるが、これも景観法もでき、わが町の姿を個別にやっていこうという意思も感じられる。将来は、電信柱も電線もなくなり、安物のブロック塀やトタンなどもなくなっていくのだろう。
日本らしさは、茶道。華道。剣道。柔道、「道」のようなものしか残っていかないことになるだろうか。天皇家が変わりつつあるのも時代の変遷を感じるものだ。現在の天皇・皇后は日本が最も成長し、安定期に入り、停滞期から衰退期に入ってきた現在の65歳から75歳ぐらいまでの人々の象徴である。そして現在の皇太子夫妻もまた30代、40代のシンボリックな揺れ方をしている。
日本は今や全くの格差社会になってしまった。努力して這い上がる精神は尊重されなければならない。政府が努力しない人にまでも援助するとなると、この国はいずれまたおかしくなってしまうだろう。このことをどうするかも、政権交代の大きなひとつの軸になっていくことだろう。
ようやく動き出してきた日本。すでに消費資本主義の時代に入っていたのに、自民党はそれに気がつかなかった。ようやく消費資本主義が端緒についたという感がある。
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文部科学省の仕事は、質の高い教育を提供し、子供達が良い社会生活を送れるようにすることです。ところが、官僚達は、デタラメ政策で子供達の人生を台無しにしました。
大学を天下り機関に変え、世界最低にまで堕落させたのも文科省官僚です。
不登校、退学者20万人、引きこもり、ニート60万人という現実こそ、文科省官僚の無能と腐敗を明らかにしています。文科省は、国民を不幸にする悪性癌です。「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)を読むと、すべてが分かります。
不道徳で無責任で腐敗した官僚の行う事業は、国民にとって危険です。
スパコン研究は、文科省を事業仕分けで廃止して行うべきです。