2015年度高校演劇愛知県大会について。 

December 11 [Fri], 2015, 1:42
「必ず書く」と約束してから、今日までかかってしまいました。まずは待っていた方々にお詫びを。
専門家助言者として参加した、今年の高校演劇愛知県大会について記したいと思います。


後半に何校かの講評を記しましたが、いきなりそこにすっとばさずに、長文にお付き合いください。
本当に長々と書いていますが、今年で愛知県大会の専門家助言者の任期を終える身として、ぜひ高校生の皆さんにお伝えしたいことを、一生懸命書きましたので・・・。


一応、高校演劇関係者以外の方もご覧になるかと思いますので、少しだけ説明を。
専門家助言者とは、各校の上演終了後、顧問審査員と合評をおこない、専門家の立場からの見識を述べる仕事です。また、大会5日間の4日目が終了すると、その時点での優秀賞候補6校を選出する投票に加わります。5日目に全校の上演が終わり合評が済むと、専門家は席を外します。つまり、最終的な投票には加わりません。そこから、顧問審査員と生徒講評委員がそれぞれに6校を選出し、すりあわせて、優秀賞6校が決定するのですが、そこには一切関わりません。そのため、今年に限らずですが、私の見識では候補から外れていた学校が優秀賞に選ばれることもあります。しかし、それは高校演劇関係者である顧問・生徒が最終決定をするのだという理念に基づくものであり、特にここで異を唱えるものではありません。
顧問は顧問の目から、生徒は生徒の目から見て、素晴らしい上演成果を挙げた学校を選ぶわけで、専門家助言者は文字通りアドバイザーとして、プロの目からは演劇をどのように見るのか、お伝えするわけです。(ちなみにこのシステムは愛知県大会特有のもので、全国的に同じシステムなわけではありません)


まず初めてに断っておきますが、今大会に限らず、審査結果を全員が納得することはありません。
「なんであんな学校が選ばれたんだ!」「なんであの学校が選ばれなかったんだ!」という不満は、私が現役部員だった20年前から変わりません。なので、これから記すことで、そういった不満が解消されて「そういうわけか!」と全員が納得できるかといえば、そんなことはないと断言します。たぶん、「そんなふうに演劇を見るのは間違ってる!」と思う方もいるでしょう。なぜなら、演劇を楽しむ目は1人1人違い、その目を自分自身で否定することはないからです。
では、観た人1人1人の評価はそれぞれに正しいのでしょうか?
ある意味ではイエスであり、ある意味ではノーです。

一観客として楽しむぶんにはまったく問題ありません。100人中99人がつまらないと思った芝居を、あなた1人が大好きでも、誰にも責められることはないのです。
ですが、専門家として審査するということになると、話は別です。
「演劇の正解は1つじゃない」という理念があります。例えば、ある台詞を演技・演出するにあたって、どのように解釈するか。正解は1つじゃないので、様々なやり方があります。ところが、その理念を「全ての選択は正解」だと解する人がいます。そうなると、審査員や専門家助言者が「ここはよくない」と言っても、「全て正解なのに否定するのか!」ということになります。
ハッキリと申し上げますが、演劇の正解は1つではなく、いくつかあるのは間違いありません。
が、それ以外に膨大な不正解があるのです。
全ての選択が正解などということはありません。

そして作り手は、正解を探して(できれば、自分が第一発見者となる新たな正解を探して)日夜努力しているのです。


では次に、なぜこの文章を発表するのか?について。
繰り返しますが、「審査結果の不満を解消すること」は目的ではありません。
「私たち専門家が、演劇をどのように見ているか」をお伝えするためです。
実は、そのことをお話する機会は、ものすごく限られています。
各校別講評という、上演校に直接お話する機会はあるのですが、その場は関係者以外立ち入り禁止です。
なので、その学校の上演がどのような評価を受けたのかは、上演校にしか伝わりません。
生徒講評委員が、顧問審査員・専門家助言者との意見交換したのをまとめたものは、印刷してロビーで配布されますが、それは3つの視点をまとめたものです。
時間の制約もあってなかなか機会を設けられない事情はたしかにあります。
が、そのために、高校演劇の皆さんは、何に気をつけて演劇を作ればいいのか、わからないまま作り続けることになるのです。
(特に、県大会では上演校は各校別講評がありますが、愛知県の地区大会には専門家が派遣されないため、そういった批評を受ける場も与えられません)

「演劇とはもっと自由にのびのびと作るものだ!何を気にするとか考える方がおかしい!」
私の現役時代の先輩は、そう声を上げていました。もちろん、それはそれで正しいのです。審査結果は高校演劇の、ある一部でしかない。それよりも仲間と力を合わせて1本の作品を作り上げたことこそが尊いと、私も思います。でも逆に、高校演劇の一部には審査結果がある、とも言えるのです。そして、「自由にのびのび作ればいい」というのは、水泳を習おうとする人に「自由に泳げばいいよ」と言うようなものです。もちろんそれはそれで楽しいのでしょうが、泳ぎ方を覚えたら新しい楽しさを知ります。私たちは、皆さんにそういうことをしたいと思っています。


