夏休み終了!(2) 

September 03 [Wed], 2008, 22:27
お久しぶりです!薄井です。
湖南大学も新学期が始まったそうですね。久しぶりの大学はどうですか?

私も早いもので帰国して2ヶ月が過ぎました。
しばらく夏休み気分でうちの愛犬と毎日昼寝をする日々を過ごしていましたが、8月中旬からはアルバイトをしています。久しぶりの規則正しい生活で、それだけでちょっと疲れてしまっています

10月からは仙台の日本語学校で働くことになりました。学生はほとんど中国人だそうです。そしてほとんどが日本に来てから日本語を勉強する人たちですが、中国語が少し分かることがばれないように、日本語だけでがんばろうと思います

では、新しい1年、それぞれの目標に向かってがんばりましょう

夏休み終了 

July 26 [Sat], 2008, 14:33
みなさん、こんにちは!西條です。
元気にしていますか?
今は、ちょうど夏休みですね!
しかし残念ながら・・・私の夏休みは終わってしまいました!

私は、7月21日から働き始めました。
先ず、最初は、2週間千葉で研修してから、京都で働くことになりました。という訳で、奈良から京都に引っ越しすることになりました。

実は、昨日、研修終了後、薄井先生も偶然千葉に遊びに来ていたので、会うことができました。
半年振りに会えて、とても嬉しかったです。
このように、みんなともいつの日にか出会えることを楽しみにしています。

まだまだ暑い日が続きますが、体に気をつけてくださいね。

3年2組 楊小容 

June 16 [Mon], 2008, 0:15
「若い」頃の日記を読んだ
この間寮でものを整理していたら、小学校から高校までの日記が出てきて、思わず読み返してしまいました。昔の日記を読んで恥ずかしさに絶えられませんでした。あまりの自分の性格の幼さにびっくりしました。

10年以上前の日記ですが、これが面白いです。今となってはとても小さなことで、この世の終わりのように悩んだり、天にも昇るように嬉しがったり、人生悟ったかのようなくさい台詞を吐いてみたり。記憶では冷た大人びた人間だと思っていたが、十分青春してたんだなあと感慨にふけってしまいました。

これからは私の小学校から高校までの日記の中で、いくつか皆さんに紹介したいと思います。

まずは小学校の頃に書いたものです。「今日は恵子ちゃんと一緒に帰りました。そしたら、恵子ちゃんは草を食べました。それから、一緒に果樹園で遊びました。」恵子ちゃん!なぜ草を食べてるの。そして、それに私もなぜ動じていないのでしょうか。

次は中学生の頃の日記です。中学生になったら、まさに思春期です!「今日は一番仲がよい友達に彼氏が出来て、彼女はもう私よりも大事な人を見つけてしまったんだね。ハアー私にも彼氏が出来るのかな。でも、私の運命の人はいつ、どこで白馬に乗って私を迎えにきてくれるの。」

最後は高校時代のです。「今日から英語で日記を書くことに決めたわ!」全部読んでみても英語で書いてあるのはこれだけです。その後、さっぱり白紙になっていて、気がづいたら数ヶ月後に普通に中国語で書いてしまいました。

ずっと日記をつけましたが、もし事故などで死んで、家族にこの日記を読まれたらと思うと、もう一度死ねるかもしれません。でも、日記は生きている間に自分だけの秘密の領域です。そしてなんであんなに面白いのでしょう。今思えば、本当にたいしたことではないのに、真剣に悩んだり、いちいち気にしたりしていて、自分で突っ込みたくなるのです。ただ、自分がどんなに両親、先生や友人などに成長させてもらったかを日記によって知らせれました。ありがたい存在でもあります。そして、今の自分がいるのです。そう思うと心が温かくなりました。今の中高生はたぶんこういうのはブログに書いたりしているでしょう。でも、私にとってやっぱり日記が一番合っています。

3年2組 呉珍珍 

May 27 [Tue], 2008, 18:48
父の二滴の涙
父は素朴な農民で、教育を受けられなかったですが、今まで私を叱ることしなく、いつも道理で私に教えてくれます。父はシャイな人で、家族に対する愛を表すことが苦手ですが、言動によって父からの愛が感じられます。父はただこういう人です。

中国では「男子たるもの軽々しく涙を見せてはならぬ」という言葉があります。私もそう思います。私のために父の二滴の涙は私の心に焼き付いて永遠に忘れられません。いつも、父の涙を思い出した時、心が限りなく痛くて、涙が流れてきます。

