KURAMANを読んで 

January 25 [Sun], 2009, 17:56
面白かった。

久々にマンガにはまったような気がする。

KURAMANは良い人生のために、偏差値の高い高校、大学、一流企業に入るべきであるという考えが学校で当然のようにみなされている中で、主人公が好きな子とお互いの夢を実現させていこうねとはげましあってがんばっていくマンガである。

まず良い人生設計のための勉強主義に一石を投じているところが良い。

その考えが悪いと批評はさほどしないで、自分の目標を実現させるために、自分の好きな子との約束を果たすために、ひたむきに漫画家になろうとする生き方が良い。

良い人生設計も大事であるけれども、その良い人生設計事態がなんのためにあるのかを考えさせてくれるようなマンガである。

そして主人公の単純な(ひたむきな)姿勢が良いと思う。

勉強の意欲 

January 07 [Wed], 2009, 23:13
最近勉強を教えていて思うのはやる気が出ない学生が多くなっていると思う。

年齢の減少するにつれてその傾向が顕著であるように思う。

将来の日本が心配であるというような大言じみたことは言わないが、このままではけっこうまずい気がする。

その原因を深く究明するつもりもなんとか学生にやる気をださせる気力も十二分には持ち合わせていないのであるが、もう少しなんとかなってほしいものである。

勉強することで良い大学に行けて、良い就職先につけて将来が安定する可能性が高いとか、勉強すれば教養が身につきより豊かな人生が送ることができる蓋然性が高くなるというのは事実であるとは思う。

しかし、それでは学生たちが勉強のやる気にはあまりつながらないと思う。

そもそも将来いいことがありそうだから勉強するという考えにあまり同意できないと思う。現在の勉強という苦痛と引き換えに将来の安泰がトレードオフをなしていない。

この議論をする前になぜ勉強をすることが苦痛であり、進んで勉強をしていけないのかということを考えねばなるまい。

それについては今度言及することにします。

料理について 

January 04 [Sun], 2009, 1:05
なぜぼくが料理をすることについて語るのかを考えてみる。
そもそも「一から料理をする」ということはいったいどんなことなのかということに思い巡らす。
一般的(であると勝手に思い込んでいる)な考えとしてはスーパーとかで材料を購入してそれを後に切る、いためる、焼く、煮込む等をしていくことであると思う。
つまり、スーパーで売っているものを使って料理をつくると・・・。
ということは途中からある材料を別のものにするということだよね。
不思議なのは、一から作るのではなく、途中のものを変形させて他の形にするということ。
例えば、野菜の種をまいて育てた野菜を用いて料理を作るということであるならば完全な料理といえるのであろうか?でもその初めの野菜の種も実はどこかの誰かからいただいたものだったりするわけであるわけだから、完全に自分が一から料理することは原理的に無理なんではないだろうか。
話が飛んで、そもそも一人で生きていくこと自体が原理上難しいわけであって。
ぼくらはご飯を食べるにせよ、電車に乗ってどこかに行くにせよどこかで社会とつながっているということを避けられないのではないだろうか。
というようなことを考えてみる今日この頃。

自分にあった言葉、好きな言葉を使っていきたい。 

August 13 [Mon], 2007, 2:57
ぼくが哲学の本を読んでいて感動してびっくりした言葉の一つがロラン・バルトの「ソシオレクト」である。ソシオレクトとは自分の発している言語によって価値観や考えかた、行動様式から服装までもが規定されてしまうことである。

例えば、数学の先生はほかの教科の先生に比べて基本的に堅苦しい、まじめで、頭がかたいような気がする。これは数学という記号を使った、文字に感情を一切に伴っていない理路整然とした言語を使っているからである。
政治家は眉間に皴がまじっていて、顔に英気や気力や仕事をしていて幸せそうな雰囲気が感じられない。どんな言葉を使うのかを考えてみると「厳粛にこの事態を受け止め…」、「前向きに検討していきたいと思っています…」、「大変遺憾に思っています…」など非常に堅苦しいことを言語を用い、時には心にもないことを平気で述べて平然といっている。こんなことを何年も続けていれば、ああいうお顔になるのも無理はないではないか。ぼくは政治家のような顔をしている農家の人というのをみたことがない。畑仕事に従事している人たちを考えてみてほしい。年期の入った温かみのある笑顔で、農業に一生懸命いそしんで、とても晴れ晴れとした顔をしているではないか。