愚痴めいた話になりますが、これを書いたところで、私の好感度が高まることはないと思います。
先に記したように、「そんなふうに演劇を見るのは間違っている!」と思われることが目に見えているからです。むしろ(特に今回の審査結果に不満を持っている方からは)批判を浴びるのではないかと思います。
では、なぜ書くのか?
繰り返しますが、「私たち専門家が、演劇をどのように見ているか」をお伝えするためです。それを現役部員の皆さんに知ってほしいからです。
もちろん、「専門家の視点に合わせて演劇を作れ」と言ってるわけではありません。私たちの見識を知った上で、そんなこと知るか!と自分たちのスタイルを貫くのも、アリだと思います。私自身、演劇のセオリーを破って、それでいて面白い作品に出会ったときには興奮します。上演校はもちろん、観客もまた、演劇の楽しみ方は千差万別です。どんなにメチャクチャな上演だったとしても、素敵な俳優が1人いたから好き!でも全然OKです。私も観客として観るときは、自分の趣味で楽しみます。が、審査ではそうはしません。いわゆる「審査員の好みで決まる」というのを避けるためです。


また、くどいようですが、上の大会を目指すことばかりが高校演劇の楽しみ方ではないことは、言うまでもありません。私が審査でああだこうだ言うのは、演劇の奥深さを知ってもらうためのアドバイス、だと思っています。「(上の大会に進むような)良い演劇」をつくることばかりに価値があるわけではありません。しかし、私自身演劇を知れば知るほど、その奥深さに驚嘆しています。だからこそ、奥深さの一端に触れてもらえたら、という思いで、もっとこうしたら、とお話しているのです。


さきほどから「専門家の見識」と書いていますが、当然ながら専門家全員がまったく同じ見識をもっているわけじゃありません。だけど、今大会では劇作家・俳優・スタッフと3名の専門家助言者が参加しましたが、その中で大きく意見が食い違うことはありませんでした。セクションが違えど、「演劇にとって何が大事なのか」にズレがなかったということです。そして、それは今年に限った話ではないのです。たぶん、皆さんが思っている以上に、専門家の意見は大きくズレることはありません。そのあたりを、皆さんにお伝えしたいと思います。



前置きが長くなりました。
つらつらと書いていこうと思います。


大会終了後にネットを見ると、「演技が上手かったから中部に行くと思ったのに!」「あのスタッフワークで県落ちは納得できない!」といった声を見かけました。俳優もスタッフも、演劇を作るための重要なパーツであることは間違いありません。私も普段、素晴らしい俳優とスタッフに支えられて芝居を作っています。しかし、例えば、俳優もスタッフも素晴らしい仕事をしている作品があったとしても、専門家はそれだけで評価することはありません。
では、最も重要視するものは何か?

端的に言うと、脚本です。
脚本が破綻していたら、評価できないのです。
極端に言えば「脚本はメチャクチャだったけど、演技とスタッフはすごかった!」という芝居を、専門家は優秀賞に推すことはありません。

これは私が脚本を書く人間だから脚本を至上としている、というわけではありません。
事実、俳優やスタッフも「脚本がダメならどうにもならん」と言います。大会終了後、私の周りのたくさんの専門家たちにも聞きましたが、やはりほとんどの人が「脚本がダメならダメ」だと言いました。皆さんも思い返してください。豪華キャストを揃えた映画やドラマでも、全然面白くなかった、という作品、あるでしょう?
もちろん、良い脚本を選べば評価される、ということではありません。それだったら井上ひさしや野田秀樹の脚本を選んだら、その時点で中部・全国大会にいってしまいます。良い脚本を選んだ上で、俳優・スタッフが良い仕事をしなければ、良い演劇にはなりません。また、脚本に多少の(あくまで多少です)綻びがあろうと、それを補って余りある俳優・スタッフの仕事で、魅力的な舞台に仕上げるケースもあります。ただ、その綻びが大きすぎると、どんなに俳優・スタッフが良い仕事をしても、評価にはむすびつかないのです。

そして今大会では、脚本が破綻している、あるいは破綻とまではいかないけれど綻びが大きい、という上演校が、創作・既成問わずに多かった、と思います。創作はもちろん大変なハードルですが、既成脚本の選択にも注意を払ってもらいたいと思います。




では、いい脚本とは何か。

これは一概には言えません。
私が戯曲講座で指導する内容はあくまでセオリーである一方、セオリーを無視して書かれた名作・傑作戯曲を私は何本も知っています。だけど、今大会では比較的オーソドックスなスタイルで、セオリーを守って展開すべき脚本が多かったので、ここではそれを指摘したいと思います。