それは2005年9月4日のことです。父は私を学校に落ち着かせてから家に帰ることになりました。
「今日は帰るよ。家にたくさんの仕事があるから。これから一人で暮らして、自分の世話をしっかりしてね。父、母のことを心配しないで。風邪を引かないように気をつけてね。時々、家に電話してね・・・」と父はいろいろ言いました。父がこんなに多くの話をしたのは初めてでした。

「私は送るよ。」と父に言うと、父は「もういいよ。」と言って振り返らないで前に大またで歩いていきました。私は寮の門の前に立っていて、涙で顔が濡れました。父の後ろ姿を見て、父は年を取ったのが分かりました。その時、父の傘を手に握っていることに気が付きました。「お父さん、待って、傘忘れちゃった。」と叫びながら走って父の所へ行きました。傘を渡す時、父の目尻に涙の流れた痕がはっきり残っていました。「お、行くよ。」父はほかの一言も言わないでバスに乗りました。その時、父の前で決して泣かない私が泣きながら、「お父さん、お父さん・・・」と叫んでバスのあとを追いかけました。

私は初めて父の涙を見ました。父は初めて家族と離れて住む私のことを、一人で生活できるかなど心配していたのでしょうか。父はこのような人で、外見から見れば冷淡な人ですが、内心は家族みんなを深く愛しているのです。

もう1回は今年のお正月の時です。お正月にはあっちこっちうれしい雰囲気が溢れていました。ある午後、私は突然、腰が痛くて吐いて止まりませんでした。不幸なのは、しばらくして私は意識がなくなってばったり倒れてしまいました。あとのことは全然覚えていませんでした。目が覚めた時、私はもう病院のベッドに横になっていました。父はそばに座って疲れた顔をして手で頭を支えて眠っていました。その時、父に「ごめん!」と言いたかったですが、父の眠りこけた様子を見て邪魔をしたくありませんでした。心の中で言っただけです。退院したあと、姉の何気ない話しによって、私が倒れた時、父は涙ながら私を抱いて病院へ行ったことが分かりました。私は何も言わないで父のそばへ行って勇気を出して「お父さん、ごめんね、お父さんを愛してるよ!」と言いました。父は黙って私を見ないで「うん・・・」とだけ答えました。父はこのようにシャイな人です。

私のための父の二滴の涙はしみじみと私の心に刻まれました。それは父の愛を含んだ涙です。私はどうして父に涙を流させたのか、こういうことは絶対に二度としたくないと後悔しました。

思い出すと、自分はいつも父母を心配させて親不孝な子だと思います。でも、今の私は父母のために何もできでいません。父母にとって、私が病気を治すことはなによりもいいだろうと思います。ですから、これから私は意志を強くして病気を治すように頑張らなければなりません。私、自身もいつか健康になると信じています。

3年3組 楊仁鳳 

May 24 [Sat], 2008, 0:12
「幸せ」についての感想

皆さん、おはようございます。
まず、皆さんにお聞きしたいことがあります。今、幸せですか。「幸せ」というのは、いったい何のことですか。たぶん、家族の愛、友達からの手伝いや関心、または上司、同僚からの信頼などが「幸せ」の現われだと思っている人がいです。でも、私の目から見れば、「幸せ」はどんな特別な意味を持っていますか。  
それでは、今日の発表に入りましょう。

まず、一つ例を挙げさせていただきます。子供のころ、私はずっと農村で生活していました。毎年の春、夏、秋になると、私はいつも自分の両手でささやかな小遣いをもらえました。でも、当時の私にとっては、それだけのお金でももう大金だと思いました。故郷は自然に恵まれていて、特産物は豊富であちこちに見られます。暇なとき、山の奥とか森から採った蕨、きのこや竹の子などをあるビジネスマンに売りました。こうして、毎日放課後、2元あるいは3元を得ました。そのとき、物価が今よりかなり安かったので、手に入れた小遣いで子供時代の望みは叶えられました。まだ7歳のとき、地元にあるお茶の工場で3日間お茶の葉を摘み取って、私の人生における初給料を得ました。たったの9元なのに、そのころ農産物への肥料さえ買えなかった家の役に立ちました。その時から、自分の努力で、自分のやりたいことができたら、私は「幸せ」から可愛がられた感じがします。中学校3年生のころ、週末を十分に利用して、自分の稼いだ300元で大部分の生活費を済ませました。ですから、よく親友に誉められました。これらは全部美しい思い出になりました。なかなか忘れられません。