「ぼく」という呼称を使う人は謙虚でまじめで素朴な印象を受ける。「オレ」という言葉を使う人は「ぼく」という言葉を使う人々よりも、強気で勢いがあり独善的な印象を受ける。これは自分の発する言葉によって価値観や性格が規定されてくる証拠である。
勘違いしないでほしいのは、素朴で謙虚でまじめな人だから「ぼく」という呼称を使うのではない。
「ぼく」という言葉を使うことによって素朴でまじめな性格になっていくのである。
日本には多くの方言がある。大阪弁を使う人々はどちらかというと語気がきっぱりとしていて強気で高圧的であるが東北地方の方言を使う人々は落ち着いていて、のほほんとした、感じの人が多い。
使う言葉によって、使う語調によって、使うイントネーションによって考えかた、性格、行動様式が変わっていくということに非常に驚いた。

交換について 

June 30 [Sat], 2007, 21:09
 某日、某時、某分トランプをして遊んだ。行った種目はババ抜き!!
ババ抜きをしていてひらめいた。
これが人間を人間たらしめている本質的な要素を含んだ遊びではなかろうかと。
ババ抜きをしていて最も盛り上がるときはいつだろうか。
ぼくが思うに一番に手札の枚数を0にして最初に勝った人ではない。
最も盛り上がるときはババの所有者が絶えず入れ替わっているときである。
やってみるといつでもそうなると思うのであるが一番最初に上がった人は喜びはするものの、その後は他のプレイヤーを傍観しているし他のプレイヤーも自分の手札を少なくすべくすぐにゲームを再開する。ババを絶えず引かせようと思っている人、ババを引いてしまった人もこの瞬間が最も白熱するはずである。
つまらないのはババが同一プレイヤーによって所有され続け循環しないときである。盛り上がるときというのはババを持つプレイヤーが絶えず入れ替わりババに関わった人が多いときである。
このゲームは勝つことにおもきをさほどおいていない。ほかのゲームを考えてみると大貧民、ポーカー、ブラックジャック、スピード、ページワンといったように勝つことを目標としているゲームが多いがババ抜きは相異なる面白さを有しているように思われる。このカードを「交換する」ということ自体がこのゲームの目的である。人間を人間たらしめているのはこの「交換する」ということを通じてによってしか成りえないからだと思う。

なぜ人間が人間たらしめいるのは「交換すること」を通じてしか成りえないのか。
私たちは言葉を交換することによってコミュニケーションをすることができるし、お金を創ったことによっていろいろなもの(財貨、サービス、情報など)をやりとりし交換することができる。

内田樹(レヴィストロースかな?)は「街場の現代思想」の中で次のように言っている。
「交換」というのはコミュニケーションのことだ。「ことば」を交換すれば、それは言語活動になる。「女」を交換すれば、それは親族組織になる。「財貨サービス」を交換すれば、それは経済活動になる。人間と他の動物を区別する標識は人間がこの三つの水準で交換を行うということであり、ただそれだけだ。言葉を交わし、愛を交わし、お金をやりとりするもの。それが「人間」の定義である。


畢竟するに、人間とは「交換すること」を通じて人間になったのである。ババ抜きというのは、勝つことよりもカードを交換しババの往還を楽しむゲームであるのでぼくは好きです。

って、書いてたんだけど、インターンシップをそろそろ申しこまねば夏休み暇人と化してしまいます(汗

ゼミの効用とは何ぞや? 

June 23 [Sat], 2007, 0:15
学校の授業でゼミ(10〜20人が机を円卓に囲んでディスカッションしたり、反対派と賛成派に分かれてチーム形式でディベートしたりしてます)をはじめてしてます。
3年生になってはじめてゼミをやった。
文系の学校ではゼミを結構な頻度で授業にとりいれているのでしょうかね。
理科大学ではゼミというものをまずとりいれていない。
ひたすら先生のお話を90分間聞く日々が続く授業が大半である。ゼミは読書や一般の授業とはどう違うのか考えたい。
まずゼミで涵養される能力としては、みんなの前で緊張せずに発表を行うこと、自分の考えをきちんと丁寧に相手にわかるように説明することである。これは、とても大切なことだね。
しかし、自分の発言時間など90分の授業ではたかだか多くとも一人当たり、7〜8分といったところである。ほかの時間はずーっと他人の意見を聞かねばなるまい。
他人の意見というのははたして有意義なのか、というか自分の発言も有意義かどうかはなはだしいものであるが。
大学生の意見なぞきくよりも、自分で読書でもして頭脳明晰な著者の見聞を拝見しているほうが知識がつくのではないかとも思う。
しかし、やっぱりゼミにはゼミのよき効用があるとも思う。
知識が豊富にあってもあんまり意味がないような気もする。
アウトプットのしかたをゼミで学習するのもいいことだと思う。
眠いので今日はここまで…続きはまた後日です〜