1:台詞で解決してしまう(具体性・行動がない)
私がこれまで先輩劇作家たちに厳しく言われてきたのが、「具体性・行動がない」ということでした。それはもう、示し合わせたのかと思うくらい、異口同音で言われ続けました。つまり、脚本にとってそれだけ重要なことだということです。
例えば、10年にわたる親子の確執が、会話で解決してしまう劇を、よく見ます。絶望して自殺しようとする子を、声掛けで思いとどまらせる劇を、よく見ます。心情的には通っているのでしょうが、これでは観客に対する説得力が乏しいのです。台詞には大きな力があります。しかし一方で、台詞は脆弱です。
では、どうするのか?
ベタでトレンディなラブストーリーのドラマがあったとします。「好きだ。とっても大好きだ」と叫んでも、その想いがどれほど強いかは観る者に伝わりません。
そういうときどうするかと言うと、「雨の中で2時間待たせる」のです。その人は「好きだ」と一言も言ってないけど、観る者には「雨の中で2時間待つほど好き」ということがわかるのです。それはけっこうな愛の大きさだとわかります。これが行動です。
具体性というのは、簡単に言ってしまえばアイテムです。先の親子の確執で言えば、母親が「生まれてから今日まで、あなたのことを想わない日はなかった」と叫ぶのではなく、「生まれてから今日まで、我が子のことを想って書き続けた日記を差し出す」ということです。言葉ではなく、日記を書き続けたという【行動】を、アイテムとして【具体性】をもって、現すのです。

2:話が始まらない
今大会では特に、この傾向が強かったように思います。
「これがいったいどういうモノガタリなのか」がわからないまま、気がつけば30分過ぎていた学校もありました。起承転結の「起」の部分で、場所やキャラの説明ばかりで、なかなか展開しないことが多いのです。もちろんそういった基本情報は大事ですが、「起」で描くべきことは、それだけではありません。「起」は、「このモノガタリにおける最大の問題とは何か」を提示することです。
例えば、場所やキャラの説明を10分や15分したあと、その人たちがエレベーターに閉じ込められた、という状況に発展したとします。それだったら、いきなりエレベーターに閉じ込められるところから始めるのも一手です。その中で、どうする?どうしよう?とパニックになる中で、キャラを描くことは可能です。もちろん、じわじわと状況がわかってくる面白さをもった作品もあります。あえて事件らしい事件がなにも起こらない作品もあります。ただ、先に基本情報を説明しなければならない、という考えがあるのなら、それは捨てた方が有効です。観客に「これはいったいどういうモノガタリなのか」をわからせることが重要です。

3:悩みはあるけど、葛藤がない
登場人物が「悩み(トラウマ)」を抱えている作品を多く見かけます。が、悩んでいるだけでは、基本的にドラマは転がっていきません。ではどうするかと言えば、「悩み」を「葛藤」に転化させるのです。この違いを一言で言えば、「目的があるかどうか」です。
ドラマの基本的な構造は、「目的と障害」です。
例えば、「先輩が好き」ということで悩んでいるのを描くのではなく、「先輩が好きだから付き合いたい(目的)、だけど先輩は別の子のことが好き(障害)」というようにする。すると、障害を乗り越えて、どのように目的を達成するか、ということでドラマが進みます。

4.手続きができていない
「手続き」というのは私独自の表現なので、他の専門家は別の表現を使っているかもしれません。
ドラマは、オープニングからエンディングに向かって進んでいきます。つまり、「これが→こうなる」という流れです。「親子の仲が悪い→和解する」というように。
ですが、当たり前ですが、ドラマはオープニングとエンディングだけで構成されているわけではありません。その2つをつなぐモノこそが重要です。
つまり「これが→なんやかんやあって→こうなる」ということ。この「なんやかんや」に説得力が必要なのです。これを、いわゆるプロの演劇でも時々疎かにしているのを見かけるのです。前述した「具体性・行動」に欠け、勢いやノリやそれっぽい台詞でクリアしようとしている戯曲。
人はそれを、ご都合主義と言います。きちんと説得力のある「なんやかんやあって」を描く。これが大切です。

まだ色々とありますが、今大会で特に気になったのは、このあたりです。
これらを注意したら、脚本的な破綻はかなり軽減されるはずです。
ただ、「破綻がなければ良い脚本」だというわけではありません。
その上で、面白くなければならない。
意外な展開や、ドキドキさせる要素、大胆な試み、題材に対する新たな切り口、などがあって、初めて「良い脚本」になります。
が、そのための前提として、破綻していてはダメなのです。



各校の細かい講評については、顧問講評委員として参加した「帽子のU−MA」さんが大会直後にTwitterで書いたものと大きな相違はありません。個人の感想とされていますが、かなりうまくまとめてくださってますので、未読の方はぜひご覧下さい。
その上で、私が個人的に推した6校と、その他に気になった3校について取り上げて記そうと思います。
また、その学校の講評から意識的に脱線をして、芝居作りに大切なことを書いていきます。

私が個人的に推したのは、蒲郡東・横須賀・大同大学大同・刈谷東・愛知・春日井で、他に成章・高浜・富田も印象に残っています。(いずれも上演順)
最終的に優秀賞に選ばれたのは、蒲郡東・大同大学大同・金城学院・刈谷東・春日井・富田です。

ちなみに余談ですが、某所で「日程的に各日から1校ずつバランスよく選ぶ配慮がされたようだ」と書いた方がいたようですが、そんなことは全くありません。というか、最終的に10人以上の合議・投票で決めるのに、そんな配慮ができるわけがありません。それを書いたのは、自己申告によれば高校生や関係者ではなく演劇経験の長い大人の方だということです。高校生は自分が関係することですから、つい感情的に考えてしまうこともあるでしょう。でも、無関係な大人が、まったく根拠のない推測で、結果だけを見て、そのような批判をすることを、私は強く批判します。そのような全くのデタラメを言って、結果に一喜一憂した高校生をいたずらに戸惑わせてどうするのですか。本当に、それには強い怒りを覚えました。