それから、もう1つ例を挙げたいと思います。みんなの知っているとおり、私は去年の11月から学校のクリーニング室で働いています。自力更生能力や社会への適応能力を鍛えるつもりで、生活費を稼ぐかたわら、豊かな大学生活を過ごしています。毎日洗濯したり、知らない人としゃべったりして、本当につまらなくてつらい仕事だと思っている人が多いです。でも、私はそうとは思いません。学校のクリーニング室で働いてからはじめて、私自身の趣味はなんだか、自分はどういう性格かは分かりました。こうして、卒業後どんな仕事が私に向いているかも分かりました。性格に関するテストによって、自分がサービス業に関係する仕事に適しているのも明らかになりました。実は、外向的な性格で、いつもにこにこしている私は、人と付き合うことが大好きです。また、いい印象を与えたと言ったお客さんもいます。ですから、女の子の生まれつきの優しさや笑顔などで、将来サービス業に関係する仕事につきたいと思っています。

だから、私にとっては、「幸せ」は特別な意味を持っていると考えています。一言で言えば、自分の努力を通して、こんなに多くの愉快な体験を得ました。これこそは私の理解した「幸せ」です。

2年1組 張暁いん 

May 20 [Tue], 2008, 23:49
(名前の「いん」という字が表示できませんでした。すみません。竹かんむりに「均」です。)

十年間の夢
今年私はちょうど二十歳になります。この過ぎた二十年に、私はずっと夢を見ている気がします。ただ、十年前の夢は今と比べると少し違います。

十年前、私は十歳、小学校六年生でした。まだ人生の初めである私はいつも先生に『速く人生の青写真を描きなさい』と急き立てられていました。わたしも将来のことをいろいろ想像しました。大人たちに聞かれるたびに、きっと大声で、国家主席とか、偉い科学者とか、世の中で一番光栄な職業の教師とか、と答えたのです。それに思わずその夢の実現した場面を頭に描いてわくわくしたのです。本当にやる気がいっぱいでした。残念なことに、今からしてみると、それらの夢のどれも実現できるはずがなさそうです。

十年も経ちましたが、わたしは相変わらず未来を想像することが大好きです。しかし、もしこの世の中に本当にタイムマシンがあったら、十年前のわたしは今の自分を見て、「これが本当のわたしなの?」という疑問が出てくるかもしれません。今のわたしなら、他人に聞かれるとき、国家主席とか科学者とかというような雄大な夢を答える勇気が絶対ありません。多くの場合は、わたしは「お金持ちになりたい」と答えるのです。しかし、それはわたしの本音ではないです。それでは、どうして本音を言えないのですか。それは実現できないからです。
 今のわたしにもさまざまな夢があります。日本語を習ってから、一時優れた通訳になりたかったです。その後、日本語に対する情熱が消えたら、一度立派な経済研究者になることも考えました。しぁし、もう大学二年生であるわたしは今の日本語レベルから見ると、一流の通訳になれるわけがないです。それに、経済に関する学科の一つも勉強した経験がなくて、どうして立派な経済研究者になれるものでしょうか。もう遅いから、やっぱり諦めたほうがいいと思います。

今のわたしはもう二十年後、三十年後のことをあこがれる勇気がないです。ただ一日一日が何とか過ごせればいいです。こんなわたしには、夢なんて、ただ生活にあきれた自分を慰める光に過ぎません。
やっぱり十年前のその元気みなぎる若い自分が懐かしいです。でも、そのころを思い出すと、時々後悔しています。もし、そのとき、一つの確かな夢を持って、絶対放棄しないで、その夢に向かって進んでいたなら、今、わたしの生活はきっと別の状況でしょう。

ところで、もう一度考えると、また十年後、三十歳のわたしはかつての自分、つまり今の私のことをどう思うでしょうか。たぶん今のわたしと同じように悔しくて悔しくてたまらないでしょう。彼女はおそらく、「どうして諦めたか?」と、わたしを恨んでいるかもしれません。

そう思うと、非常に怖いです。わたしは十年後の自分に嫌われたくないです。後悔もさせたくないです。だから、今から本当の夢を見つけてがんばるしかないです。遅いかどうかもともかく、実現できるかどうかもともかく、余計なことを考えないでその夢に向かって一歩踏み出せばいいです。