空気を読める人読めない人 

June 22 [Fri], 2007, 23:52
ひさびさの日記
大学が私に、課題をめっさだしてきて、更新できてませんでした。おつー
コメントかいてくれた方には後日きちんと返信したいと思います。

今回のテーマは空気が読める人と空気が読めない人
ということが考えてみます。
まずは「空気が読めるということについて」空気を読むのがうまい人というのはつまるところその場でもっともふさわしい行動や発言を行うのが上手な人のことだと思う。
話している話題と関連性がある話題をだすとか、デリカシーがあり配慮がうまく他人に迷惑をかける行動をしない人であると思う。
ということは、空気を読むのがうますぎる人というのは、あんまり面白くないんじゃないのかなと思うのだが。「あの人は天然で面白い」と言う人が身近にいますよね?
天然な人というのは、一般人では考えもしなかった奇異な発想をするとか、一般人とは微妙に異なった行動をする(うなずきの仕方が変、変な仕方で返事をするとか、、、思いつきませんがたぶんこんな感じ)これは空気を読むのがうまい人のカテゴリーには入らないと思うのです。
どちらかというと空気を読めていないが、新しい雰囲気、概念をその場にもたらす面白さを見出しているという気がします。そもそも私たちが笑うときというのはその場の状況につかわない発言、そぐわないことが起こったり、予期せぬことの到来にたいして、その場ではもっともふさわしい行動や発言が起こらなかったときに起こるものであると思う。
ということでその場にもっともふさわしい、しなければならないことをすることは面白くないと思う…場合があると。。事務的行動は面白くないのはこのようなためかと。

出川哲郎やふかわりょうはよくトークですべっていると思う。しかし、すべるべき人がすべる発言をきちんとすることで周りからは毎度のように突っ込みが入りいつも番組は盛り上がっている。というわけで空気を読めない人というのは面白い場合もあるんじゃないと思ったりするわけです。
そもそも空気を読める人と、読めない人の二項対立で考えるのはおかしいのかなぁ。

my箸☆ 

May 09 [Wed], 2007, 22:39
今日my箸を銀座で買った。箸専門店を物色していると、二人の男性がやってきて、「今飲食店で箸をもっていくのがひそかなブームなんだよ。それで食べ終わったときにお店の人に渡して返してもらうというのが」
といっていたので、思わず、ぼくも「そうらしいんですよね。ぼくも自分のお箸(飲食店とうで使うのに持ち歩くよう)を買いにきました」と話しかけてみた。

ぼくが箸を持ち歩きたいと思って買おうと決意したのは、バイトの知人がお箸を持ち歩いていたのがきっかけ。
三月のある日、一緒に、青山一丁目駅の飲食店でお昼を食べることになった。そしたら、
お箸をもっていて、割り箸はいりませんとのこと。それで環境問題の話しになって盛り上がっていた。ぼくはそんなに環境問題を積極的に推進しようという人ではなかったりする。ただかっこよかった。使ってる身振りやその話してる話題がやけに熱かった。そしてぼくもほしいと思った。環境にもやさしいし、my箸持ってる人がすごく輝いて見えた。

今度飲食店にいったら割り箸はいりませんと言ってみよう思う。

エコバッグもほしいけれどもトーキューハンズにいったら気に入ったのがなくて断念。いいもん。気に入ったの探すから。

ナナコカード(セブンイレブンで使える電子マネー)も今度買おうと思う。「ピッとカードをかざしてお買い物をする」というのが「現金をはらってお買い物をする」ことよりもなんか気分がよい。

THE BIG ISSUE 

May 08 [Tue], 2007, 23:45
学校の帰り途中、御茶ノ水駅にて「ビッグイシュー」を売っている方がいた。
おぉっ、これが石田衣良が見かけたら買ってあげてくださいといっていた雑誌かと、思いました。
ホームレスの方々が一生懸命、手を上に掲げて声をだしながら売っている雑誌でございます。
よく大都市の駅改札付近にて一部二百円で売っております。その二百円の売り上げのうち110円は販売者さんの収入になるらしいです。