【蒲郡東】
特筆すべきは、アクティングエリアの狭め方。下手のドアの位置はもちろん、上手にさりげなく置かれた机で、見事にエリアを狭く設定していました。未だに、「舞台はいっぱいに大きく使わなければならない」という考えを拭いきれずにいる学校を見かけます。当然ですが、作品によって適切なエリアというものがあります。間口10間の広大な舞台での大会だったとしても、作品に適したエリアが1間四方だったら、そこだけを使えばいいのです。最初は不安かもしれませんが、適切でない広さで、舞台をいっぱいに使うように役者が頑張ると、空回りしがちです。蒲郡東は、それを見事に回避していました。前半のドタバタコメディな展開をするにあたって、この狭さが効いています。適切に狭くしたアクティングエリアのおかげで、役者はごく自然に演じることができていました。
脚本のもつ笑いどころ以上に、演出と役者で面白くなっています。役者の息の合い方も見事で、たくさん笑わせてもらいました。しかし、自殺志願者であると明かされて以降は、彼らの絶望が見えづらくなってしまいます。前半の会話が巧みに書かれているのに対して、自殺志願の話になってからは抽象的で様式的な台詞まわしが中心となります。雰囲気はあるのですが、雰囲気だけで彼らの切実な苦しさがボンヤリとしか伝わってこないのです。そして、幽霊による説得で自殺を思いとどまるに至る心境の変化も、台詞の応酬で処理しているため、はっきりとしません。ここは、より具体性と行動が求められるところです。
後半の演出・演技で改善するとしたら、まずはテンポの変化だと思います。今は勢いで突っ走っている感じですが、そのために単調になり、大事なセリフが頭に入ってきません。ポイントポイントでテンポを変えたり、間を入れるといった変化を富ませることで、観客にセリフが届きやすくなります。
既成脚本ではありますが、脚本の良い所と悪い所が極端なため、推すことをためらいました。が、上演校は良い所の伸ばし方が非常に見事だったので、最終的に推すことにしました。

【横須賀】
卒業アルバムの写真にまつわるオムニバス的に構成されたストーリーで、随所にあらわれる人生の侘しさの描写が印象的でした。
しかし、高校生が大人を演じる上での、無理や苦労を感じました。大人の目線から見た切実なる現実を、役者がどこかピンときていないように見えたのです。なにも、高校生は高校生しか演じられないと言ってるわけではありません。逆に、大人を演じることで、いつもの自分ではわからなかった発見を得られるかもしれません。ですが、今作は顧問が書いた脚本で、大人の苦味がよく書かれていた一方で、その苦味をどうやって高校生に実感させるか、が作品の肝であると思うのです。そのサポートは、やはり高いハードルを課した顧問の先生にしっかりしてほしかったと思います。
冒頭で、写真同士が会話をするオープニングは、それだけで涙腺を刺激するものがありました。同窓会で再会したとかではなく、写真同士で話、自殺した同級生も会話に加わっている。それが成立するところに演劇の豊かさを感じました。
それだけに、ラストを2人のスカイプで終わらせるのではなく、オープニングシーンをリフレインさせて終わってもよかったのではないかと思います。そのスカイプでは、どうしても持った枠がスカイプの画面に見えてしまいます。でもそうではなく、膝の上にひろげた卒アル写真であるという設定は、混乱しました。というか、実は今作は短編として初演されており、私はそれを観ているのですが、そこでは大人になった2人が制服を着てスカイプをしているという設定だったと記憶しています。長編化にあたりそこを変更したわけですが、演出的に整合性がとれてないように思います。
それぞれのエピソードもよく練られていたのですが、最も笑いが起きていた1時間目の放課のシーンが、まったく卒業アルバムと関係なかったのは、残念。

【大同大学大同
蒲郡東と同じく、アクティングエリアの狭め方が見事。大きな装置に目がいきがちですが、メインのエリアである交番内は意外なほどに狭いのです。舞台を広くいっぱいに使わなくても面白いということを実証する好例です。また具象のセットで上演する以上は、広さのリアリティもある程度求められます。あまりに広すぎる交番は、やはり不自然に見えてしまう。リアリティを損なわない広さで、役者が演じやすい空間が成立していました。
それもあってか役者は自然体で巧みに、いきいきと演じていました。特に、巡査長や店長といった大人を演じるのは難しいことですが、肩の力を抜いた演技は見事で、説得力がありました。また、若い巡査は、役者の実年齢より少し上という、言ってみれば中途半端さが難しい役どころでしたが、これも良く演じられていたと思います。ただ、彼の悩みと成長がストーリーの軸の1つであるのですが、苛立ったりといった変化がやや唐突なので、もう少し感情の起伏を丁寧にしてほしいところです。
既成脚本ではありますが、少女の悩みの描写が書き込み不足で、浅く、とってつけた印象がありました。地域や家族といった狭いコミュニティでのコミュニケーションという題材はいいだけに、もっと突っ込んでほしいと思います。
少女を病院に送るくだりでは、警察が送るということはパトカーかな?と予想させてしまいます。なので、自転車は伏線として、上手の壁際(これも黒パネルではなく、ちゃんと壁にしてほしい)に最初から置くのも一手だと思います。そもそも、下手袖から持ってくると、自転車をいったいどこに停めてたんだ?となります。その後の展開でリアリズムはふっとぶのですが、自転車の置き場所については展開と関係がないため、リアリズムを無視するのは、たんに上演側の都合になってしまうのです。この違いは、わかりづらいかもしれません。簡単に言えば「面白いかどうか」です。
自転車で空を飛ぶのは面白い。だからリアリティがないけど許されます。
では、下手袖から出すのはどうでしょう?そこでは「自転車を隠しておいた方が面白い」という判断があったとしても、「下手袖から出すことが面白い」とはなりません。例えば、交番の陰に隠しておいてもいいのです。それならリアリティがあります。が、そうはせず交番から離れた所から持ってくるのは、「上演側の都合」なのです。具象的なセットで、リアリズムベースで展開してきている作品だけに、そういったリアリティは求められますし、逆にだからこそ、最後の最後で自転車が飛ぶというぶっとんだ逸脱の仕方が痛快なのです。
また、病院に到着してからは、自転車を持ってはけるのはどうしても見えてしまいます。もう1つサスがついて、少女がそこに飛び込むという形で処理した方が良いかと思います。