皆さん、たぶん明日、皆さんに聞かれるとき、わたしは大声で自分の本当の夢を言えるようになるかもしれません。

3年1組 趙さん 

May 17 [Sat], 2008, 20:57
(名前の「さん」という字が表示できませんでした。すみません。左が「王」、右上が餐の上と同じ、右下が「木」です。)

中毒
あなたはいま中毒になっていますか。私の知っているところでは、今の大学生は、かなりの人が中毒になっています。パソコンゲームに夢中になって、授業に出なくなったり、夜、睡眠も取らなくなったりする人がいるし、スターを追うのに、勉強をまじめにしないで、歌を本気にして真似したりする人もいるようです。

恥をさらして言えば、私はもうひどい中毒になっています。しかも、一つの毒じゃなくて、二つの毒に当たっています。しかし、先に触れた学生とずいぶん違って、私の当たった毒は、私にとって役に立つものです。

一つは広島大学への夢です。湖南大学に入ってから、皆さんと同じように留学する夢をずっと見てます。留学後帰国して、広く深い知識を持つ教師か、輝かしい前途がある社員かになりたいと思うからです。この夢を実現させるために、私は気をゆるめずに頑張ってきました。先日、広島大学の9人の先生が私たちの学校へ訪問に来ました。その先生方はいろいろなすばらしい講義をしてくださり、本当にいい勉強になりました。そして、広島大学のパンフレットを読んで、かなりいい大学だなと固く信じさせられました。先生たちのご来訪は私の留学の夢をもっと強いものにしました。あれから、ぜひ広島大学に入って、この目で日本の姿を見、いろいろなことを学ぼうと決心しました。今からちゃんと勉強して、10月の留学試験にきっと合格できると自分を励まして、勉強のことにもっと励み続けていこうと思います。以上は一番の毒です。これから、二番の毒を話させていただきます。

二番目の毒は学生活動をすることです。前学期と変わらず、今学期はまた忙しいです。細かくて煩雑なことばかりで、いらいらさせられるときが非常に多いのです。そして、私は会議が大嫌いですが、もう何回か学生代表として、会議に参加しました。それにもかかわらず、私は学生活動に夢中です。なぜかというと、教科書から学べないことをいっぱい学ぶことができたからです。人とどう付き合ったらいいかとか、仕事をどう早く終わらせるかとか、仕事と勉強をどうバランスを取るかなどです。

私は今、この二つの毒にひどく当たって、抜け出すのは難しいほどですが、少しも心配していません。むしろ、私にとって、いいことじゃないかと思います。だから、私には解毒剤は要らないです。しかし、ゲームとスターの毒に当たっている人には、解毒剤はなくてはならないものです。学生である以上、家族のために、自分の人生のために、ちゃんと勉強すべきだと思います。だから、そんな学生は、早く自分で解毒剤を見つけて、後一年間、充実した大学生活を送るようにしたほうがいいと思います。また、もし知り合いにそんな人があったら、ぜひ手伝ってあげてください。

四川省の地震について 

May 13 [Tue], 2008, 20:50
いつも楽しくみんなの発表内容を見ています。
頑張っていますね!

ところで、日本でも一日中四川省の地震について報道されています。
みなさんの家族や友達は大丈夫ですか?
本当に心配です。
私も阪神大震災で大きな地震を体験したことがあるので、恐ろしさを思い出すと本当に辛いです。

これから、引き続く余震が続く可能性があるので、万が一地震が起こったら、必ず出入り口を開けて、逃げ口の確保を忘れないでください。そして、あんまり古い建物は倒壊の恐れがあるので、頭上に気をつけて逃げてくださいね。湖南省なら大丈夫だと思うのですが。

四川省と重慶で、1日も早く復興されることを祈っています。

2年4組 唐小仕 

May 13 [Tue], 2008, 16:16
昨日の四川省を震源とする地震で、私も日本から心配するメールが少し届きました。
私は地震のとき、自宅にいたのですが、震度1ぐらいの揺れを感じました。
学生たちも、地震を感じた人と感じなかった人がいたようです。
四川省では救出作業などが続いているようですが、少しでも多くの人が助けられ、少しでも早く生活を取り戻すことをお祈りします。

十年ぶり
世の中に、十年ぶりに何かをする、或は十年ぶりに誰かに会うことがあります。

冬休みに、町をぶらぶら歩いていると、誰かに後ろから名前を呼び掛けられた感じがしました。振り返ってみると、驚いたことに、見たこともない女の子が私を見て、にこにこしていました。