ぼくは、基本的に募金を積極的にしようとは思わない人であると思う。
しかし、「ビッグイシュー」は、また売っていたら買おうと思う。どうしてかと申しますと、販売者さんと直接かかわれるような気がするから。
募金の場合は、目に見えないところで人の役にたっているらしいのであろうが、実感はどうしてもわかない。
「ビッグイシュー」を販売する人々は、一日中たっていても一冊や二冊しか売れないときもあるらしい。それでも一所懸命、声を出しながらうっているし、販売者さんががんばって売っている姿がよいと思う。
なんか応援したくなる。
お金を働いて稼げれば、もっと働こうという気にもなるだろうし、お金だけポンっと渡してこれでがんばってねなんていうのでは、当人もがんばっていこうという気にならないと思う。
がんばって働こうという姿勢が大事なのである。だから、また見かけたら、ここでお会いしたのも「ご縁」と思って買おうと思います。
みなさんもよかったら買ってあげてください。とぶしつけながら申してみるしだいであります。

ぼくの買った71号では映画情報、ニュースetc…そしてそしてぼくの尊敬する内田樹先生のインタビューまでのってました!おおっ、シンクロニシティー。

なぜ勉強しなければいけないのか我が輩は人であるわたくしが考えてみる。 

March 23 [Fri], 2007, 1:45
塾で勉強を教えている身でありますゆえ(しかも生徒に「先生」と敬称でよばれている、まことにびっくりである)、しばし考えてみようとおもわれました。

勉強なんかして、社会生活上何の役に立つのだろうかとほとんどの方は一度や二度考えたことがあるだろう。
僕の場合、数学は好きだったけれど古典が苦手だった。生理的に受けつかなかった(ような気がする。

知識の寄せ集めはただの丸暗記教科は日本史、歴史とか苦手だったよ。

中学校まではけっこう好きだったけど、高校に入ってからは、先生の話も聞かず内職ばかりしていた(だって、数学のほーが100倍面白いんだもん。

そうだった、話題をとりちだえた。それで勉強をなぜするかということだった。

とりあえず、小学、(人によっては中学、高校)の勉強をすることは社会で十分役に立つのである。

生徒「先生じゃあ、社会生活のどこで数学の円収率=円周÷直径なんて使うんですか」

先生「うっ、そこを衝かれると‥‥‥‥‥でもだいじょうぶ、勉強で大事なのは「コンテンツ」ではなく勉強にたいする「アティチュード」なんだな。」

生徒「もっと具体的に言ってください」

先生「なぜ授業を聞かなければいけないかはね‥‥‥‥‥‥‥
う、うまく説明できないから内田樹先生のブログから引用してご登場いただく」

授業を聞くのを止めてしまうというのは、とても深刻なことだ。
知識が身に付かないからではない。
「ものを習う」ための基本的なルールが身に付かないからである。
「ものを習う」というのは、「知っている人間」から「やり方」の説明を聞き、それを自分なりに受け容れ、与えられた課題に応用してみて、うまくいかないときはどこが違っていたのかを指摘してもらう、という対話的、双方向的なコミュニケーションを行うという、ただそれだけのことである。しかし、このコミュニケーションの訓練を通じて、子どもたちは「説明を聞くときは黙って、注意深く耳を傾ける」「あとで思い出せるように(ノートなどの補助手段をつかって)記憶する」「質問は正確かつ簡潔に行う」「集中しているひとの邪魔をしない」などという基本的な態度を自然に身につけてゆくのである。
しかし、小学校の段階で「ものを習う」ことを放棄し、「ものを習う」仕方そのものを身につけずに大きくなってしまった子どもは、長じたのちも「自分が知らない情報、自分が習熟していない技術」をうまく習得することができない。対話的、双方向的コミュニケーションのしかたが分からないからである。
彼らは長い時間人の話を注意深く聞くことができない。ひとにものを教わるときの適切な儀礼(表面的な恭順さの演技)ができない。なによりも、教える相手に「自分が何を理解していないか」を理解させることができない。
要するに、彼らは「自分が知らないこと、自分に出来ないこと」をどうやって知ったり、できたりするようになるのかの「みちすじ」が分からないのである。
だから彼らには「自分がすでに知っていること、自分がすでに出来ること」を量的に増大させる道しか残されていない。
彼らは、小学生のままの幼児的で自己中心的な自我のフレームワークの中に、TVや音楽やファッションやコンピュータ・ゲームやマンガやセックスやスポーツについてのトリヴィアルな情報をぎっしり詰め込むことを「情報の摂取」だと錯覚したまま成長する。


というわけで「ものを習うための基本的ルール」を身につけるために勉強は必要なのである。

生徒「先生は自分の言葉で説明できないのですか」

先生「‥‥‥‥はい」

P R
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