【刈谷東】
手紙以外の台詞を全て排除して物語が成立しているのは、非常に巧みです。そしてポイントは、手紙を読み上げるのが書いた本人じゃないことです。演劇に手紙はよく登場します。しかし、通常は書いた本人が読み上げることが多いのです。「私はあなたが嫌いです」という手紙を読むときは、書いた本人の心情で「私はあなたが嫌いです」が読み上げられます。これはモノローグ代わりに使うのに便利だからです。しかし、今作では手紙をもらった人が「私はあなたが嫌いです」と読み上げる形になります。この時のセリフは当然、嫌いだと言われた人の心情で読み上げられます。これによって、手紙を送った人・もらった人、双方の心情が、文章と声の両面によって同時に描かれます。もちろん、もらった人が読むパターンもありますが、ここまで徹底した劇は初めて見ました。そして、非常に効果的でした。
さらに、登場人物3人による手紙は、嘘が書かれています。もちろん本当のことや本心も含まれているのですが、身分や立場は虚偽のもので文通をおこないます。にも関わらず、彼女たちの心情はきちんと観客に伝わる。非常に難しいことをやってのけたな、と感服しました。
舞台は、刈谷東高校に入学する不登校者2人の物語として進行していきます。が、最後の最後で1人部室で待つ子の笑顔で終わることで、彼女もまた孤独に戦っており、彼女が2人と出会うまでの物語であったのだとひっくりかえす手つきは鮮やかです。
しかし、スローモーションは饒舌すぎるし、簡素な構成だからこそ、もっとタイトな上演時間にまとめても良かったのではないかと思います。
私は拝見していませんが、少し前に初演された作品であり、それと脚本・演出的に変化がないという指摘もありました。が、私も再演することはありますが、脚本・演出が完成されていても、役者が変わると1からつくるような苦労があります。そして今作は、脚本・演出の見事さは前述した通りですが、役者の力量が作品の出来を大きく左右するものでした。それを踏まえて優れた上演成果を挙げていると評価しました。また、これは審査評価とは別にですが、高校演劇では、再演はタブーなのかという問題について考えさせられました。

【愛知】
幻想的な世界観が美しい物語でした。哲学的であり科学的であり文学的でもあり、脚本の時点で雰囲気作りに成功していました。
主人公2人の心情の描写は決して雰囲気でごまかすことなく丁寧に描かれていたのですが、2人の関係性の背景はいささか説明不足で、なんとなくはわかるけど漠然としているという、なんともモヤモヤしたまま物語を見ることになりました。上演時間の都合はあったのでしょうが、脚本を刈り込むにあたっての取捨選択には一考の余地があると思います。
また、月兎との対決は今作最大の緊張感あるシーンになるはずだったと思いますが、決着がつくにあたっての説得力に乏しい。なぜ、月兎は敗れたのかがわかりづらく、白けた空気になってしまいました。脚本はもちろんですが、照明や音響などの効果ももっとふんだんに使って見せた方がいいかと思います。雰囲気作りは演劇にとって重要な要素ですが、一方でストーリー展開は雰囲気では誤魔化せない。その両方があってこそ、良い作品になると思います。
「いないのいないの消えちまえ!」と叫び、教授が去っていくシーンの物悲しさは、今も印象的です。

【春日井】
大人数で躍動する滝高校の脚本ということでしたが、私は初演を観ていません。が、人数が激減していることからもメインの登場人物にしぼって再構成したとわかります。そして、それは非常に功を奏していたと思います。役者たちも生き生きとして魅力的でした。
ただ、椅子をめぐっての関係性の変化を見せるにあたって、孤立感を際立たせるために教室を広く使っていたのだと思いますが、空間設計としては一考の余地があります。まず教卓と生徒机が不自然に離れていること。おそらくラストの廊下から見つめる先生を見せるために空けたのでしょうが、あまりに不自然な距離になっています。そして、生徒机が舞台後方に固まっていること。椅子を放棄した生徒が前に座るためでしょうが、あそこまで奥にする必要はありません。
また、前半の活気溢れる役者のやりとりは魅力的ではあるのですが、舞台の横幅をいっぱいに使おうとしすぎるのが気になりました。もっと狭く使って、後半のバラバラになるくだりで舞台をいっぱいに使えば、空間の広さがそのまま彼女たちの心情と重なって見えたはずです。空間設計というのは、見せる演出としても、役者に対する影響としても、非常に大きいものです。もっと吟味してほしいと思いました。