「えっ?すみませんけど、誰だっけ?」と私が聞きますと、彼女は機嫌が悪くなったように、「なーに、覚えてないの?小学校の時、君の隣に座ってたじゃないの?」と聞き返しました。それを聞いて、私は「あっ、そうだ。田さんだよね。」と思い出しました。

この田さんは、確かに小学校五年の時、私の隣の席に座っていましたが、今はもうずいぶん変わってしまってまるで別人でした。今の田さんは、相変わらず目がパッチリしていて、話し方も優しいのですが、もうぽっちゃりしているので、私の記憶にいる田さんとは全く違います。

田さんは小学校の時、細めですらっとしていて、如何にも可愛かったのです。田先生の娘である彼女は、成績がよくて,何でも田先生の教えたとおりに上品にしていて、私のような田舎者とは比べものにならなかったのです。ですから、私にとって、彼女はまるでお姫様のように眩しかったのです。田さんとクラスメートになって、隣の席に座っていたことは、如何にもラッキーなことだと思っていました。田さんの隣の席になってから、彼女のいい成績を目標に一生懸命にがんばった結果、私の成績はどんどん上がっていきました。実は期末試験で私は田さんよりもいい成績を取りました。けれども、新学期が始まる前に、田さんは、田先生の転勤のため、転校してしまいました。私はそれを耳にして、がっかりしました。

しかし、十年ぶりに田さんに会った私は、何もいえないという気持ちになりました。どうして田さんは、横向きにしか伸びていなくて身長があまり変わっていないのか、私の記憶にいる完璧なお姫様もこれで消えてしまうのかなぁと、私は思いながら、将来のことを考えてみました。

今の田さんにいくらがっかりしていても、少なくとも懐かしい思い出が残っています。大学を卒業してから、十年後の皆さんに会う私は、どうなっているのでしょう。もしかしたら、今とは違って太っているかもしれません。それでも、ぜひ私にがっかりしないでください。また、今皆さんと一緒に楽しく送っている日々もいい思い出になるでしょう。

2年3組 兪けい城 

May 12 [Mon], 2008, 11:11
(名前の「けい」という字が表示できませんでした。すみません。「けい」は、草かんむりにワかんむり、水です。)

十年の忍耐
最近、「日本」という本を読むと、徳川家康という有名な人物が出てきました。彼は忍耐のおかげで、264年間続いた江戸時代の基を築くことができました。それは武士の支配した時代の中で最も安定して、経済的にも文化的にも栄えた時代です。

何故彼が日本統一ができたかというと、忍耐のためです。彼は自分の信念を信じ続けました。そして、ついに新しい幕府を作ることができました。

忍耐ということは私たちの生活にもよく出てきます。皆さんも大学に入る前、十年の忍耐をしたでしょう。中国では昔から、勉強などに関して「十年寒窓」という言葉がありました。実は昔は十年だけでなく、二十年も三十年もかかるのが普通でした。今も大学の入学試験のために、小学校と中学校と高校で合計で十二年かかっています。

その間、朝から夕方まで授業がいっぱいあるし、放課後宿題もたくさん出されます。それに、先生や両親や隣のおじさんまでにも「必死に勉強しなさい。そうしなければ、大学に絶対入れないよ」といつもいつも言われました。

皆さんもそのような経験があるでしょう。気持ちはどうでしょう。私は大嫌いです。学校にいる時は、ずっと授業を受けるので、遊んだりすることができませんでした。放課後は、テレビの番組がおもしろくても、宿題をしなければならないし、「勉強する時テレビなんかやめなさい」と両親に厳しく要求されるので、テレビも見られませんでした。

とうとう十二年の忍耐をしてから、みんなの希望通りに大学の入学試験に成功しました。すなわち、私は先生や両親などの要求にこたえました。しかし、これから私はどうすればいいか自分でもはっきり分りません。以前「夢は何ですか」と聞かれると、「ええと、そうですねえ・・・夢かあ。でも、夢のことを深く考えことはないな」と言うようにはっきりしない返事をしました。

私の忍耐は徳川家康の忍耐と全然違います。彼のは信念や目標を持った忍耐です。私のは両親や先生や親戚などの要求にこたえるためだけの忍耐です。私にとっては自分の道がどのような道かわかりません。行く方向も迷っています。もしかすると、ずっとそのまま行くかもしれません。あるいは、明日目が覚めると、夢が始まるかもしれません。

皆さんは自分の夢をはっきり持っていますか。