【高浜】
正直、最初は「これはどうなのか?」と思いました。あまりに広い舞台に、ほとんど何もない装置。それでいて淡々とした、特に事件が起きるわけでもない会話劇。その選択は間違いではないかと思いましたが、役者が意識的に離れた距離に立ち、会話するにあたって必ず駆け寄るという表現を繰り返し見るうちに、ああ、この駆け寄るということを見せるためだったのかと思い至り、そのコンセプトに集中したアプローチに唸りました。人が人に駆け寄る、それは関係性を縮めようとする意識の表れです。そして、時に近づきすぎたり、不用意に近づいて相手を傷つける。それを言葉でなく表現したところに今作の美点がありました。そう思ってからは、何気ないやりとりに、青春の美しさと残酷さを感じて、涙腺が緩みました。
また、高校演劇では最後に話し合ってわかりあい、解決するというパターンが非常に多いのですが、今作ではそれを否定しています。必死に話し合った結果、相手は「私はそうは思わない」と否定します。ラストでは、主人公は妥協して「もうわかった」と言いますが、スッキリしない心持で空を見上げる。人と人はわかりあえなく、それでもやり過ごして生きていくという、辛らつな描写が胸を打ちました。しかし、それが現実なのです。私たちは、わかりあうことの方が少ないのです。だからこそ、わかりあう努力をし続けなければならない。その結末を、私はとても評価しています。
しかし、そのラストに至るまでの会話の応酬は、あまりに言葉で進めすぎて、いま何が語られ、話がどこに向かっているかも見失うほどでした。そこで集中がとけて離脱した観客も多かったのではないでしょうか。
センスを特に感じる作品だっただけに、残念に思いました。

【富田】
脚本・演出のセンスが、非常に高い舞台でした。S.S.を中心とした照明とコロスの存在で、心の水面下でのざわめきを感じさせていたのは効果的です。また、メインの舞台を中心の2間半四方程度にしぼったこともいい判断でした。
なんてことない会話ですが、教室の窓から見える海のことを話すシーンが美しく、世界の広がりを感じさせ、印象に残っています。しかし、主人公は自らの身体の醜さに絶望している。「世界の美しさ」と「自分の肉体の醜さ」という、「大きいものと小さいもの」「美しさと醜さ」の対比が鮮やかで効果的です。
が、りーちゃんの問題は悩みにとどまっており、葛藤にまで至っていません。先生が「マスクをしたままでは卒業式に出させない」と言いますが、その後自身で撤回するように、彼女にとって葛藤に至るまでの材料にはなっていません。女の子の顔の傷というのは、問題としてあまりに大きいだけに、簡単な救済で解決する類の物語ではないように思いますし、そうしなかったことには好感がもてますが、彼女の苦しみをあぶりだすための、周囲の材料は一考の余地があると思います。

【成章】
有名戯曲で、かつて読んだこともあったのですが、その時の印象よりも面白いと思いました。
とにかくこの戯曲は、この物語における最大の問題とは何か、の提示が早く、見やすく設計されています。
メインの役者2人の関係性も自然体で嫌味がなく、徐々に距離が縮まっていく過程に説得力があり、微笑ましく観ることができました。また、他の役もそれぞれに好演しており、地味な役ではありますが、不良仲間の、ボスではない方の人は、迷いや気遣いが過不足なく伝わる演技で、特筆すべき存在でした。
空間設計的には、病室をあまりに下手に位置させており、それは不良のシーンを見せるための都合でしかなかったように思います。都合はどうしてもついてまわりますが、基本的にはもっとも効果的な選択をするべきです。病室を真ん中に据えることはどうしても不可能だったのか、考えてほしいと思います。
また、原作にはない臨終シーンを足していたのは、私は逆効果だったと思います。わかりやすくするためだったのだと思いますが、良くありません。というのは、この戯曲では、最初から彼が死ぬことは観客の誰もがわかっているのです。だからこそ、死ぬくだりを描かないと判断した作家のセンスは素晴らしいのです。
そこがこの戯曲の大きな美点の1つと言ってもいい。それを損なってしまう判断だったと思います。



この長文を読んで、どんなこと思いましたか?
納得したところもあれば、納得できないこともあったと思います。
でも、もしあなたが演劇を続けるのなら、納得できないこともちょっとだけ頭の片隅に覚えておいてほしいのです。
もしかしたら、いつか、あなたが悩んだ時に解決するヒントになるかもしれません。
実際、私は、そう特殊な演劇理論の持ち主ではありません。すべての専門家が同意見だとは言いませんが、極端な見方で審査をしているわけではないと自負しています。

私が願うのは、これから高校生の皆さんが演劇を楽しむ上での、ちょっとしたコツを覚えてくれること。暗中模索で闇雲に頑張るのは、かなりシンドイものです。なんでもそうですが、コツを覚えると、その物事を深く楽しむことができます。皆さんが楽しんでいる演劇は、実はもっともっと深く楽しめるものなんです。私は皆さんよりも少しだけ長く演劇をしているから、それを知っています。

もっと演劇を好きになってもらいたい。
そう願っています。


受賞。 

December 25 [Wed], 2013, 9:24
『クラッシュ・ワルツ』が第19回劇作家協会新人戯曲賞を受賞しました。

本当に、本当に、ありがとうございます。
10日ほど経ち、やっと少し冷静に、しみじみと喜びを噛み締めることができるようになりました。

諦めなくて良かった。

受賞決定の瞬間も、今も、爆発的な歓喜ではなく、安堵の感情が大きいです。

PLAN-04『クラッシュ・ワルツ』(再演)公演期間中と、まさかのバッティングをしてしまった公開審査会。
キャスト・スタッフに無理をお願いして、東京に行かせてもらいました。
刈馬演劇設計社は私のソロユニットですから、私が不在にするということは、主催者が1人もいないという状況になります。
そんなことを許してくださった関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

当日は、夕方からの審査会の前、昼過ぎから頭痛と吐き気におそわれていました。
公演中の疲れと、緊張からくるものだったのでしょう。
各候補作の冒頭15分を紹介するプレビューリーディングを経て、公開審査会が始まります。

まずは作品を1つずつ講評していきます。
別の作品に絶賛が集まり、私の作品はというとあまり芳しい評価は得られなかったように思いました。
その時点で、一度天を仰いだことを覚えています。
「あぁ、終わったな」、と。
送り出してくれた座組のみんなに申し訳ないな。明日謝らなきゃ。がっかりするだろうな、と考えていました。

さて第1回目の投票です。審査員7名が、1人2作品ずつ票を投じます。
そうしたら、なんとトップに立ったのでした。
もう負け戦だと覚悟していたので、本当にびっくりしました。

今思うと、指摘された欠点が的確なものばかりで過剰なダメージを食らっていたのでしょう。
メモを見返すと、それなりに評価するコメントがあるのに、反省が上回り、絶望に至ったようです。

私がトップに立ったものの、たんに2位票が多く集まった可能性もあります。
各作品の得票数は、0・3・5・3・3と、まだ予断を許さない状況。
審議対象作を絞るため、この時点でイチオシの作品を各審査員が明かすことになりました。
つまり、1人1票での投票です。
結果、0・2・3・1・1となり、僅差ではありますがトップを守りました。

1票が2作品あるため、それについて討議をし、改めてイチオシを聞くと、結果は変わらず。
ではということで、得票数の多い2作品に絞っての、決戦投票となりました。

結果は、2対5で、『クラッシュ・ワルツ』が変わらずトップ。
(鴻上さんはこの2作でかなり迷われていたので、実質的には2.5対4.5くらいでしょうか)
こうして、受賞が決定しました。

その瞬間、さきほどとは違う意味で天を仰ぎました。
「あぁ、本当に良かった」
ただただ、そう思いました。

すぐに会場を出て携帯電話の電源を入れ、妻にかけます。
ワンコールもなしに、「もしもし」と妻の声が聞こえました。
「もしもし」と返します。
「どうだった?」
一息おいてから「獲った」と答えました。
「獲った!?」
すぐに、電話の向こうから、すさまじい歓声が聞こえてきました。
座組のみんなは、本日の2ステージが終わったあと、疲れているにも関わらず電話を待っていてくれたのです。
喜びの爆発はしばらく続きました。
妻が「おめでとう!よかったねぇ!」と何度も言った声を、私は生涯忘れません。

この賞は、どうしても、絶対に獲りたい賞でした。
名古屋では、数年前に平塚直隆さんと鹿目由紀さんがダブル受賞を果たしました。
2人は年も近く、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されています。
一方、私は20代は好調だったものの、それから劇団を2つ解散し、作品的にも長いスランプに陥りました。
これが限界か、こんなに苦しいなら、と演劇から離れることを考えもしました。世間的には「刈馬は終わった」と思われていたことでしょう。
でも、やめなかった。その結果が今回の受賞です。本当に、諦めなくて良かった。そう思います。
先を行く2人への挑戦権をやっと得られたように感じます。

そして、大事なのはこれから。
講評では様々な耳の痛い言葉をいただきました。どれも私の大きな課題です。
さらにもっと良い戯曲を書き、良い舞台を作り続けていく。
そのとき初めて、この賞に値する演劇人になれるような気がするのです。

これからも、どうか宜しくお願いします。

ものすごく久しぶり。 

November 27 [Wed], 2013, 12:09
えー、と。

半年以上ほったらかしていたブログですが、というかブログの存在を忘れていましたが、じゃあなにやってたかっていうとTwitterにうつつをぬかしておりました。そっちは毎日更新しているのですが、こっちはこのアリサマ。そんなオレサマ。
HPを更新して掲載されたものですから、放置し続けるのが申し訳思えて、アクセスしました。パスワード忘れてなくてよかった。

近況報告としましては、5月公演がすごい盛況で終えることができまして。春から指導していた、愛知淑徳大学ジェンダー研究会演劇プロジェクト『にじいろちらしずし』の演出を8月に。大道芸人プロダクション「TEAMパフォーマンス・ラボ」のショウと無言劇をコラボさせた『ミラクル・イリュージョン・サーカスwithDEAR』の演出を10月に、それぞれ終えました。あと、そうそう、高校演劇の岐阜県地区大会審査員と、愛知県大会専門家助言者と、名古屋地区合同講習会の全体会・分科会(演出)講師をつとめたのも忘れがたい経験でした。

そして現在、5月に初演した『クラッシュ・ワルツ』が第19回劇作家協会新人戯曲賞の最終候補にノミネートされています。12月には最終候補5作をまとめた本が出版されますので、ジュンク堂とか丸善とかの大手書店でならお買い求めいただけるかと思います。この賞、数年前に鹿目由紀さんと平塚直隆さんがダブル受賞したので、東海地方の方にも聞き覚えがあるでしょう。2人が受賞したことで「ちゃんと実力あるなら獲るでしょ」といった空気があるように感じますが、佃典彦さんもはせひろいちさんも最終候補には残りましたが受賞は逃してますからね。賞は本当に時の運です。でも、それだけ鹿目・平塚両氏がすごいとも言えます。
そんな『クラッシュ・ワルツ』、12月に再演します。

初演から7ヶ月ですから異例のスピード再演なんですが、非常に反響が大きく、「もう1度観たい!」という声を本当にたくさんいただき、その声に背中を押される形で決定しました。そうじゃなきゃ、こんなリスキーなことできません。既に稽古は始まっていますが、初演とは違うところも多々あります。また、月曜20時公演も設定していますので、土日は都合が悪い方や、稽古があるから見に行けないという方も公共施設休館日なのでご覧いただけます(演劇人あるある)。詳細は、刈馬演劇設計社HPでご覧ください。チケット予約も、そちらからご利用いただけます。

また、ときどきブログも更新したいと思っています。そのときはよろしく。
刈馬でした。

新作情報 

December 01 [Sat], 2012, 10:42


Twitterでもお知らせしましたが、刈馬演劇設計社PLAN-02が、2013年5月に公演決定しました。
今回はなんと、新旧2作を交互に上演する試みです。

まずは、新作。

『クラッシュ・ワルツ』
刈馬が初めてトラフィックサスペンスに挑む。息づまる心理と、1つの不幸な事故から生じた人間関係。

そして旧作。

『マイ・フェイバリット・バ――――――ジン』
身体障害者専用デリヘルを始めた若者たちを描いた代表作を、オールニューキャストで7年ぶりに再演。

詳細は、ウェブサイト・ブログ・Twitterで随時公開。
どうぞお楽しみに!!

シャベル男女 

November 02 [Fri], 2012, 2:04


今月末にUSTREAMでネット配信されるリーディングドラマ『シャベル男女』脱稿しました。
といっても、一晩寝かせて明日書き直すという仕上げ作業が残っているのですが。

今回は、オレンヂスタさんの12ヶ月連続USTREAM公演の一環として御依頼いただきまして、書き下ろした新作戯曲であります。打ち合わせとはまったく全然違うものになりました。そういうことはよくあると島本和彦先生がおっしゃってたので、ご勘弁いただきたいです。

これまでリーディングを演出したことは何度もあります。しかし、リーディングを前提に台本を書き下ろすのは初めての体験で、ラジオドラマとも違うし、どうしたらいいものかとかなり悩みました。私なりの考えの1つを提示したつもりですが、いつかまた違うパターンでも書いてみたいなと思います。リーディングだからこそ可能な面白さもあるはずです。

演出も俳優もオレンヂスタの方々なので(一部、客演俳優はいます)、あとは彼らの色で染めてもらえたらなぁと思います。私は私なりの色をガツンと出したつもりなので、それをどう料理してくれるのか、楽しみでもあります。

放送は11月の最終日曜日。詳細は、オレンヂスタ公式HPをご覧下さい。
アーカイブとして、その後も視聴可能とのことですので、お楽しみに。
プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:刈馬カオス
  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 誕生日:1977年10月6日
  • アイコン画像 職業:その他
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刈馬演劇設計社 代表

劇作家・演出家
愛知淑徳大学交流文化学部非常勤講師

「メガトン・ロマンチッカー」「テラ・インコグニタ」2つの劇団活動を経て、2012年よりユニット「刈馬演劇設計社」を始動。


近畿大学文芸学部芸術学科演劇・芸能専攻卒業。
劇団「青年団」での俳優活動を経て、七ツ寺共同スタジオ30周年記念事業の作・演出を担当したのを機に、劇作活動に専念。以後、自劇団公演以外にテレビ・ラジオ・他劇団への作品提供、ワークショップ講師、芸能プロダクションの演技講師、高校演劇大会や若手劇団フェスティバルの審査員など多数。2011年より愛知淑徳大学非常勤講師に就任。
佐世保小6同級生殺害事件を題材にした『モンスターとしての私』で、第18回テアトロ新人戯曲賞佳作受賞。身障者専用デリヘルを題材にした『マイ・フェイバリット・バ――――――ジン』で、第8回AAF戯曲賞最終候補。

お仕事の依頼は下記にまで。
(☆を@に変換して送信してください)
karuma_engeki☆yahoo.co.jp

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